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	<title>子ども | 社会の底辺からこんにちは</title>
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	<title>子ども | 社会の底辺からこんにちは</title>
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		<title>第1回　手話日記</title>
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		<dc:creator><![CDATA[オリエンタル納言]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 20 May 2023 09:00:58 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[オリエンタル納言日常日記]]></category>
		<category><![CDATA[コミニュケーション]]></category>
		<category><![CDATA[人間関係]]></category>
		<category><![CDATA[子ども]]></category>
		<category><![CDATA[手話]]></category>
		<category><![CDATA[講座]]></category>
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					<description><![CDATA[ブログを始めてから、色々なことが変わり始めていました。 周りの環境もそうだけれど、一番は自分の心の変化を如実に感じています。 今までの私は外に出ることを嫌い、何か新しいことを始めるのも苦手でした。だからいつも「いや」「だ [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>ブログを始めてから、色々なことが変わり始めていました。</p>
<p>周りの環境もそうだけれど、一番は自分の心の変化を如実に感じています。</p>
<p>今までの私は外に出ることを嫌い、何か新しいことを始めるのも苦手でした。だからいつも<strong>「いや」「だって」「それは」</strong>と前向きとは程遠い口癖ばかりを使っていました。</p>
<p>できない理由を探すことは、とても簡単でした。しかし、前向きに物事を考えたり、新しいことを0から作り出すことは、相当な体力が必要です。</p>
<p>ただ、ブログを始めるようになった途端、今まで行かなかったところに行ってみたり、初めての人に会ってみたり、少しずつ自分の心の変化と環境の変化を感じるようになっていきました。</p>
<p>それはきっと、自分の心の中にあった想いを発信するようになったからこそ、視野を広げ、新しい人と交流してみたい、何か新しいことを始めてみたい、そういう思えたのだと思います。</p>
<p>そんなある日、私はふと過去に手話を習いたいと思ったことを思い出しました。</p>
<p>保育士をしている時、耳が聞こえない人と関わる機会があり、伝えたいことがあっても、聞きたいことがあっても、意思疎通を図ることが上手くいかないことに、もどかしさと申し訳ない気持ちを感じる場面が何度もあったからです。</p>
<p>一生懸命何かを伝えてくれようとするけれど、口の動きを見ても理解できないことばかりでした。</p>
<p><strong>「あぁ、もしも私が手話が少しでもできていたら、もっと沢山話ができたのに」</strong>と考えていましたが、忙しさを理由に勉強する機会を作りませんでした。</p>
<p>ほんの少しだけYouTubeを見たり、ネットで検索して終わってしまっていたのです。</p>
<p>仕事を辞めた今、私には時間がありました。</p>
<p><strong>「そうだ、手話を習ってみよう」</strong>と思い立ち、行動に移すことにしました。そして、2023年5月から1年かけて、手話の講座を受講することが決まったのです。</p>
<h4><span id="toc1">初めての講座</span></h4>
<p>会場に着くと、会議室内には他の受講者の方も集まっていました。</p>
<p>このクラスの中で、私が最年少でした。真っ青な髪の毛に、いつも通りのボーイッシュで派手な服装で行くと、周りは少しだけ不思議そうに私の姿を見ていました。</p>
<p>けれども、それは想定内です（笑）。</p>
<p>一番前の端の席に座り、通訳の人と講師の先生が挨拶を始めました。</p>
<p>しかし、ここで問題が発生したのです。講座は自主的に参加するもの、会場の準備から片付けまでを自分たちでやらなければならないと説明がありました。そして、毎月準備をする係りの人を決めて、さらに何かあったときの連絡網を回すリーダーも決めなければなりませんでした。</p>
<p><span style="color: #ff9900;"><strong>「誰か、リーダーをやってくれる人はいますか？」</strong></span></p>
<p><span style="color: #3366ff;"><strong>・・・</strong></span></p>
<p><span style="color: #ff9900;"><strong>「うーん、前に手話の講座を受けたことがある人で、リーダーをやっていなかった人で決めましょうか』</strong></span></p>
<p><span style="color: #3366ff;"><strong><span style="font-size: 18px;">ざわざわざわ</span></strong></span></p>
<p>大人たちは顔を見合わせて<span style="color: #3366ff;"><strong>（やりたくないなぁ・・・）</strong></span>と表情に浮かべながら、誰かが手を挙げることを待っていました。</p>
<p><span style="color: #000000;">時間が少しずつ経過していくこと、何より手話以外のことで時間を取られてしまうことに、すごく違和感を感じました。</span></p>
<p>面倒なことが嫌いなはずなのに、気がつけば<span style="color: #ff00ff;"><strong>「あっ、私でよければやりますよ」</strong></span>と言ってしまったのです。</p>
<p>すると<span style="color: #3366ff;"><strong>（そこの見知らぬ青髪の子！よく言ったァァァ！！）</strong><span style="color: #000000;">という感じで拍手が起こりました。</span></span></p>
<p>こうして私は、初めての手話講座で謎にリーダーをやることになってしまったのです。</p>
<h4><span id="toc2">手話の話</span></h4>
<p>ようやく決まったリーダーと副リーダー、そして講座準備の係なども決まり、ようやく講座はスタートしました。</p>
<p>そしてこの日、初めて耳の聞こえない人の心の中を、少しだけ覗くことができたのです。</p>
<p><strong>「耳が聞こえないことを<span style="color: #ff9900;">ろう者</span>と言います。では、聞こえる人はなんと言うでしょう」</strong>と質問をされた時、<span style="color: #ff0000;">健聴者、健常者</span>と答える人がほとんどでした。</p>
<p>すると<strong>「私たちは耳が聞こえないこと以外は、健康な人です。<span style="color: #ff9900;">健聴者</span>にも<span style="color: #ff9900;">健常者</span>にも健康の<span style="color: #ff9900;">『健』</span>という字が入ります。そこに違和感を感じてしまうんです」</strong>と手話で話す先生の言葉を、通訳さんが私たちに教えてくれました。</p>
<p>当たり前のように<strong>「健常者」「健聴者」</strong>という言葉を使ってきたからこそ、全く見えていなかった視点を知ることができたのです。</p>
<p>講座を受けていなければ、そんなことすら考えずに過ごしてしまっていたのかもしれません。</p>
<p>そして、<strong><span style="color: #ff9900;">ろう者</span></strong>の反対、耳が聞こえる人を<strong><span style="color: #3366ff;">聴者</span></strong>と呼ぶことを教えてもらいました。</p>
<p>きっと他にも呼び方はあるかもしれない、けれども、教えてもらった言葉が一番しっくりきたような気がします。</p>
<p>耳が聞こえていても、聞こえていなくても、同じ健康な人なんだと改めて認識する機会をもらえたのです。こんな大切なことさえも知らずに生きてきたことに、ほんの少しだけ後悔しながら、これから新たに広がる可能性を感じたのも確かでした。</p>
<h4><span id="toc3">目標を掲げて</span></h4>
<p>いつか私は、ろう者の方たちと手話で話をしてみたいと思っています。そして、耳の聞こえない子どもたちと手話を通しながら、遊んだり会話をしてみたいと思うのです。</p>
<p>耳が聞こえる子も、聞こえない子も未来を担う大切な存在だと思います。</p>
<p>保育士を辞めたからこそ、私にしかできないことがあると思っています。その第一歩を踏み出したのでしょう。</p>
<p>いつかあらゆる子どもたちと、沢山お話ができる日まで。</p>
<p>私の手話日記は続いていきます。</p>
<p>&nbsp;</p>
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		<title>勇気をもらった発表会</title>
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		<dc:creator><![CDATA[オリエンタル納言]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 24 Apr 2023 09:19:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[保育士時代の体験談・過去のトラウマ]]></category>
		<category><![CDATA[保育園]]></category>
		<category><![CDATA[子ども]]></category>
		<category><![CDATA[感動]]></category>
		<category><![CDATA[感謝]]></category>
		<category><![CDATA[成長]]></category>
		<category><![CDATA[発表会]]></category>
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					<description><![CDATA[幼稚園を途中で辞めてしまった私は、もう一度保育士になりたくて、最後のチャンスだと思い選んだ場所が実家の近くの保育園でした。 面接を受けてすぐに採用が決まり、4月から契約社員として働くことになりました。 初めの頃は右も左も [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>幼稚園を途中で辞めてしまった私は、もう一度保育士になりたくて、最後のチャンスだと思い選んだ場所が実家の近くの保育園でした。</p>
<p>面接を受けてすぐに採用が決まり、4月から契約社員として働くことになりました。</p>
<p>初めの頃は右も左も分からないし、幼稚園の時のトラウマが残っていたから、常にビクビクしながら迷惑をかけないようにすることだけを考えながら、仕事をしていたような気がします。</p>
<p>しかし幼稚園とは違って、先生たちも優しく仕事のやり方や子どもの接し方を教えてくれたので、少しずつ保育士という仕事に本当の意味でやりがいを感じるようになっていきました。</p>
<p>保育園で働き始めて2年が経ったある日、当時の園長先生から<strong>「もし良かったら任期つき正社員の試験を受けてみない？」</strong>と提案をされました。</p>
<p>二つ返事でお願いをして、園で実施された試験を受け合格した私は、翌年、任期つきの保育士として働くことになったのです。</p>
<h4><span id="toc1">やりがいの中で</span></h4>
<p>正規の保育士になって一番初めのクラスは、乳児の担任でした。</p>
<p>不安を感じながらも先生たちの支えがあり、自由に好きなことを楽しみながら、子どもたちと接することができた一年でした。</p>
<p>翌年の配置で年中・年長の縦割りクラスの担任を任されることになったのです。その時の感情は、嬉しい気持ちと不安な気持ちの交互が入り混じっていたような気がします。</p>
<p>しかも同じ学年になった人たちは、園の中でも仕事ができると言われており、余計に足を引っ張らないか、保護者の方に迷惑をかけないか、そんなことばかりを考えていました。</p>
<p>しかし新学期が始まると忙しさでそれどころではなく、1日を無事に終えることで必死でした。</p>
<p>目まぐるしく過ぎていく日常と、覚えなければならない仕事の数々に、家に帰って寝る間も惜しんで仕事のことばかりを考えていました。</p>
<p>春が過ぎ、夏がやってきて、あっという間に秋も過ぎ去ってようやく冬を迎えた頃、ある事件が起きたのです。</p>
<p>忘れもしない、心に大きな傷を負うことになった出来事を。</p>
<h4><span id="toc2">2人きりの遊戯室で</span></h4>
<p>当時の発表会は、踊り、劇、学年ごとの合奏と歌で構成されていました。</p>
<p>初めてのことで、先輩たちにやり方を聞きながら遅れないように、毎日案を考えながら踊りの振り付け、構成、劇のセリフ、立ち位置などを一生懸命模索する日々でした。</p>
<p>劇の役決めや、踊りの振り付けも決まり練習も少しずつ進んでいたある日、主任に踊りの振り付けを見てもらう機会がやってきました。</p>
<p>各クラスが順番に主任に見せながら、意見をもらい修正を行っていく大事な機会です。</p>
<p>まずは先輩たちが踊りを見せると、少しだけ修正が入りながらも「さすがベテランね！よく出来てるわ」と褒められていました。</p>
<p>そして私の番になり、主任に一通り見てもらうと、腕を組みながら一言「ちょっとA先生を呼んできて」と言いました。</p>
<p>その言葉と雰囲気で全てを悟った私は、園庭で遊ぶA先生の元へ駆け寄り、勝手に流れてしまう涙を堪えることができず「すみません、もう一度踊りを見せてください」とお願いをしました。</p>
<p>私の姿を見た先輩は、驚いたものの「すぐに行くね」と言って、もう一度遊戯室で踊りを披露しました。</p>
<p>「さすがA先生！経験が違うわ。分かる？こういうことなのよ。A先生、ありがとね。もう戻っていいよ」と言って、私だけが遊戯室に残されました。</p>
<p>すると主任は、私の顔を見ながらある二択を提案してきたのです。</p>
<p><strong>もしも私の言うことを聞かなければ、保護者からクレームが来ても『あの子が勝手にやったことだから』って言うからね。</strong></p>
<p><strong>けど、あなたが私の言うことを聞いて従ってくれるのなら、もしも保護者からクレームが来ても『あの子も初めてだから、許してあげて』って言ってあげる。</strong></p>
<p>二択を突きつけられた時、答えはもう1つしかないと分かっていたけれど、改めて頭を下げて「教えてください」と言いました。主任は、とても満足そうに「そう？なら、教えてあげる」とだけ言って、この日はクラスに戻ることになりました。</p>
<p>クラスに戻ると心配したA先生は「大丈夫？」と声をかけてくれましたが、その優しさに涙が出てしまいました。その姿を見て「あなたの考えた踊り、私はよかったと思うよ。ちゃんとできていたし、子どもたちの個性も出ていたよ」と慰めてくれました。</p>
<p>発表会の練習に入る前から、噂は聞いていました。</p>
<p><strong>主任は毎年ターゲットを1人決めて、自分の思い通りにできるようにする</strong>ということを。そして学年の中で一番若かった私が、今年のターゲットにされたということも理解した上で、悔しくて悲しくて涙が止まりませんでした。</p>
<p>その日私は、園の中にある倉庫の中で少しだけ泣きました。</p>
<h4><span id="toc3">個別指導の日々</span></h4>
<p>その日から、毎時間呼び出されて踊りの指導や位置の指導をされました。</p>
<p>私の考えていたものは原型がなくなり、全て主任の思い通りに変更されていきました。職員室に呼ばれてすぐに<strong>「音楽かけて」</strong>と言われ<strong>、「はい」</strong>と言う毎日。私の意見は、何一つ反映されることも聞かれることもありませんでした。</p>
<p>そんな日々が続きながらも、言われたことを精一杯やりました。</p>
<p>発表会まで二週間を切った頃、先輩たちのクラスは仕上げに差し掛かり、ほとんど完成している状態でした。</p>
<p>そんな中、突然<strong>「タップダンス入れなよ！あっ、ここも変えなよ」</strong>と二週間前にほぼ一からの状態にされてしまったのです。子どもたちも振り付けを覚えて、ようやく楽しんでくれるようになったのに・・・。</p>
<p>私は頭が真っ白になり、放心状態になってしまいました。主任は、新たなアイディアを思いついたことで、さらに<strong>「自分はやっぱり素晴らしい」</strong>と思っているような雰囲気を出していましたが、何1つ言葉が入ってこない私に対して、思いついた限りのアイディアをその後も言い続けていました。</p>
<p>彼女の中で、私の想いや子どもたちの頑張りなど、必要ではないのです。ただただ、自分の自己満足を満たしたい、それだけのような気がしてなりませんでした。</p>
<h4><span id="toc4">子どもたちに救われて</span></h4>
<p>新たに振り付けを変えることは、子どもたちにも大きな負担になります。しかし、やらなければ怒られてしまう。</p>
<p>悩んだ私は、子どもたちに相談することにしました。</p>
<p>「あのね、みんなの踊りがとっても素敵だったから、少し難しい振り付けに変えてもいい？時間が少ないけど、どうかな」そう聞くと「大丈夫だよ！」「できるよ！踊り楽しいもん」と言ってくれたのです。</p>
<p>私は思わず「ありがとう、ごめんね。ありがとう」と涙をギュッと堪えて子どもたちに感謝を伝えました。</p>
<p>子どもたちにも、もしかしたら気づかれていたのかもしれませんが、誰1人文句も言わずに楽しんで練習に付き合ってくれました。そして本番一週間前に、タップダンスを入れた踊りは完成したのです。</p>
<p>その様子を見ていた他の先生は、「本当によく頑張ったね」と感動の涙を流しながら、子どもたちを、そして私を褒めてくれました。</p>
<p>けれども主任からは「まぁ、いいんじゃない？」とだけ言われました。</p>
<h4><span id="toc5">本番当日</span></h4>
<p>前日に子どもたちと約束をしていました。</p>
<p>「明日は、間違えても忘れてもいいんだよ。でも楽しんできてね」と。その言葉通り、子どもたちは笑顔で楽しみながら踊ってくれました。その姿を舞台側から見ていた私の方が、涙を堪えることに必死でした。</p>
<p>発表会が終わった後、主任から「よく頑張ったね」と言われることも、何か言葉をかけてもらうこともありませんでした。むしろ、踊りのことなんてなかったかのように振る舞われ、私の初めての発表会は幕を下ろしました。</p>
<p>あの出来事は今でも忘れないし、毎日が本当に辛くて泣いてばかりいました。先輩たちと比べられ、心無い言葉を言われたり、保育に入れずに音楽をかける係をひたすらさせられた数週間は本当に地獄でした。</p>
<p>けれども子どもたちの笑顔が、頑張る姿勢が私に勇気を与え続けてくれました。</p>
<p><span style="color: #3366ff;">踊りの完成度や失敗しなかったことが成功ではなく、あの子たちが楽しんでくれたことが一番の成功だと思っています。</span></p>
<p>辛こともあったけれど、子どもたちのおかげで乗り越えることができた、そして今まで味わったことのない感動を味合わせてくれた子どもたちに、今でも感謝しかありません。</p>
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		<title>勇気をくれた子どもたち</title>
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		<dc:creator><![CDATA[オリエンタル納言]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 11 Apr 2023 16:26:51 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[保育士時代の体験談・過去のトラウマ]]></category>
		<category><![CDATA[保育士]]></category>
		<category><![CDATA[子ども]]></category>
		<category><![CDATA[幸せな時間]]></category>
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					<description><![CDATA[「ぼくはね、じゆうになりたいんだ。いろんなところにいって、おともだちをたくさんつくるんだ。いつも、なごんせんせいいってたよね？『なりたいとおもったらなんにだってなれるんだ』って。だからぼくは、じゆうになるんだ！」 これは [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><strong>「ぼくはね、じゆうになりたいんだ。いろんなところにいって、おともだちをたくさんつくるんだ。いつも、なごんせんせいいってたよね？『なりたいとおもったらなんにだってなれるんだ』って。だからぼくは、じゆうになるんだ！」</strong></p>
<p>これは保育士をしていた頃の子どもとの会話の一部です。</p>
<p>常に子どもたちに言い続けてきました。「なりたいと思ったら、何にだってなれるんだよ」と。その言葉を覚えてくれていたのか、彼は、夢を語りながらそう教えてくれました。</p>
<h4><span id="toc1">保育士になったきっかけ</span></h4>
<p>4歳の頃に担任してくれた先生は、怒るととっても怖いけれど、愛情に溢れた人でした。「いつか先生と一緒に仕事をしたい」と幼いながらに思ったことを今でも鮮明に覚えています。</p>
<p>それはいつしか夢となり、保育士を目指したきっかけになりました。</p>
<p>想いは相当強く、その夢が変わることは一度もありませんでした。小学4年生の二分の一成人式での手紙には、「保育士になるために〇〇の短大にいっていますか？」と具体的な名前まで書くほど、なりたい気持ちは強かったです（笑）。</p>
<p>中学、高校、そして短大に行っても気持ちは変わることなく、大好きだった先生と働ける日を夢に見ていました。</p>
<h4><span id="toc2">憧れの仕事とのギャップ</span></h4>
<p>大好きだった先生は、私たちを叱る時以外はいつも笑顔でした。</p>
<p>だから勝手に思っていたんです。</p>
<p>保育士になったら、きっと笑顔が絶えない楽しい毎日になるだろうって。</p>
<p>けれど、現実は違いました。</p>
<p>過酷な労働と業務の多さも、そして大切な命を守る責任の重さも、成人したばかりの人間にはその全てが負担になっていたと思います。</p>
<p>また、初めての就職先だった幼稚園は特殊なところだったので、常識が通用しないことばかりでした。けれど夢に見た仕事だったからこそ、どれだけ辛くてもがむしゃらに働いていました。</p>
<p>しかし、過酷な環境とパワハラによるストレスで、夢はたった1年半で終わってしまったのです。</p>
<h4><span id="toc3">新たに出会った保育園</span></h4>
<p>21歳で仕事も夢も失い、生きる希望を無くしかけていました。それでも心のどこかで「もう一度、保育士として働きたい」と思っていました。すると、ある求人募集に家の近くで働ける保育園を見つけたのです。</p>
<p>緊張しながら求人の申請を行い、日程を決めて履歴書と共に園で面接を受けました。その場で採用された私は、4月から晴れて保育士として働くことになったのです。</p>
<p>新しい保育園で約7年間、保育士として働き続けました。</p>
<p>けれども結局は幼稚園と同じように心を壊して、2022年10月に退職をしてしまいました。</p>
<p>原因は色々あったけれど、全ては新型コロナウイルスの流行が全ての発端と言えるでしょう。逼迫した中で仕事は増え、給料は下がっていく。</p>
<p>どれだけ現場が大変でも、それを理解してもらえない環境がありました。</p>
<p>けれども、悪いことばかりではありませんでした。</p>
<p>子どもたちと触れ合えた約7年間は、私にとって夢のような毎日だったと言えるでしょう。笑って悩んで、時には一緒に泣いて。子どもたちといる時だけが、私らしくいられた時間でもありました。</p>
<p>退職した今も子どもたちのことを忘れた日は、一度もありません。</p>
<p>「会いたい」と何度も思いました。</p>
<p>「一度でいいから、子どもたちをぎゅっと抱きしめたい」と涙がこぼれてしまうこともありました。</p>
<p>ただ仕事を辞めた今は、どれだけ願っても現実になることはないのです。</p>
<h4><span id="toc4">新たな夢と共に</span></h4>
<p>無職になった私は、文章で今までの体験談を書き、いつか本を出すことを夢に掲げています。子どもたちと過ごした数年間が私に勇気をくれ、そして、夢を叶えるために背中を押してくれています。</p>
<p>きっと「叶いっこない」なんて言われるかもしれないけれど、保育士以外で会えるチャンスかもしれないのです。</p>
<p>子どもたちと歩んだ数年間が無駄にならないように、そして、私たちなんかよりもずっとシンプルな生き方を知っている彼らの言葉が、きっと誰かの心に届くと信じています。</p>
<p>「なりたいと思えば何にだってなれるんだ」そう子どもたちに言い続けてきたからこそ、信じてみようと思います。</p>
<p>いつの日か、子どもたちにもう一度会える日を。</p>
<p>そして、言い続けていたら夢は叶うと証明するためにも。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
					
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