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	<title>家族 | 社会の底辺からこんにちは</title>
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	<title>家族 | 社会の底辺からこんにちは</title>
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		<title>二つの縁の中にいる</title>
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		<dc:creator><![CDATA[オリエンタル納言]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 30 Sep 2023 12:00:16 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[オリエンタル納言日常日記]]></category>
		<category><![CDATA[人間関係]]></category>
		<category><![CDATA[出会い]]></category>
		<category><![CDATA[別れ]]></category>
		<category><![CDATA[友人]]></category>
		<category><![CDATA[大切な人たち]]></category>
		<category><![CDATA[家族]]></category>
		<category><![CDATA[縁]]></category>
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					<description><![CDATA[皆さんは「縁」という言葉を信じますか？ という書き出しになると、なんか勧誘みたいですが…。笑 ちなみにワタシは、今までの人生では信じていませんでした。 というよりも、正確には信じようとしていたけれど、信じた先に何もなく、 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>皆さんは<span style="font-size: 28px"><span style="color: #ff0000"><strong>「縁」</strong></span></span>という言葉を信じますか？</p>
<p>という書き出しになると、なんか勧誘みたいですが…。笑</p>
<p>ちなみにワタシは、今までの人生では信じていませんでした。</p>
<p>というよりも、正確には信じようとしていたけれど、信じた先に何もなく、いつも悲しい思い出だけが残ることが多かった、というのが正しいかもしれません。</p>
<p>いつしか、<span style="color: #ff00ff"><strong>「世の中に縁というものなんてない。それはただ、都合のいいように解釈しているだけなんだ」</strong></span>と思うようになりました。</p>
<p>当たりっこないと思いながら向かった神社での参拝、縁を求めて占いに頼ったこともありました。</p>
<p>けれども、本当に合っているのかどうかさえも分からず、嫌なことは当たっているような気がするけれど、いいことはまるで当たらない気がしてならない。</p>
<p>人の繋がりも、物や出来事の繋がりも、どれもが胡散臭く感じるようになってしまったのです。</p>
<p>いつしか、縁という言葉を避けるようになり、そして信じることもやめてしまいました。</p>
<h4><span id="toc1">少しずつ動き出した歯車は</span></h4>
<p>しかし、去年の１０月に仕事を退職してから、縁というものを強く感じる出来事がありました。</p>
<p>そしてそれは今でも続いているようなんです。</p>
<p>かつて仲の良かった先輩は、仕事を辞める直前まで遊んだり、時には相談に乗ってくれることもありました。</p>
<p>けれども、辞める前に仕事を休職した途端、連絡はパタリと途絶え、そして辞めるまで一切の連絡を取ることはありませんでした。</p>
<p>その兆候に、まだ仕事を辞める気配が全くなかった頃、ある日を境に、理由はないのに話が合わなくなってしまったのです。</p>
<p>とても仲が良く、職場の中でも色んな相談ができるほど信頼関係はできていたはずなのに。</p>
<p>その関係はいとも簡単に、プツリと切れてしまいました。</p>
<p>そして友人関係もそうです。</p>
<p>彼と結婚する前までは頻繁に会っていたり、遊んでいた友人が何人もいました。</p>
<p>心の底から信頼していたはずなのに、その友人たちともパタリと連絡は途絶えてしまい、今では何をしているのかも分からない状態になっています。</p>
<p>どうして立て続けに関係が切れてしまったのか、それはワタシにも理解できず、そして頭の整理も追いつかないまま、時間だけが過ぎてしまったのです。</p>
<h4><span id="toc2">出ていく人と入ってくる人</span></h4>
<p>先ほど話した出ていく人の反対もあり、数年間連絡を取らなかった友人と再会し、昔以上に仲を深めている人もいます。</p>
<p>また出会ったこともなかった人と会ってみたり、知らない場所を訪れてみたりと、新しいことに挑戦する機会が増えていきました。</p>
<p>まさに入れ替わりのようにして、仲の良かった人たちは去り、新たな人との出会いがやってきた。</p>
<p>それはもしかしたら、<span style="color: #ff0000"><span style="font-size: 28px"><strong>「縁」</strong></span></span><span style="color: #ff0000"><span style="color: #000000">が</span></span>運んできてくれた何かなのかもしれない、そう思うようになったのです。</p>
<h4><span id="toc3">直感で感じる縁たちは</span></h4>
<p>最近では、本当に色々な人や物との出会いや別れを経験しています。</p>
<p>大切だと思っていた人と離れることもあれば、新しい人がやってきて人間関係を構築することもある。</p>
<p>昔のワタシであれば、過去の人たちにすがっていたし、離れてしまうことに恐怖心すら抱いていたかもしれません。</p>
<p><span style="color: #ff00ff"><strong>「どうして行ってしまうの・・・。一人にしないでよ」</strong></span>そう言いながら。</p>
<p>けれども今は、また別の感情が生まれ始めているのです。</p>
<p><strong>｢きっとこれは、もともと決まっていた運命であり、どんなことにも理由があって、縁というものが存在するんだ｣</strong>そうやって、引き止めることをやめました。</p>
<p>確かに昔からある縁が切れてしまうことは、とても悲しいことです。</p>
<p>気持ちが吹っ切れるまでには、随分と時間と、気持ちの整理が必要でした。</p>
<p>けれども今は自然の流れに逆らわずに、目の前に訪れた現実を受け止めるようにしたんです。</p>
<p>離れてしまうことには理由があるし、どうしようもないこともある。</p>
<p>それを一つひとつ悲しんで後悔していたら、ワタシの心も保てないでしょう。</p>
<p>だから、考えることをやめました。</p>
<p>きっとこれも運命であり、全ての縁に意味があるのだと思うようにしたから。</p>
<h4><span id="toc4">夢が運んでくれた、最大の縁</span></h4>
<p>こうして前向きに考えられるようになったのは、ワタシ自身が夢を持ち、活動をしているからだと思います。</p>
<p>そしてその中には応援してくれる人、支えてくれる人、そしてエッセイを読んでくれている人がいることが、何より心を安定させてくれているのでしょう。</p>
<p>もしも昔みたいに、目の前にあることばかりを見つめて、前を向くことをしなければ、きっといつまで経ってもその場で足踏みをしているような状態だったかもしれません。</p>
<p>人が離れていくことは、<strong>新しい縁と出会わせてくれるチャンス</strong>だと、今のワタシなら思えるんです。</p>
<p>そして一番大切なことは、どんな状態であっても離れずにそばに居続けてくれる人たちの存在ではないでしょうか。</p>
<p>去ってしまった人たちのことを考えて時間を潰すよりも、目の前にいる大切な人たちのことを考えて、毎日を生きていきたい。</p>
<p>そう思えるようになったのも、きっと夢が運んでくれた縁だと思うのです。</p>
<p>この先の未来では、人も、物も、運命さえも変わっているかもしれない。</p>
<p>けれども一つだけ、自信を持って言えることがあるんです。</p>
<p>それは、辛い時も嬉しい時も変わらずにそばに居続けてくれた人たちだけは、きっとどんなことがあっても離れることはないということ。</p>
<p>そしてその人たちをこれからも大切にしていくことが、人生を切り開くための縁を結んでくれる唯一の方法だと思うから。</p>
<p>今まで信じてこなかった縁というものを、これからは少しだけ、信じてみようと思いいます。</p>
<p>たった一人ではなく、大切な人たちと一緒に・・・。</p>
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		<title>気遣いと心遣い</title>
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		<dc:creator><![CDATA[オリエンタル納言]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 29 Sep 2023 12:00:41 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[保育士時代の体験談・過去のトラウマ]]></category>
		<category><![CDATA[人間関係]]></category>
		<category><![CDATA[友人]]></category>
		<category><![CDATA[家族]]></category>
		<category><![CDATA[心遣い]]></category>
		<category><![CDATA[思いやり]]></category>
		<category><![CDATA[気遣い]]></category>
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					<description><![CDATA[「気を遣ってくれて、ありがとう」そう言葉にしてもらうたびに、心の中では微かな違和感を感じていました。 何一つ悪気があって言っているわけではないけれど、少しだけ寂しさを覚えるようになっていきました。 そして夫にも、「いつも [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><span style="color: #008000;"><strong>「気を遣ってくれて、ありがとう」</strong></span>そう言葉にしてもらうたびに、心の中では微かな違和感を感じていました。</p>
<p>何一つ悪気があって言っているわけではないけれど、少しだけ寂しさを覚えるようになっていきました。</p>
<p>そして夫にも、<span style="color: #3366ff;"><strong>「いつも気を遣ってくれて、ありがとうね」</strong></span>と言われたので、ワタシは初めてこう答えたんです。</p>
<p><span style="color: #ff00ff;"><strong>「気を遣ったわけじゃないよ。これはワタシなりの心遣いなんだ」</strong></span>と。</p>
<p>その言葉だけを聞いた時には、夫は不思議そうな顔をしながら<span style="color: #3366ff;"><strong>「そっか、心遣いか」</strong></span>と、ワタシの言葉の意味を探そうとしていました。</p>
<p><span style="color: #ff00ff;"><strong>「気を遣っていることは、必要以上に顔色をうかがって、相手に忖度をしながらすることだと思うんだ。でもね、大切な人に喜んでもらいたい、こうしてあげたいなって心から思えて自然に行動することは、気を遣うことじゃないんだよ」</strong></span>そう伝えた時、夫は驚いた顔をしながら<span style="color: #3366ff;"><strong>「そうだったんだ。とても素敵な言葉だね」</strong></span>と言ってくれました。</p>
<p>けれどもその言葉を導き出すには、随分と時間と心を使ってきたんです。</p>
<p>自分の気持ちを隠して、相手のことだけを考えるように生きてきたワタシの生き方は、まさに気を遣う人生でした。</p>
<h4><span id="toc1">喜んでくれるなら</span></h4>
<p>幼少期から相手が喜ぶことが一体なんなのかを、自然と身につけていました。</p>
<p>それは言葉を重ねた時の表情だったり、態度だったり、何を言えば機嫌が良くなって、何をすると不機嫌になるのかを肌で感じ過ぎていたからだと思います。</p>
<p>同級生の友人はいないけれど、それでも小さな社会の中で生活するには、ある程度の忖度も覚えなければいけません。</p>
<p>カーストというものがあるせいで、その人たちには言いたいことも言えないし、言ったら最後いじめの標的になってしまう。</p>
<p>きっと生きていくために身につけた技のように、顔色をうかがい、気を遣うことを覚えていきました。</p>
<p>気を遣えばつかうほど、相手はワタシに危害を加えなくなり、時には優しくしてくれることもありました。</p>
<p>そうやって一つひとつ、試しながら気を遣うことが癖のようになってしまったのです。</p>
<h4><span id="toc2">忖度へと移り変わり</span></h4>
<p>大人になれば社会に出て、色々な人たちと関わらなくてはいけなくなりました。</p>
<p>もちろん、ほとんどの人は優しい顔をして自分のことしか考えていない人ばかりでした。</p>
<p>そして当たり前のように空気を読んで、当たり前のように感情を読み取らなければいけませんでした。</p>
<p>朝から機嫌が悪い人がいれば気を遣い、思い通りに行かずにイライラしている人にも気を遣い、常に周りを見て、感情と表情を読み取って仕事をしなければいけませんでした。</p>
<p>心の底から<span style="color: #ff00ff;"><strong>「喜んでくれたら嬉しいな」なんて思うことはなく、「今日もどうか、怒られませんように」</strong></span>そんなくだらないことのために、自分自身の気持ちを犠牲にしながら忖度をし続けていました。</p>
<p>けれども結局は、全て無駄だったんです。</p>
<p>自分の機嫌を自分で取らない人たちは、全ての責任を相手に押し付けることで、優越感を感じ、自分の存在価値を確認する。その作業がしたくて、無意味に負の感情をむき出しにすることを、年齢を重ねるにつれて理解していきました。</p>
<p>そしてその行動に対して、誰かが<span style="color: #ff00ff;"><strong><span style="color: #ff0000;">「間違っている」</span></strong></span>と声を上げることは決してありません。</p>
<p>誰もが気を遣う場にいたら、考え方も思考回路も麻痺してしまっていたのです。</p>
<p>そうやってワタシは、いつまでも気を遣うことをし続けていました。</p>
<h4><span id="toc3">仕事を辞めて、得たものは</span></h4>
<p>仕事を辞めてから、忖度をする相手もいなければ、気を遣う人間もいなくなりました。</p>
<p>今までは常に肩に力が入り、<span style="color: #ff00ff;"><strong>「何かしら行動しなくては」</strong></span>と身構えていたけれど、そんな敵も、もういません。</p>
<p>すると少しずつ穏やかになっていく心にも変化があり、今目の前にいる人の力になれることがあるかを探すようになっていきました。</p>
<p>とは言ってもお金もない、体力もない状態でできることは限られています。</p>
<p>だから目の前にいる人が喜ぶことを想像して、小さなことでもやってみようと考えるようになりました。</p>
<p>一番身近にいる人といえば、夫だったり、友人だったり、私たちの家族だったり。</p>
<p>そんな人たちの顔を浮かべながら、喜ぶ表情を思い描いて、自分にできることを少しずつやってみることにしました。</p>
<p>すると今まで感じていた気持ちとはまるで違う感情が、芽生え始めていきました。</p>
<p><span style="color: #ff9900;"><strong>「ありがとう」</strong></span>その言葉を聞けるだけで気持ちは軽やかになり、表情も穏やかになっていく。</p>
<p>他の人からしたら当たり前にできていることでも、ワタシにとってはかなり労力を要するものもありました。</p>
<p>それでも嬉しそうな顔をしてくれたら、心の底から涙が溢れてしまうくらい、ワタシ自身も幸せな気持ちに満ち溢れていくようになったのです。</p>
<p>その時に初めて思いました。</p>
<p><span style="color: #ff00ff;"><strong>「そうか、今までは気を遣っていたけれど、これはきっと、気ではなく、心を遣っているんだな」</strong></span>と。</p>
<h4><span id="toc4">心遣いを日頃から</span></h4>
<p>とても簡単なことでも、相手のことを思い、そして喜ぶ顔を浮かべるだけで気持ちは随分と変わります。</p>
<p>それでも長年染み付いてしまった気を遣う性格は、中々変わるものではなく、いまだに抜けないことの方が多いです。</p>
<p>それでも、たまにふとした瞬間に心遣いをすることで、大切な笑顔を見ることができることに、ようやく幸せを見出せるようになってきました。</p>
<p>単なる言葉かもしれないけれど、ワタシは随分とこの言葉に救われたような気がします。</p>
<p>これからの人生を、気を遣って過ごすのではなく、心を遣い過ごしていきたいから。</p>
<p>きっと皆さんならもう、すでに気づいているかもしれません。</p>
<p>気遣いではなく、心遣いの本質を。</p>
<p>そしてその効果を・・・。</p>
<p>大切な人の顔を浮かべながら、今日もワタシはほんの少しだけ心遣いをしていきます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
					
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		<title>夫婦のカタチ</title>
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		<dc:creator><![CDATA[オリエンタル納言]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 28 Apr 2023 14:09:54 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[保育士時代の体験談・過去のトラウマ]]></category>
		<category><![CDATA[LGBTQ]]></category>
		<category><![CDATA[Xジェンダー]]></category>
		<category><![CDATA[夫婦]]></category>
		<category><![CDATA[家族]]></category>
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					<description><![CDATA[私たち夫婦に、決まった性別はありません。 どちらが男性で、どちらが女性でという概念もありません。 もしもカテゴライズするのであれば、それは「ヒト」ということだけです。 私は昔から、性別を二つに分けられるのが嫌いでした。  [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>私たち夫婦に、決まった性別はありません。</p>
<p>どちらが男性で、どちらが女性でという概念もありません。</p>
<p>もしもカテゴライズするのであれば、それは<strong>「ヒト」</strong>ということだけです。</p>
<p>私は昔から、性別を二つに分けられるのが嫌いでした。</p>
<p>どちらの側面も持っているのに、<strong>「あなたは女の子、だから女の子として必要なことを学びなさい」</strong>と言われることに、常に違和感を感じていました。</p>
<p>ただ恋愛対象は、29年間生きてきてずっと異性でした。</p>
<p>それはただ人生の中で、恋心を抱くような同性にあったことがないからだと思っています。</p>
<p>好きになることに性別は関係ない、それは幼い頃から持ち続けてきました。</p>
<p>そして、夫も同じように恋愛をしてきた人は異性だけれど、恋愛対象は全ての<strong>「ヒト」</strong>なのです。</p>
<h4><span id="toc1">あべこべな関係</span></h4>
<p>私たちは、時として役割が変わることがあります。</p>
<p>よく周りからも<span style="color: #ff00ff"><strong>「納言の旦那さんって女性らしいよね」</strong></span>と言われることが多いくらい、夫は少し女性の性質が多いようです。</p>
<p>どちらかというと私の方が、男性思考が強いのかもしれません。</p>
<p>だから一緒に生活していると、関係があべこべになることもありますが、そのほうが心地良かったりするのです。</p>
<p>互いに中性的な見た目と性格をしているからなのか、デートをしていると、周りから視線を浴びることがあります。特に私は格好も男性的な姿を好むので、きっと他人から見たら、男性同士が手を繋いで歩いているように見えるのかもしれません。</p>
<p>まだまだ、性に対して偏見を持つ人もいるようで、<strong>「あの二人ってなに？ゲイ？」</strong>とか<strong>「なんで男同士なのに手を繋いでいるんだろう」</strong>なんて、言われることも多々ありました。</p>
<p>そもそもどうして男性同士が、恋愛をしていることに嫌悪感を示すような言葉を発すのだろう。</p>
<p>好きになった人がたまたま同性だっただけで、愛する気持ちは何も変わらないのに。</p>
<p>根深い問題を浮き彫りにさせるような発言に、まだまだLGBTQが理解されない世の中だということも認識させられました。</p>
<p>それでも私は自分のスタイルを崩すこともしなければ、手を振り解くこともしません。</p>
<p>そして夫も、心無い声が聞こえてきても堂々と手を繋いで歩いてくれるのです。</p>
<h4><span id="toc2">自分らしさを捨てても</span></h4>
<p>夫と出会う前には、今までの付き合ってきた人たちに色々なことを言われてきました。</p>
<p><strong>もっと女性らしい服装にしてほしい。</strong></p>
<p><strong>スカートを履いて欲しい。</strong></p>
<p><strong>髪の毛を伸ばして欲しい。</strong></p>
<p>あげたらキリがないくらい、私とは真逆の理想像を押し付けられることがありました。</p>
<p>そして気づかないうちに、心も傷ついていたんだと思います。</p>
<p><strong>「どうしてありのままの私を、受け入れてくれないんだろう」</strong>って。</p>
<p>結局嫌われたくなくて、一生懸命似合わない服を着ていました。すると、心はいつもモヤモヤして、デートが楽しいと思えないことも多かったのです。</p>
<p><strong>無理やりスカートを履いている自分が、気持ち悪くて仕方がなかった。</strong></p>
<p><strong>髪の毛を伸ばし、別人になろうとしていることが苦しかった。</strong></p>
<p><strong>好きでもない服を着るたびに、無意識にため息が出てしまっていた。</strong></p>
<p><span style="color: #000000">なにより、私という存在を無視されているみたいで、飾りとしてしか見てもらえないような気がして辛かったのです。</span></p>
<p>しかし、どれだけ彼らに合わせて頑張ったとしても、数ヶ月も経てば、私と正反対の<span style="color: #ff00ff"><strong>女性らしい女性</strong></span>のところへ去っていきました。</p>
<h4><span id="toc3">それぞれのカタチ</span></h4>
<p>夫は私の容姿に対して、何か注文をつけたり、お願いをしたりすることはありません。きっとそれが普通のことだと思うけれど、私にとっては大きなことでした。</p>
<p>夫よりも短い髪にしても、男性的な洋服を着ても「君らしくて素敵だね」と言ってくれる夫には、感謝しかありません。</p>
<p>夫婦の数だけカタチがあり、個性がある。</p>
<p>それは周りが口を出すことではなく、二人が認め合っていたらそれでいいのではないでしょうか。</p>
<p>だからこそ私たち夫婦は、これからもありのままの姿で、自分たちの好きなスタイルを貫きながら生きていこうと思います。</p>
<p>無理に変えることは、自分を偽ることになってしまう。</p>
<p>そんな相手といる方が苦しくて、自分自身を失ってしまうことにもなるから。</p>
<p>皆さんには、大切なパートナーや家族はいますか？</p>
<p>それぞれの形を大切にしながら、自分らしく堂々と好きなスタイルを貫いてください。</p>
<p><strong>誰のためでもなく、自分自身のために・・・。</strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
					
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		<title>愛される意味を知った時</title>
		<link>https://orientalnagon.com/know/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[オリエンタル納言]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 18 Apr 2023 13:32:33 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[保育士時代の体験談・過去のトラウマ]]></category>
		<category><![CDATA[夫婦]]></category>
		<category><![CDATA[家族]]></category>
		<category><![CDATA[愛]]></category>
		<category><![CDATA[支え合い]]></category>
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					<description><![CDATA[私は夫と出会うまで、愛される本当の意味を知りませんでした。 当たり前のように相手が求めることをやり、愛を与え続けていました。 自分の個性を捨て、「理想の彼女」になるための努力ばかりをしていましたし、それが正しいとも思って [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>私は夫と出会うまで、愛される本当の意味を知りませんでした。</p>
<p>当たり前のように相手が求めることをやり、愛を与え続けていました。</p>
<p>自分の個性を捨て、<strong>「理想の彼女」</strong>になるための努力ばかりをしていましたし、それが正しいとも思っていました。</p>
<p>どこかで「きっと気持ちに応えてくれる日がくる」とか、「彼もきっと私を愛しているはず」と言い聞かせていたのかもしれません。</p>
<p>しかし現実は、そんなに甘いものではありませんでした。</p>
<h4><span id="toc1">尽くし過ぎた代償</span></h4>
<p>20歳の頃からマッチングアプリをやっていたので、付き合う人は近くの人ではなく、遠距離になってしまうことがほとんどでした。</p>
<p>近くの人を選べばいい話なのですが、中々地元や同じ県の人には連絡をもらえることがなく、違う県に住んでいる人とばかりマッチしていました。</p>
<p>やり取りを重ねて電話をするようになり、そして、自然な流れで交際がスタートしていく。初めの頃から手の内を明かしてくる人はいないので、第一印象は<strong><span style="color: #ff0000;">「とても優しくて誠実な人」</span></strong><span style="color: #000000;">と</span>いう印象がほとんどでした。</p>
<p>まめに連絡してくれる人、何かあるたびに褒めてくれる人、困った時には相談に乗ってくれる人ばかりでした。</p>
<p>惚れやすい私はまんまと彼らの作戦にハマり、考える期間もなく告白を受け入れて好きになっていました。</p>
<p>初めの頃は、それでも楽しかったです。</p>
<p>お互いに気を遣いながら接しているから、ぎこちなさはあるけれど、嫌な思いをすることはありませんでした。</p>
<h4><span id="toc2">無意識な上下関係</span></h4>
<p>遠距離の交際ではどちらかの近くに集合するか、それとも中間地点で待ち合わせにするかのどちらかだと思います。きっと、遠距離でも上手く関係を築けている人の多くは、互いに行き来したり、時には中間地点にしたりしながら負担を減らす努力をしているのではないでしょうか？</p>
<p>しかし、私たちの遠距離生活はまるで正反対でした。</p>
<p>当時私は実家暮らしで、相手は一人暮らしをしている人がほとんどでした。付き合いたてだったこともあり、気持ちばかりが先走っていました。</p>
<p>&#x1f49b;長く一緒にいたい</p>
<p>&#x1f49b;お泊まりをしたい</p>
<p>&#x1f49b;少しでも彼の役に立ちたい</p>
<p>そういった理由が重なって結果的に、私が彼の家まで車で行き、家でデートをすることがほとんどでした。</p>
<p>初めのうちはよかったです。</p>
<p>沢山会えるし、お泊まりもできるし、何より彼といる時間が長ければ長いほど、幸せを感じていられたから。</p>
<p>けれど保育士をしていた私の給料は安月給であり、彼に会うだけでもかなりの交通費やガソリン代がかかってしまいます。</p>
<p>正直貯金に回すお金もそれほどなく、ほとんどは彼と会うために消えていきました。</p>
<h4><span id="toc3">必死に会いに行って得たものは？</span></h4>
<p>毎週のように会いに行く生活は、徐々に疲れが出てきてしまいます。いっそのこと彼に自分の状態を伝えればいい話なのですが、それもすることはできませんでした。</p>
<p>心のどこかで「一人暮らしの彼の家に行く方が都合がいい」とか、「実家暮らしの私よりもきっと金銭面で大変だから」という勝手な理由を思い浮かべて、伝えることを避けていました。</p>
<p>しかし、3ヶ月が過ぎようとしたところで負担は大きくなり、「たまにはこっちに来てくれない？」と伝えると、初めこそ「いいよ！」と言ってくれても、2、3回来てすぐに前の生活に戻ってしまうのです。</p>
<p>それだけならまだしも、過去に付き合っていた元彼たちには<strong>「魔の3ヶ月の法則」</strong>がありました。</p>
<p>それは、3ヶ月を過ぎたあたりから優しい言葉は無くなり、徐々に容姿について注文をつけるようになる人、お金に極端にだらしなくなる人、自分の趣味以外でのデートは一切拒否する人など、それぞれの個性を出しながら、どんどん上下関係が出来上がっていきました。</p>
<p>7ヶ月を過ぎたあたりから対応はさらに冷たくなり、一年を待つかのように別れを切り出されることがほとんどでした。</p>
<p>そしてその多くが、私と関係を終わらせてすぐに、別の女性のところへと行ってしまうのです。</p>
<p>女性らしく、可愛らしい人のところへ・・・。</p>
<p>中には同時進行をされていたり、期間限定で欲を満たす道具のような存在に格下げされたこともありました。</p>
<p>どれだけ相手に尽くしても、愛を伝えていても、私の気持ちが届くことはありませんでした。</p>
<p>自ら遠いところまで来てくれて、尽くしてくれて、お金も使わなくていいし、面倒なこともしなくていい。ただその時間を退屈にしないようにしてくれる、彼女という名前の都合のいい女として扱うことは、彼らにとってある意味有意義だったのかもしれません。</p>
<h4><span id="toc4">痛みを知ることで・・・</span></h4>
<p>ここまで書いてきましたが、そんな不幸だった私もようやく夫と出会い、愛される本当の意味を知りました。</p>
<p>きっと普通のことなのかもしれないけれど、私には全てが特別なことばかりでした。</p>
<p>夫とも遠距離恋愛だったのですが、私が彼の家に行くのではなく、会いにきてくれたり、中間地点で会ったりしながらお互いに負担にならないようにしてくれました。</p>
<p>どんなことも楽しんで、何をするにも否定をしてくることもありません。</p>
<p>その代わり<strong>「僕は、知らないことを知ることが大好きなんだ。新しい発見を教えてくれてありがとう」</strong>と嬉しそうに言ってくれるのです。</p>
<p>それは結婚した今でも変わりません。</p>
<p>そんな夫だからこそ、私は結婚できたのだと思っています。</p>
<p>夫と出会う前、私は人生で最も不幸で惨めな生活を送っていました。恋愛も仕事もうまくいかず、信じかけていた相手に騙されて、100万円以上のお金を盗られかけたこともありました。</p>
<p>自分自身に失望し、生きる希望を失った時に出会ったのが夫でした。</p>
<p>もちろん、人生の全てが恋愛でも結婚でもないと思っています。</p>
<p>結婚をしていなくても、幸せの意味を知っている人は沢山います。</p>
<p>有意義な生き方をしている人も沢山います。</p>
<p>私自身結婚という形ではありますが、夫のおかげで生きる希望を与えてもらい、今もこうして好きなことをさせてもらっています。</p>
<p>ただそう思えたのは、元彼たちとの過去があり、傷ついた現実があったからだとも思うのです。</p>
<p><strong>なぜなら人は、痛みを知れば知るほど、同じ痛みを分け合い、寄り添うことができる、そこに本当の価値に気づくことができるからです。</strong></p>
<p>もしも、順風満帆で生きていたら夫と会うことも、恋をすることも、ましてや文章を書くこともなかったと思います。</p>
<p>恋をしている時、どれだけ理不尽なことを言われても好きという気持ちはありました。けれども、幸せを感じたことは一瞬であり、結局は、あっという間に崩れ去っていきました。</p>
<p>好きでいつづけるには、互いを尊重し尊敬しながら、同じ歩幅で同じ想いでいること、それが一番難しく、何よりも大切なことなのかもしれません。</p>
<p>&nbsp;</p>
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