ワタシなりの保育観

保育士時代の体験談・過去のトラウマ

今まで幾度となく保育士としての文章を書き綴ってきました。

きっとそれは、ワタシの中で保育士という仕事が、そして子どもたちと過ごした毎日が、かけがえのない大切な宝物として残っているからです。

辛いことも沢山あったけれど、子どもたちと一緒なら頑張ることができました。

大人から学ぶことよりも、子どもたちから学ぶことの方が本当に多くありました。

人生はとってもシンプルなんだと教えてくれたのも、子どもたちでした。

もしかするとワタシの保育観は、正しいものとは言えないかもしれません。けれども、日々過ごしてきた中で、先生と子どもたちという間柄ではなく、友人として接していることの方が多かったような気がします。

ただ年齢を重ねただけであって、ワタシにもまだまだ出来ないことは沢山ありました。

殻に閉じこもった心を簡単に解いてくれたのも、あの子たちだったんです。

毎日幼稚園にも保育園にも行きたいと思えたのは、子どもたちの存在がそれだけ偉大だったから。そして彼らと過ごした日々は、今のワタシ自身にも大きな原動力と生きる力を与えてくれているような気がします。

毎日をワクワクさせて

昔からサプライズ好きな性格もあって、子どもたちが楽しめることを突然始めるのが、ワタシの保育でした。

広い園庭に玩具を隠して宝探しをクラス全員でしたり、時には長い一列を作ってだるまさん転んだをしてみたり。

雨の日には、大きな木の下に集まって雨の音に耳を傾けたり、雨の日にしかできない遊びもよくやっていました。

しかしそれは、どこからかふと「みずたまりであそびたいね」とか「みんなでだるまさんをやりたいね」なんて言葉が、自然と子どもたちから出ていたからなんです。

いつも子どもたちに話していたのは、「どんなことも全力で楽しもう!」です。

そして、疲れた時には「サボるのもいいよね」と机を全部動かして、床にシートを敷いてゴロゴロしながら過ごしたこともありました。

もちろん先輩の中には、それをよく思わない人もいて、怒られてしまうこともあったので、なるべく見つからないようにこっそり、経験できないようなワクワクを毎日どこか一つ取り入れることがワタシの目標でした。

しかし、行事が近かったりすると、中々やれないこともあったので、そんな時には絵本の時間に部屋を真っ暗にしたり、音楽をつけて絵本を読むこともありました。

いつもと違う雰囲気に、子どもたちは少しだけ背筋を伸ばしながら、読み聞かせを夢中になって聞いてくれていました。

読んでいるこちらまで楽しくなってくるほど、子どもたちの熱い視線は嬉しかったです。

感情に素直になって

保育士の中でも時々、子どもたちの喧嘩やトラブルに頭を悩ませていた人がいました。

もちろんワタシも、新人の頃は対応の仕方が分からず、困ってしまうこともよくありました。

しかし、子どもたちの言葉に耳を傾け、話を聞いていると、どんな喧嘩にも思いがあることに気づいていきました。

嫌なことを言われた時の悲しい感情を上手く伝えられずに、泣けてしまうことがありました。

怒りに任せて相手を泣かせてしまったことに、後悔している場面もありました。

特に年齢が上がってくるほど、自分の気持ちや相手の気持ちが理解出来るようになってくるからこそ、喧嘩が起きてしまうこともあります。

保育の現場では喧嘩の仲裁に入ることを、「仲立ちをする」というのですが、ワタシは仲立ちをして、一から全て話を聞き出す行為があまり好きではありませんでした。

大人が入ってしまうことで、もしかしたら子どもたちの中には、言葉を選んでしまう子もいるし、あえて違う言葉を言って、心の中のモヤモヤが晴れないまま1日を過ごしてしまうことだってある。

それは今までの経験上、そんな子たちを何度も見てきたからこそ、年中さんや年長さんには、「まずは、どんなことでもいいから思っていることをお友だちに伝えてみたらどう?」と言って、一旦その場を離れ、遠くの方から会話が聞こえる程度の場所で、様子を見守ることにしていました。

すると子どもたちは、自分たちの言葉で嫌だったことを必死になって相手に伝えようとしていました。時にはヒートアップしそうになる場面もあったので、そんな時は偶然を装いながら、間に入るようにしていました。

そこからは、少しずつパスを渡しながら、なるべく自分たちの言葉で伝えられるように、気持ちを聞く作業をしていました。

どうして喧嘩になってしまったのか。

どうして、怒れてしまったのか。

もしくは、「ごめんね」と謝ったけれど、なぜ解決できていないのかを一緒に考えていきました。決して言葉で、「こうなんじゃないの?」とか「こういう気持ちだったからなのかな」というパスはしませんでした。

それはあくまでワタシの主観であって、彼らの意見で無くなってしまうから。

なるべく当事者同士が納得できる形で、話し合いをすることによって、解決をするのが一番いいことだと思っていたから。

そして意見を伝え合いながら、時にはぶつかり合った先に、仲直りすることが出来るです。

その光景を初めて見た時には、「ワタシができることは、間に入って言葉を伝えてあげるのではなく、話し合う機会を作って、とことん話をさせてあげることなんだ」と気づいた瞬間でもありました。

もちろんそれは、年齢に応じて対応は変わりますが、言葉で伝えられるようになった頃には、なるべく対話をさせることを重視していたんです。

それでも、数十人の子どもたちを同時に相手にしているから、時には喧嘩の現場を見逃し、トラブルが起きてしまうことだってあります。

そんな時は、子どもたちに「先生はその場を見ていなかったから、何が起きたかを教えてくれる?」と聞き、それでも分からなかった時には、周りの子にも助けを求めながら、一緒に解決することに全力を尽くしました。

見ているのが当たり前のことかもしれないけれど、やっぱり私たちも人間だから、全てを細かく見続けていることが出来ないこともありました。

そんな時は、知っていることを前提に話をせずに、「分からないんだ」と伝えることで、子どもたちも冷静に話をしてくれることがほとんどでした。

そして周りの子も、どちらが悪いという言い方はせず、その時に起こった状況を的確に教えてくれることの方が多かったです。

どんな場面でも、やっぱりワタシは彼らに助けられていました。

ありがとうを大切に

もう一つ、ワタシの保育で大切にしていたことがあります。

それが「ありがとう」と感謝の気持ちを言葉で伝えることです。

ただそれを、「ありがとうって言おうね」と話すだけでは、浸透することはありません。だからまず、日々の生活の中で、どんなに些細なことでも子どもたちに感謝を伝えるようにしていました。

スリッパを揃えてくれて、ありがとう。

ゴミを拾ってくれて、ありがとう。

お友だちにやさしくしてくれて、ありがとう。

そうやって言葉で伝え続けていました。

中には、誰かに見られているわけでもなく、当たり前のように整理整頓をしてくれたり、困っている友だちに声をかけてくれる子もいました。

そんな時は、「いつもスリッパを揃えてくれてるよね?先生嬉しかったから、みんなの前で、話してもいいかな?」と言い、みんなの前で感謝を伝え、クラス全員で「ありがとう」の気持ちを持てるようにしていきました。

すると純粋な彼らは、次の日からスリッパを揃えてくれるようになり、いつしかスリッパを揃えることが当たり前の習慣となったのです。

どんな些細なことでも、その場で褒めて感謝を伝える。

それはワタシの保育士人生の中で、とても大切にしてきた一つです。

大好きを伝えるスキンシップ

ワタシはスキンシップが大好きです。

乳児さんは、抱っこやおんぶをする機会はあるけれど、幼児になると無くなってしまうことが、とても違和感でなりませんでした。

ある先輩はワタシに、「あんまり抱っことかしない方がいいよ。もう年長なんだから」と言いましたが、それでもワタシはやめませんでした。

大人だって甘えたい時があるし、ハグしてもらったり、スキンシップの中で温もりを感じたいことがある。

それが子どもたちなら、尚更だと思うんです。

そのせいかワタシのクラスは甘えん坊の子ばかりでしたが、抱っこをしながら温もりを与え合い、おんぶをしながら成長を感じる。それは言葉なんてなくても信頼関係の中で、とても重要な一つだと思うのです。

この世に生まれてまだ数年の子どもたちが、親御さんの元を離れて集団生活を送ることに、多少なりともストレスがあると思います。

どこか我慢している部分だってあるし、頑張りすぎている部分だってある。

年中や年長になればお兄さんお姉さんと呼ばれ、っかりしないと」と責任感だって出てくる。だからこそクラスだけは、緊張せずに全力で甘えられる場所であってほしいと思っていました。

だからワタシは、毎日のハグを欠かさずに行っていました。

そして時には、おんぶをしたり抱っこをしながら、二人だけの時間を作るようにしました。

クラス全体の先生でもあるけれど、一人ひとりが大切で大好きなんだと伝えるようにして。

過去のトラウマから

まだ3歳になったくらいの頃、ワタシは託児所に預けられていました。

幼いながらに託児所の先生が大っ嫌いで、ある時には、駐車場のマンホールにしがみついて、大泣きをしたこともありました。

覚えているのは、とても意地悪な先生がいて、嫌なことばかりをしてくる、それだけです。

もちろん甘えさせてくれた記憶もなければ、その先生の車を見つけた途端に泣き喚くほど大っ嫌いでした。

まだ3歳になったくらいなのに、今でもあの記憶は鮮明に覚えています。

しかし、中にはその先生に優しくされている子がいたことも覚えているんです。

幼いながらに悲しい思いをしたのが、託児所でした。

そして数十年が経ち、ワタシは保育士になったのですが、この時に心に誓ったのです。

「子どもたちに悲しい思いは絶対にさせない先生になろう。どれだけ小さくても、記憶は残り続けてしまうから」と。

それがワタシの保育観を形作る1番の根幹になったのかもしれません。

保育士から離れて

保育士という職業を離れて、一番初めに見た保育に関するものは、虐待のニュースでした。

こんな形で保育士という職業が取り沙汰され、世間からの意見もとても厳しく、まるで全ての保育士がしているように書かれている記事もありました。

保育士という仕事は、今でも素晴らしい職業だと思っています。

あの頃の自分の行動に後悔もなければ、誇りさえ持っています。

しかし残念ながら、保育の現場はとても厳しく、人手不足や昔ながらの体制の不自由さ、そして自分の言いたいことをズバズバと言う人ほど、仕事ができると重宝される現状も、保育士の心を疲弊させていく原因の1つだと思うんです。

良い保育士ばかりを見てきたわけではないので、中にはひいきをする人もいれば、自分の感情に任せて子どもや大人に限らず、八つ当たりをしている人も見てきました。

しかし、これだけは知ってほしいです。

世の中の全ての保育士がそうではなく、ごく一部であることを。

そして、褒められるような保育をしていない人も、きっと昔は、子どもたちのことが好きで、やりがいや思いがあったはずだということも。

虐待は、絶対に許されるわけではありません。

ただ、子どもたちがのびのび過ごし、そして心も体も成長をする過程の中には、保育士という存在がそばにいることも少しだけ、知ってもらえたら嬉しいです。

ある時、「なごんせんせいとおなじほいくしさんになる」と言ってくれた子がいました。

その言葉を聞いた時、心の底から保育士をしている自分に誇りを持つことが出来ました。

色々なニュースや評判がある中でも、保育士というものに憧れを抱き、目指そうとしてくれている人がいる。

そんな未来ある人たちの希望を奪わないためにも、そして、ワタシと同じ道を辿らないようにするためにも、ワタシはこれからも伝え続けていこうと思うんです。

子どもたちと過ごした毎日や、思い出を。

そして、保育士という仕事の素晴らしさを。

それが今のワタシにできることだと思います。

最後に

保育の現場にいて約8年、本当に色々な事がありました。

現場にいないと分からない苦労や辛さ、そして改善されない現状のもどかしさがいっぱいあると思います。

けれども保育士という職業は、本当に素晴らしいものだと感じています。

子どもたちの成長を近くで感じられること。

大人になって忘れていたことを気づかせてくれたり、時には一緒に成長させてくれるのも、この仕事の魅力の一つだと思います。

まだまだ保育士という職業が理解されない部分もありますが、子どもたちのために毎日奮闘している姿に、感謝している人は大勢いると思います。

ただどうか、頑張りすぎないでください。

子どもたちは、先生の笑顔が大好きです。

そしてどんな表情をしているのかも見ています。

だからこそ無理だけはせず、自分自身を大切にしてください。

保育士を目指している方へ。

保育士という仕事は、とても素敵です。

実習や勉強では分からなかったことが、毎日起こります。そして、どれだけ年数を重ねた人でも、悩んだり、考えたり、時には向き合うことをしています。

ただ、子どもたちの可能性は無限大です。

そして彼らのパワーは、時に自分自身に勇気をくれたり、人生を教えてくれることだってあります。

大人になると忘れてしまう気持ちを、彼らは持っていて、色んな形で知らせてくれるんです。

先生と呼ばれる日が来たら、子どもたちと同じように沢山遊んでください。

同じ目線に立つのも大切ですが、一番大切なのは対話をし、心を開き合うことだと思うから。

どれだけ小さくても彼らも同じ人であり、尊敬する部分が沢山あります。

大変なこともあるけれど、あなた自身のやり方で、子どもたちとの楽しい日々を送ってほしいと思います。

いつか先生と呼ばれる、その日を思い描きながら。

 

そして最後に、彼らがくれた言葉の一つを綴り、終わりたいと思います。

せんせい!ぼくはね、わらってるときがいちばんすきなんだよ。だってね、みんながうれしいきもちになってるってことだもん。みんながうれしかったら、ぼくもうれしいから。

 

 

 

 

 

ナイーブな私に勇気をください

  1. TK1979 より:

    ワタシの···を読んで

     スキンシップ·コミュニケーションを絶たれてしまうと、何があったのかまた何を思い考えているのか、さっぱり分からなくなります。
     ふと脳裏に浮かんだのは、納言さんがクローゼット?かに閉じ込もった時の事です。
     パートナーの方は優しく子供に話しかけるようにコミュニケーションをとり、そっと寄り添いスキンシップをとりました。
     大変失礼な表現でお許しを···
     パートナーの方はまるで納言さんの保育士?だ·だ·だめだ失礼すぎる。
     納言さんとパートナーの方と笑いながら楽しいこといっぱいして下さいね。ありがとうございます。

    • オリエンタル納言 オリエンタル納言 より:

      いつも読んでくださり、ありがとうございます。ワタシが保育士としての保育観を見つめ直せたのは、きっと彼に出会ってからなんだと思います。
      突き放したり、強く言葉で伝えることは簡単です。一番難しいことは、相手を受け入れながら時には寄り添い、どうするべきなのかを一緒に考えることのような気がします。
      それが優しさと呼ばれ、そして思いやりへと変化していくような気がするんです。
      子どもたちと関わった約8年、至らないところも本当に多くありましたが、それでも一本の信念は曲げることなく、けれども時には柔軟に考えていくことを学びました。
      子どもたちとの関わりが、そして彼がしてくれた一つひとつが、ワタシの人生を大きく変えてくれたのかもしれません。
      最後に、とても素敵な言葉を添えてくださり、とても嬉しかったです。
      そしてTK1979さん自身が、笑顔で楽しく過ごせる毎日を送られる事をワタシ自身も願っています。

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