久しぶりにリクエスト企画を行い、多くの方々に答えていただきました。
いつもなら自分の書きたいことを思い浮かべて、その時の感情を思い出しながら、自分なりの言葉で伝えています。
しかし、エッセイを書く中で「もっと多くの人に読んでもらうには、読者の読みたいことを書いてみよう」そんなことからこの企画を始めました。
最初は少なかったリクエストも、一つまたひとつと増えていき、何よりワタシだけでは思いつかなったことを書けるいい機会を与えていただいています。
そんな中で、今回来たリクエストの一つに「クレヨンしんちゃん愛について」というテーマを頂きました。
フォロワーさんでもあり、作家でもあり、そして友人でもあるクマちゃんの作ったショルダーにも、沢山のしんちゃんの缶バッジとキーホルダーをつけて、持っている物なんかもクレヨンしんちゃんグッズばかりです。
こんなにグッズをかき集めて、ある時には聖地巡礼するほど大好きなのですが、今回はそんなクレヨンしんちゃんについての愛を、熱く書き綴っていきたいと思います。
それでは、スタートです!
好きになったきっかけ
今でも忘れられない回があります。
それは、しんちゃんがとうもろこしを持って踊る“伝説のモロコシダンス”の回です。
「トウモロコシダンス、モロコシシッシッシッ🎵」というダンス。笑
あれを見た時、「なんて面白いアニメなんだ!!!」と感動さえ覚えました。
久しぶりに見た時には、「どうしてあんなのに感動したんだろう」と当時の感動は薄れてしまいましたが、それでも衝撃的なダンスとコミカルなフレーズに、子ども心は鷲掴みにされたのです。
我が家は家族揃ってクレヨンしんちゃんが大好きで、特に見ることを制限されることもなければ、むしろ一緒になって見るほど好きでした。
しかし、そんなクレヨンしんちゃんを心の底から好きになったのは、やっぱり映画を見た時でしょう。
オトナ帝国とアッパレ戦国大合戦
以前にもオトナ帝国の話をエッセイで書いたのですが、初めて見た時、しんちゃんが東京タワーを何度も転びながら必死で登ろうとする姿に感動し、そして涙を流しました。
どこか子どもながらに「懐かしさってなんだろう」と意味を知りたくなり、二十歳になるまで、その映画を封印し、数十年越しに見た時には、懐かしさの本当の意味を知るきっかけになったほど、ワタシの中では人生を大きく変えた映画の一つです。
二十歳になった冬、もう一度オトナ帝国を見たワタシは、全く別のシーンで涙を流し、そして気がつけば胸に手を当てて「懐かしいって、こんな気持ちだったんだ」と身をもって体験しました。
言葉では言い表せないけれど、映像を見ながら、過去の自分と重ね合わせ、両親と過ごした楽しかった日々、怒られて泣いたあの頃、そして戻りたいと思う瞬間。
そのどれもが全身を駆け巡って、ワタシに懐かしさを知らせてくれました。
もう戻ることができない過去に、もう一度戻ってみたい。そんな気持ちにさせてくれたのも、あの映画でした。
子どもの頃に見た視点と、大人になってからの視点ではまるで感じ方も考え方も違うことに驚いて、そして気がつけば涙を流していたんです。
「ワタシも大人になってしまったんだ」って。
「もう子どもの頃みたいに、父ちゃんに肩車されたり、母ちゃんの読み聞かせを聞いたりすることもなくなってしまった」そんな寂しさが込み上げてきました。
あんなに大人になることに期待をして、待ち焦がれていたのに、大人になってしまうと途端に子どもに戻りたくなってしまう。
それもあの映画を見て気付かされました。
そしてもう一つ、ワタシの心を揺れ動かしたのはアッパレ戦国大合戦でした。
しんちゃんは正面で泣くことをしません。他の映画を見ていても、涙を見せる時は、後ろを向き、背中を振るわせながらスーッと頬に涙が伝っていく。
それなのに、この映画では正面を向いて涙を流すんです。
大好きでお世話になった侍の死によって。
過去に遡り、戦国時代の大きな戦に立ち会った時、普通ならコミカルではなくシリアスに描かれるはずなのですが、途中まではとてもコミカルで戦をしているようには感じさせないんです。
野原一家の活躍のおかげで戦に勝利し、喜びのまま城へと向かう途中、お世話になった侍は銃で撃たれ死んでしまう。
このまま「よかったね」と言って終わることだってできたはずなのに、あえて死と向き合わせることで、心の成長を描いたのかもしれません。
侍のトレードマークである青地に雲のマーク、そしていつもぼーっと空を眺めていたことから、周りからは「青空侍」なんて呼ばれていました。
そして最後に、映し出された空を見た戦国時代の姫様、廉姫(れんひめ)様が涙を流してこう言うんです。
たった一言、「おい、青空侍」と・・・。
ワタシはこの2つの映画を見て、涙を流します。
そして見た後には、なんとも言えない感情が全身を包み込んで、色んなことを考えるんです。
しんちゃんに人生を学んで
クレヨンしんちゃんは、子どもに見せたくないアニメとして一位を取り続けてきました。
お尻を出したり、下品なことをすることも多いです。
また時代のせいもあって、みさえのゲンコツもグリグリもなくなってしまいました。
けれども、ただのおバカアニメではなく、多くの教訓を与えてくれたアニメだとワタシは思うんです。
映画の中で感動するのはもちろんのこと、普段のアニメ回でも数々の名作を生み出しています。
家族とはなんなのか。
友だちとはなんなのか。
地域や周りの人とはなんなのか。
平凡な日常の中には、忘れかけてしまったこと、大切にしなければいけなかったことも伝えられているような気がします。
小さい頃からクレヨンしんちゃんが好きだと言うことは、人には言えませんでした。
それでも好きな気持ちはずーっと変わらず、そして今でも人生のバイブルと言っても過言ではないほど、しんちゃんからは多くのことを学んでいます。
クレヨンしんちゃんを見ていたワタシが、数十年後には保育士になって、同じ年の子たちを相手にするようになった。
それもまた、何かの縁なのかもしれません。
納言先生としんちゃん
これはまだ保育士をしていた頃の話ですが、子どもたちには、ワタシがしんちゃんが好きなことを話していました。
持っている物も、手紙の返事を書く紙も、もちろんしんちゃんグッズで固めていました。
さらにエプロンもしんちゃんだから、保護者の方もしんちゃんグッズを見かけた時には「先生、しんちゃんグッズこの前あったよ」なんて教えてくれることもありました。
そんなある日、一人の子がワタシにこんなことを言ったんです。
「せんせいはおとななのに、どうしてしんちゃんがすきなの?」と。
色々考えながら、こう伝えました。
「好きなものに、大人も子どもも関係ないんだよ。大人でもアニメが好きな人は、沢山いるんだよ?好きって気持ちはね、大人になっても変わらないんだ。だから先生は、ずっとしんちゃんが好きなんだ。大切な思い出も沢山あるから」と。
すると「じゃあわたしもおとなになってもプリンセスすきっていっていいの?」と聞かれたので、彼女の手を優しく握りながら「もちろん!!好きな気持ちが続く限り、ずっと好きって言っていいんだよ。その気持ちは大切な気持ちだから、忘れないでね」と伝えました。
変わらない気持ち
子どもに伝えた通り、ワタシは今でもクレヨンしんちゃんが大好きです。
グッズを見かければ即買いしてしまうし、映画を見ればもちろん号泣します。
どれだけ歳を重ねても、この気持ちが変わることはありません。
誰にだって心に残る思い出のアニメや、大切にしているものがあると思います。
大人になっても子どもに戻ったようにワクワクしながら見たり、時には集めたりすることもあるでしょう。
その気持ちは、決して忘れてはいけない大切な気持ちだと思うんです。
誰かに何かを言われたとしても、たとえ理解されなくても、その気持ちだけは忘れてはいけないんです。
もしもあなたにも、大切な何かがあるのなら、いつまでもその気持ちを忘れないでください。
たとえ誰かに否定されるようなことがあったとしても、貫き通してほしいと思います。
自分の心に多くの影響を与えたものと出会えることなんて、そう滅多にありません。
好きだと言う人もいれば、嫌いだと言う人もいる。
変だと言う人もいえば、理解できない人だっているかもしれない。
けれど自分が好きだと思う気持ちがあるのなら、曲げずに持ち続けてほしいと思うのです。
あなたにしか分からない、大切な思い出が、好きなものにはきっと沢山詰まっているはずだから。
そしてワタシ自身も、この人生の中で、クレヨンしんちゃんと出会えたことは、大きな財産となっています。
ナイーブな私に勇気をください