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	<title>地震 | 社会の底辺からこんにちは</title>
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	<title>地震 | 社会の底辺からこんにちは</title>
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		<title>募金箱が変わった日</title>
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		<dc:creator><![CDATA[オリエンタル納言]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 03 May 2024 11:21:09 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[オリエンタル納言日常日記]]></category>
		<category><![CDATA[地震]]></category>
		<category><![CDATA[忘れられていく]]></category>
		<category><![CDATA[災害]]></category>
		<category><![CDATA[能登半島地震]]></category>
		<category><![CDATA[過去]]></category>
		<category><![CDATA[震災]]></category>
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					<description><![CDATA[いつも行くコンビニには、つい最近まで「令和6年能登半島地震の募金」と書かれた青色の募金箱が設置されていました。 一月一日に起きた未曾有の地震から4ヶ月が経過し、気がつけば5ヶ月目を迎えようとしています。 震災直後は関心も [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>いつも行くコンビニには、つい最近まで<span style=""><strong>「令和</strong></span><span style=""><strong>6</strong></span><span style=""><strong>年能登半島地震の募金」</strong></span>と書かれた青色の募金箱が設置されていました。</p>
<p>一月一日に起きた未曾有の地震から4ヶ月が経過し、気がつけば5ヶ月目を迎えようとしています。</p>
<p>震災直後は関心も多く、そしてニュースを見ればどこもかしこも地震に関してのニュースばかりでした。</p>
<p>東北大震災発生から復興と呼ばれるまでにかかった年月は、10年以上。</p>
<p>心の傷を考えれば完全な復興とはいまだに言えない状況だと、何かで読んだこともありました。</p>
<p>家の倒壊、火災、津波、あらゆる被害が能登半島を襲い、家を失った方、家族を亡くした方、友人を亡くした方など、あらゆる悲劇を生みました。</p>
<p>自然の力ゆえに何一つ太刀打ちできない状況に絶望し、そして被災していない多くの人たちは、<strong>「せめて何かの力になれば」</strong>と思い、募金をしたり、自ら足を運びボランティア活動をされた方もいたかもしれません。</p>
<p>あの震災からたった4ヶ月、何一つ変わらない状況にも関わらず、少しずつ過去のものへと変わっていることに衝撃を受けたのです。</p>
<h4><span id="toc1">台湾の地震を受けて</span></h4>
<p>能登半島地震の後、台湾でも大きな地震がありました。</p>
<p>私たちの国で起きた地震と重ね、同じように心配をし、それぞれのやり方で言葉をかけ、協力をされた方も多くいたと思います。</p>
<p>国は違うけれど、同じ状況が日本でも起きていた。だから余計に気持ちがわかり、胸を痛めた人が大勢いたと思うんです。</p>
<p>つい最近まではあらゆるところに、<strong>「令和6年能登半島地震の募金」</strong>として設置されていた募金箱は、名前を変えて<strong>｢台湾地震の募金箱｣</strong>へと変わっていました。</p>
<p>それはいつも行くコンビニだけではなく、あらゆる場所でも名前が変えられており、台湾の支援へと気持ちが移り変わったように見えたのです。</p>
<h4><span id="toc2">実際の光景を目の当たりにして</span></h4>
<p>ワタシはその最中、第二の故郷である石川県に向かいました。</p>
<p>向かう道中では、心の中で<span style=""><strong>「少しずつ街が整備され始めているのではないか」</strong></span>という淡い期待を抱いていたんです。</p>
<p>日本中の人が協力をし、海外からも支援があったとニュースで知りました。</p>
<p>きっとそのお金や物資、そして心は被災地に届いていると思っていたからです。しかし、現実はまるで正反対の状態のまま、一月一日の地震直後の姿で止まっていました。</p>
<p>まるでこの場所だけが、過去に置き去りにされているかのように。</p>
<p>仮設住宅が建設され、日常生活が送れるようになっても、街並みは崩れた家や瓦礫の山で溢れていたし、津波の跡も色濃く残っていました。</p>
<p>ポツンと掲げられた<span style=""><strong>「がんばれ！能登半島」</strong></span>の旗は、今の状況の憤りと虚しさを表しているかのように、時折ヒラヒラと音を立てて揺れていたのです。</p>
<h4><span id="toc3">せめて二つの募金箱を・・・</span></h4>
<p>台湾の地震を蔑ろにしていいだなんて思っていません。</p>
<p>国が違っていても同じ人間なのだから、困ったときは助け合うことが大切だと思います。</p>
<p>ならばせめて、二つの募金箱を置いて欲しかった。</p>
<p>能登の募金のラベルを変えるのではなく、台湾の地震の募金箱を新たに作って欲しかった。</p>
<p>被災していない側からしたらいつも通りに生活ができて、GWもどこかへ出かけたり、誰かと当たり前のように楽しく過ごせる日常がそこにある。</p>
<p>けれどもいまだに、被災地では仮設住宅にも入れずに避難所で生活をされている方、自分の家族の帰りを待ち続けている方、壊れた家に何度も訪れてその姿を見ながら涙を流している方がいます。</p>
<p>地震発生から<span style=""><strong>「もう</strong></span><span style=""><strong>4</strong></span><span style=""><strong>ヶ月」</strong></span>ではなく、<span style=""><strong>「まだ</strong></span><span style=""><strong>4</strong></span><span style=""><strong>ヶ月」</strong></span>しか経っていないんです・・・。</p>
<h4><span id="toc4">どうすることもできない虚しさを</span></h4>
<p>きっとワタシと同じように、いまだにあの地震を忘れないように、できることなら何か助けになれたらと思っている人は大勢いると思います。</p>
<p>けれどもニュースでほとんど報道されなくなり、過去の出来事にされようとしていることに憤りを感じながらも、情報がないばかりに何もできない状況が続いているのかもしれません。</p>
<p>ワタシ自身も、欲を言えば何度も石川県に帰り、そして祖母や叔父の様子を見に行きたい。</p>
<p>そして手伝えることがあるのなら、どんなことでも手伝いたいと思っています。</p>
<p>けれども情報が少ない中で、そしていまだに整備されていない状況を目の前にしては、行動を起こすことも難しいと感じてしまうことすらあるのです。</p>
<p>だからこそ、いつも行くコンビニでふと見かけた募金箱に、どうすることもできない虚しさを、そして忘れ去られていくような感覚に、憤りを感じたのかもしれません。</p>
<h4><span id="toc5">被災していない側も、心に留めて</span></h4>
<p>かつてワタシは<strong>「辛い過去もいつかは美化されてしまう」</strong>そうエッセイに書いたことがありました。</p>
<p>けれども、この未曾有の地震は美化してはいけないと思うんです。</p>
<p>辛い記憶を抱えて生きることが正しいと言っているわけではありません。</p>
<p>あの地震で起きたことを、そして実際に住んでいる人たちのことを忘れてはいけないと思うんです。</p>
<p>体験していないことを想像することは、とても難しいことだと思います。けれども、今でも被災地の中で懸命に生きようとしている人たちがいます。</p>
<p>そしてどれだけ心が沈み、絶望に立たされようとも、それでも前を向いて歩こうとしている方々がたくさんいることを、忘れないようにしたいと思うんです。</p>
<p>ワタシに何ができるのか、それは正直今でもわかりません。ただ、本当の意味で復興を迎える日まで、ワタシはこの地震を忘れずに、こうしてブログを通して文章に残し続けていこうと思います。</p>
<p>そしてこれからもできる限り足を運び、できることからやっていきたいと思っています。</p>
<p>それが今のワタシにできる、最大限の忘れないための行動だと思うから・・・。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
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		<title>1年ぶりの故郷</title>
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		<dc:creator><![CDATA[オリエンタル納言]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 22 Apr 2024 11:27:09 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[オリエンタル納言日常日記]]></category>
		<category><![CDATA[地震]]></category>
		<category><![CDATA[珠洲市]]></category>
		<category><![CDATA[石川県]]></category>
		<category><![CDATA[第二の故郷]]></category>
		<category><![CDATA[能登半島]]></category>
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					<description><![CDATA[約1年ぶりに訪れた第二の故郷は、まるでワタシの知らない世界のようでした。 今まで当たり前に建っていた家は、まるで瓦礫のように崩れ去り、道を進むにつれて跡形もなく消えてゆきました。 かつては近所の人たちの声や、小さな子ども [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>約1年ぶりに訪れた第二の故郷は、まるでワタシの知らない世界のようでした。</p>
<p>今まで当たり前に建っていた家は、まるで瓦礫のように崩れ去り、道を進むにつれて跡形もなく消えてゆきました。</p>
<p>かつては近所の人たちの声や、小さな子どもたちの笑い声もあった場所には、微かに聞こえる波の音だけとなりました。</p>
<p>大好きな石川県の風景は、見るも無惨な姿のまま残されている状態だったのです。</p>
<h4><span id="toc1">能登半島地震から</span></h4>
<p>未曾有の大地震から3ヶ月が経ち、どこもかしこも地震のニュースばかりだった震災直後。</p>
<p>けれどもたった3ヶ月経っただけで、地震の話はあまり聞かなくなってしまいました。</p>
<p>いつしか能登半島地震は過去のものへと移り変わろうとしていたのです。</p>
<p>現地の人たちがどのように生活をしていて、街並みはどのように変わっているのかがまるでわからない状態となりました。</p>
<p>道は通れるのか、崩れた家は取り壊されているのか、仮設住宅が出来上がりほとんどの人が移り住んでいるのか、それさえもわからない状態でした。</p>
<h4><span id="toc2">決意を固めて</span></h4>
<p>地震直後から何度も石川県に行こうと考えましたが、あまりにも情報が少なすぎることもあり、中々訪れる目処すら立たない状態だったのです。</p>
<p>ボランティアを考えてみても日程が合わず、さらにはそう簡単に行けるような状況でもないことから行きたい気持ちと、行けない事実の狭間で何度も悩むこともありました。</p>
<p>そんな時、珠洲市に住んでいる叔父から<span style="color: #0000ff"><strong>「仮設住宅が完成した」</strong></span>と情報が入りました。</p>
<p>ワタシの祖母は地震発生からすぐに父が迎えに行き、三重の叔母の家で仮設住宅ができるまで住んでいました。</p>
<p>何度も<span style="color: #008000"><strong>「帰りたい」</strong></span>と涙ながらに話す祖母をなんとか説得して、仮設住宅ができる日までいてもらうことにしました。</p>
<p>そしてようやく、この4月に仮設住宅に移るために石川県に送る日程が決まったのです。</p>
<h4><span id="toc3">初めて訪れた震災後</span></h4>
<p>石川県に向かう日程が決まった時、ワタシと彼も父について行くことにしました。</p>
<p>この目で確かめたかったんです。自分の故郷がどのようになっているのか、今どんな状況になっているのか、行って知りたかったんです。</p>
<p>もちろん葛藤もありました。</p>
<p>大好きな場所が地震によってなくなってしまっている現実、思い出の詰まった家の倒壊、その全てを確かめなければいけないことに。</p>
<p>それでも間接的に聞いている情報ではなく、自分の目で確かめて、きちんと向き合いたかったんです。</p>
<p>地震の恐ろしさも、そして当たり前の日常が当たり前でないことも含めて。</p>
<h4><span id="toc4">変わり果てた場所</span></h4>
<p>石川県に向かう道中は、祖母も含めてたわいもない会話の中で過ごしていました。</p>
<p>しかし、少しずつ奥能登に近づいていくにつれて、想像以上の景色が広がっていったのです。</p>
<p>そこには地震発生当時のまま、何一つ変わらない景色が取り残されているようでした。</p>
<p>まるでここだけ、時間が止まっているかのように・・・。</p>
<p>家は崩れ、車は曲がり、そしてガラスや木材が散らばりながらも一箇所に集められている。どの家にも張り紙が貼れており、中には電柱さえも曲がったままいつ倒れてきてもおかしくない状況でした。</p>
<p>崩れているのが当たり前、壊れているのが当たり前、道路が陥没しているのが当たり前。そんなあってはならない当たり前が、目の前に広がっていたのです。</p>
<h4><span id="toc5">思い出の家は</span></h4>
<p>かつて親族たちで集まり、談笑をしていた思い出の家は、見るも無惨な姿へと変わり果てていました。</p>
<p>床は抜け落ち、空が見える状態の場所もあれば、家具や家電が倒れてしまい、通れなくなってしまった場所もありました。</p>
<p>慣れ親しんだ家は廃墟と化し、足の踏み場もほとんどない状態になっていました。</p>
<p>そしてもう一つ、この地震の影響で、見知らぬ誰かが私たちの思い出の家からありとあらゆるものを盗んで行ったことを叔父から聞かされました。</p>
<p>トースターも電子レンジも、今まで使っていたあらゆるものがなくなってしまったそうです。</p>
<p>被災した誰もが困難な状況にいることは、わかっています。</p>
<p>けれども、こんな時だからこそ協力していかなければならないはずなのに、それさえもわからなくなってしまう現実が、盗まれていったものたちによって突きつけられているようでした。</p>
<h4><span id="toc6">無事に送りとどけて</span></h4>
<p>思い出の家を後にして、私たちは仮設住宅へと向かいました。</p>
<p>簡易的な家ではあるけれど、必要最低限の家電があり、トイレもお風呂も備えられていました。</p>
<p>しかし、大勢の方々が避難されていることもあり、普通の家のようにはプライベートが確保されているわけではありません。</p>
<p>被災地に向かい、ニュース以外で初めて現実を目の当たりにしたワタシですが、あの震災から何一つ変わっていないことを痛感することとなりました。</p>
<p>一度県をまたげば、あたり前のように自分の家があって、プライベートが確保されていて、好きな時に出かけたり、自分の時間を確保することができている。</p>
<p>けれども、今もなお被災地で過ごされている方にとって、それがどれだけ恵まれている環境なのかを知ることとなったのです。</p>
<h4><span id="toc7">満開の桜を背にして</span></h4>
<p>石川県の町では、ちょうど桜が見頃の時期になっていました。</p>
<p>潰れかけている家や瓦礫だらけの場所にもポツンと桜が立っており、綺麗な花を咲かせていました。</p>
<p>春の訪れを喜んでいるように咲いている桜の花と、静かな街並みのコントラストは異様な光景が映し出されていました。</p>
<p>なんともいえない景色を見つめ、私たちは石川県を後にしました。</p>
<p>今でも地元の方々は、大きく残された地震の爪痕と共に生きています。</p>
<p>ニュースでは全く聞かなくなった震災の様子も実際に行ってみると、何一つ現状が変わっていないことは明らかでした。</p>
<p><strong>「何か役に立てることがあれば」</strong>そう思っても、自然の前では人間は無力だということを感じざるを得ませんでした。</p>
<p>けれども能登の町の至る所に、<span style="color: #ff0000"><strong>「負けるな！がんばれ能登！」</strong></span>とステッカーや旗が掲げられていたのです。</p>
<h4><span id="toc8">いつもまでも忘れずに</span></h4>
<p>今もなお、被災地では苦しい生活の中で懸命に前を向き、必死に生きている人たちがいました。</p>
<p>自分の家がなくなり、思い出の場所がまるで違う世界のようになっても、それでもかつての場所になるようにと、地震と向き合いながら当時の恐怖と戦いながら過ごしていると思います。</p>
<p>被災していない私たちにできることは限られているかもしれない。</p>
<p>けれども、あの未曾有の大地震を忘れることは絶対にしてはいけないと、改めて感じたのです。</p>
<p>たった一人の力で何ができるかなんて、正直わかりません。</p>
<p>けれども、大切な故郷をこれからも何度か訪れることによって、できる限りのことをしていきたいと思います。</p>
<p>いつか、被災地の方々が心から笑える日が来ることを願いながら、本当の意味で復興する日が来ることを祈りながら、ワタシはこれからも大切なあの場所に帰ろうと思います。</p>
<p>この気持ちをいつまでも忘れないように、大切な思い出たちを胸に刻みながら。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
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