エッセイを書き始めてから4年目を迎え、始めた頃から応援してくれた友人たちとは数々の気持ちを共有しながら一緒に夢を追いかけてきました。
エッセイを書いている時は多少の孤独はつきものですが、作品を読んでもらい、感想やアドバイスをもらったりしながら一緒に作品を作り上げてきました。
弱音を吐きそうになった時は、「しっかりしろ!」と尻を叩かれ、嫌なことが重なりすぎてやめそうになった時には「お前の夢はそんなもんか!」と喝を入れられます。
そんな友人たちは、心の底からワタシの夢を応援してくれています。
そして誰1人として、「納言の夢は叶わないから、諦めた方がいい」とは言いませんでした。
擦り切れた心と共に
以前応募した「〇〇ノンフィクション賞」は、ワタシの力不足ももちろんありますが、それと同時に大人の事情によりまさかの「大賞者なし」という結果になりました。
結果報告のメールが届いた時には、あまりの衝撃と追いつかない理解の中で頭の中が真っ白になってしまったのです。
たまたま出先だったこともあり、多少は気分がまぎれたけれど、家に帰り彼の顔を見た瞬間に玄関で崩れ落ちるように泣きました。
その姿を見て、彼も同じように泣いていました。
ある程度の事情も話した上で友人たちにも結果を報告しました。
その時のワタシは「自分に才能がないからだ」そう攻める言葉をたくさん並べていたと思います。
けれども友人たちの反応は、まるで違っていました。
LINEで想いを伝えてくれた友だちもいれば、すぐさま電話をかけてくれた友人もいました。
そして反応はみんな同じで、ワタシ以上に怒りに震え、そして電話越しやLINEのメッセージ越しからも伝わるやるせなさをヒシヒシと感じられたのです。
「怒っていいんだよ」
ある友人はワタシにこう言いました。
「事情は分かる。でもね、こんなことされて黙ってるのはおかしいよ。自分の作品にもっと誇りを持たないと。命を削って書いたんでしょ?なら、自分が思ったことをきちんと相手に電話で伝えな。このまま何もせずにモヤモヤした気持ちで終わらせるなんて絶対ダメ!言わずに後悔する選択はありえないよ。思うことがあるんでしょ?なら我慢せずに伝えるんだよ」と。
その言葉を聞いてから、ワタシはずいぶん悩みました。
本当に気持ちを伝えていいのだろうか。
才能と運がなかっただけなのではないだろうか。
あらゆる気持ちがぐちゃぐちゃになっていたと思います。
すると彼は、ワタシの目を真っ直ぐ見つめてこう言ったのです。
「納言ちゃんに才能がないと思ったことは、一度もないよ。納言ちゃんの友だちはみんなきっと僕と同じ気持ちだと思うよ。納言ちゃんを応援し続けてきて、時には支える側になっていたのに、それを蔑ろにされたんだ。これは納言ちゃんに同情してるわけじゃない。自分たちの気持ちも含めて蔑ろにされてるから怒ってるんだよ」と。
「おかしいことをおかしいって言っていいのかな・・・。『落ちたのに』って思われないかな」
「いや、そんなことはない。間違った時は声に出さないといけないよ。我慢することが正義じゃないし、受け入れることが正しいとは限らない。自分の作品を守るために、そして応援してくれた人たちの気持ちを守るためにも、納言はここで立ち上がらないと」そう続けて言ったのです。
想いをぶつけ、前に進む
次の日ワタシは友人たちや彼からもらった想いを胸に、主催者に電話をしました。
1時間の中であらゆることを話しました。
賞を取れなかったことを嘆いているのではなく、自分の作品を、この賞に応募した人たちの想いを、そして支えてくれた人たちの気持ち、全てをぶつけるようにして・・・。
結果が変わることを期待したわけでも、話したからといって「ワタシを大賞にしてほしい」そんなことを言うためでもありません。
ただ自分自身の思いとけじめをつけ、そして前を向くためにも話す必要があったと思っています。
全てを話し終えても、なかなか気持ちが晴れることはありませんでした。
前に進む気にもすぐにはなれませんでした。
けれども彼と友人たちに結果を報告した時には、「よくやったよ。前に進む準備は整った。きっと時間の流れが解決してくれるよ。書きたいと思った時にまた書けばいい。それまで、ゆっくり自分の心と体を労ってあげて」そう誰もが言ってくれたのです。
前進のための最初の一歩
あの頃からワタシはまだ、気持ちの整理がつかない日々が続いています。
マイナスな感情が生まれて「才能がないかもしれない・・・」そんな風に考えてしまうこともありました。
けれどもふと思ったんです。
ワタシにあるのは「才能」ではなく、応援してくれる家族や友人、そしてブログを読んでくれる人たちの大きな繋がりが。
そしてどんな感情も包み隠さず真っ直ぐ書くことができるのが、ワタシの唯一の武器だと改めて感じています。
文学が何かとか、文章の上手な書き方とか、そんなことは全くと言っていいほど分かりません。売れない作家の割に、実は本を読むのも得意ではありません。
だからこそ、ワタシにしか書けない文体があるのかもしれない。
伝えられることが別にあるのかもしれない・・・そう思うようにしました。
原動力はいつも、「復讐」から
この数ヶ月、本当に色々なことがありました。発表までの7ヶ月間は生きた心地がしませんでした。
結果があのような形になり、一旦は目標を見失いかけてしまった。けれども、ワタシがエッセイを書き始めた大きな一歩は「復讐」です。
いつか、「納言を選べばよかった・・・」と思ってもらえるように。
今の姿からは想像もつかないほどの人になれるように、これからも書き続けていこうと思います。
ワタシの作品が本になった時、石川県の被災地に支援をする第2の目標を実現するためにも。
まだまだやれることは、きっとある。
そして挫けそうになった時には、あらゆる人に言葉をもらい、そしてその度に心のギアを入れていこうと思うのです。
愛のある喝によって…。
「納言の夢は、もはや1人の夢じゃなくなってる。あらゆる人たちの想いを背負ってやってることを覚えておいて。同じように夢を追いかけてる1人として息が切れるまで、最後の力が出なくなるまで、とことんやってみようよ。そのためなら、どんな苦悩も一緒に分かち合うから」
コメント ナイーブな私に勇気をください
怒りの応援を読んで
納言さんの色々な想いが綴られた、今回のエッセイでした。
営業でもそうですが10回断られて、11回目のモチベーションをどの様に行うか、思案のしどころですね。
当初から今回の結果に関わらず次回作品を模索するか、一呼吸おいて同様な内容の図書を読んで見るか、時間は一杯あるので、納言さんなりのアクションで前に進まれると考えます。やってもやらなくても時間(とき)は過ぎていきます。
ありがとうございました。
いつも読んでくださり、ありがとうございます!
今回の賞にかけていた思い、そして、応援してくれていた人たちの多さにワタシ自身も改めて自分の夢は、ワタシだけのものではないことを再確認しました。
今はまだ、踏ん切りがつかず迷い途中にいますが、少しずつ前を向いていけるように気持ちを切り替えていこうと思います。
温かく優しい言葉、本当に救われました。