20歳の時、幼稚園に就職をしました。
希望と不安を胸に抱いて、新しい生活に期待をして、子どもたちと過ごせる毎日を夢に見た春。
外は桜が舞い散り、今まさに社会人になろうとしているワタシの背中を押してくれているようでした。
沢山イメトレはしていたんです。
子どもたちと一緒に走る園庭も、会話に花を咲かせて一緒に成長する日々も。
この日、ワタシは保育士になりました。
憧れの先生に
まだ4歳だった頃、当時担任だった先生は、怖い時もあったけれど大きな愛で包み込んでくれるような人でした。
何か悪いことをすると「あぁ〜!」と言って怖い顔をしてくるんです。
でも最後には、胸に手を当てて魔法の言葉をかけてくる人でした。
「先生はね、納言ちゃんが大好きだから、こうやってお話をするんだよ」その言葉にまんまと虜にさせられたのが、4歳のワタシです。
いつも先生の後ろをくっついて、先生のことが大好きでたまりませんでした。
ニカっと笑う先生の顔は、当時のままで止まっています。
単純なワタシは、ずっと先生と一緒にいたいと思うようになり、「いつかせんせいになって、ずっといっしょにいたいんだ」と話すようになりました。
すると、「納言ちゃんも保育士になるんだね。先生、すごく楽しみだな」と手を繋ぎながら応援してくれたのです。
その言葉が嬉しくて、優しくて、大きくなったら保育士になりたいという夢ができました。
それから保育士になるために、子どもながらに小さい子のお世話をして、弟の面倒もよく見ていました。
物心ついた時から、自分よりも小さな存在を大切にすることを意識するようになっていったのです。
夢はいつまでも変わらずに
保育園を卒園してからも、保育士になりたいという夢が変わることはありませんでした。
自由研究には、保育を題材にしたテーマで書いてみたり、まだルールがそれほど厳しくなかった時代だったので、保育園に手伝いに行ったこともありました。
年齢を重ねるごとに、保育士という職業への憧れも強くなり、「いつか、素敵な保育士になるんだ」という気持ちを絶えず持ち続けていました。
小学4年生の時の二分の一成人式で書いた手紙には、「保育士のために学校に行って、勉強をしていますか?」とまで書かれており、二十歳になって送られてきた手紙を読んで、「こんなに熱い思いがあったんだ」と自分でも驚いたほどです。
それも全ては、先生と同じ保育士になりたくて、一緒に働きたくて、子どもたちのそばで色々なことを経験したかったからでした。
理想と現実
とうとう二十歳になり就職をしましたが、思い描いていた保育士とはまるで違う世界がそこにはありました。
初めて就職した場所が幼稚園ということもあり、遊びではなく勉強を中心としていたり、やることも多く、思い描いていた日常とはまるで違うことばかりが起きていました。
子どもたちと関わることよりも雑用が最優先だったし、先輩よりも先に行動することを求められたし、電話も競争のように取ることが当たり前の環境でした。
しかし、一年目の時は同じ学年の先輩や同期に恵まれ、忙しい中でも楽しく過ごすことができていました。
中には厳しくて、ここでは話せないような非現実的なことも沢山ありましたが、それも先輩たちと一緒なら何とか頑張って乗り越えることができました。
初めて受け持ったクラスは年少クラスで、子どもたちも初めての幼稚園に毎日泣いてくる子、不安を隠しきれずにいる子、中には場面緘黙の子もいました。
今のワタシには何ができるのか、一年目でも子どもたちと向き合い続ければ、きっと気持ちは伝わると、本当に日々がむしゃらに仕事をしていたんです。
少しずつ打ち解けて
初めの3ヶ月は、やっぱり上手くいかないことばかりだったから、自分でも納得がいかなくて、後悔と反省の日々でした。
常に子どもたちのことを考えながら、「どうしたら、もっと保育がうまくいくんだろう。どうしたら子どもたちと仲良くなれるんだろう」そんなことを模索していくばかりでした。
しかし、4ヶ月を過ぎたあたりから、子どもたちもワタシの名前を呼んでくれるようになり、何かあれば頼ってくれたり、助けを求めたりすることも増えていきました。
何より、一番助けられたのは保護者の方の支えも多かったのです。
新人ということもあり、よく声をかけてもらっていました。
「先生!いつもありがとうね」
「あんまり無理しないでね」
「うちの子のことで困ったことがあったら、いつでも言ってね」と支えてもらうことも本当に多くありました。
新人だからできることも限られているし、もちろん出来ないことの方が多いはずなのに、それでも一人の先生として、保育士として見てくださることが、ワタシに自信とやりがいを与えてくれたような気がします。
子どもたちとの信頼関係も少しずつ出来上がっていくと、今度は子どもたちから何かを手伝ってくれたり、助けてくれることも多くありました。
ワタシ一人の力ではなく、多くの支えがあって、そして保育は成り立っていく。その基盤を作ってくれたのが幼稚園時代の日々だったのだと思うのです。
年に一度の交流を
実はワタシは、社会人2年目で幼稚園から逃げています。
毎日のパワハラに耐えきれず、逃げるように仕事に行かなくなってしまいました。その過程には色々なことがありましたが、結果的に仕事を辞めることになりました。
2年目の時は、年長の担任をしていたということもあり、子どもたちを送り出すこともできずに、ただただ後悔だけが残っていました。
「もっと自分が強ければ。もっと我慢すれば」そうやって自分を責めることでしか、心を保つことができなかったんです。
けれども、思い出すのは子どもたちの笑顔だったり、一緒に過ごした日々だったり。
それでも逃げてしまったワタシに、子どもたちに会う資格などありませんでした。
しかし、その一年後、一番初めに受け持ったクラスの保護者の方が声をかけてくださり、ワタシと子どもたちだけの卒園式を行ってくれました。
空白の一年があったから、子どもたちも大きくなっていましたが、それでも会った瞬間に「なごんせんせいだ!!!!」と駆け寄って色んな話をしてくれました。
限られた時間の中で、止まった時間を取り戻すように全力で遊びました。
久しぶりに子どもたちに触れて、一緒に遊んだあの日。
ワタシはもう一度だけ、保育士になることを決めました。
新しい場所で、もう一度先生になる決意をしたんです。
数年の月日を経て
あれから半年に一度、幼稚園の子どもたち数名と会っていました。
少しずつ大きくなっていく姿を嬉しく思いながら、それでもどこか面影を懐かしく感じていたんです。
大きくなっても「先生」と言ってくれること、そして好きで居続けてくれたことは、本当に感謝でいっぱいです。
あれから8年の月日が経ち、ワタシは結婚をしました。
結婚式には幼稚園時代に見ていた子も数名足を運んでくれて、あんなに小さかった子たちと肩を並べて写真を撮る日が来るとは、全く想像もしていませんでした。
しかし一人の子だけは予定が合わず、会うことができませんでした。
一通の手紙
結婚式から半年以上が経ったある日、我が家のポストに一通の手紙が届いていました。
そこには見覚えのある名前が丁寧に書かれており、まさかと思い手紙を広げてみると、結婚式に来られなかった子からのお祝いの手紙だったのです。
中学生になった彼女の字は、3歳だった時とはもちろん違うし、とても丁寧に書かれた字に敬語で文章が組み立てられていました。
学校生活の話。
新たに出会った友人のこと。
そして今ハマっている趣味のことなんかも書かれていました。
とても嬉しく思う反面、敬語で書かれた文章を見てちょっぴり寂しさを覚えていました。すると最後のページには、「納言先生!!大好き!」と一番目立つように書いてくれていたのです。
その手紙を読みながら泣いたのは、言うまでもありません。
あれだけ小さかった子が、こんな素敵な手紙を書いてくれたこと。
そして学校生活を謳歌し、友人にも恵まれ、やりたいことを楽しんでいること。
本当に嬉しかったです。
そして改めて、心の底から「保育士をしていてよかった」と思った瞬間でもありました。
保育士として過ごした数年間
幼稚園と保育園の両方で働いたワタシは、運の悪いことに職場環境や人間関係には恵まれませんでした。
幼稚園では幼稚園の辛さがあったし、保育園では保育園の辛さがありました。
専門的な職種だからこそ、それぞれの思いも強く、そして偏ってしまうことも多くありました。何より昔ながらの方針や横暴な態度に振り回されて、疲弊した環境の中での仕事は、辛い記憶があっという間に蘇ってきます。
ただ、全てが悪いわけではなく、ほんの一部の人たちによって壊されてしまったんだと思うんです。
今でも幼稚園時代や保育園時代の同僚や先輩との関係は続いているし、友人として接してくれている人も、もちろんいます。
そして保育士を辞めた今でも、バッタリ外で会うと「せんせい〜!!」と手を振って名前を呼んで、昔のように話をしてくれることも、未だにあるんです。
その瞬間だけは、ワタシが先生に戻ることが出来る特別な時間です。
とても辛いことが多かったけれど、子どもたちと過ごした数年間は、今でもかけがえのない思い出として、心の中に残しているんです。
保護者の方にかけてもらった言葉だったり、子どもたちとの日々だったりが、今でも生きていく原動力になっています。
ワタシはこの先、保育士という仕事に就くことは、もうないかもしれません。
そして今まで見ていた子たちも大きくなるにつれて、少しずつワタシのことを忘れてしまうかもしれない。
それでも、あの子たちと過ごした日々が消えるわけではないから。
ワタシはこれからも、幸せだった日々のことを思い出し、それを糧として生きていこうと思います。
保育士をしていて、唯一良かったこと。
それは子どもたちと出会い、大切な日々を一緒に過ごさせてもらったことです。
この気持ちを忘れず、これからもあの子たちの先生で居続けていたいと思います。
最後に
大きくなったみんなへ
学校は楽しいかな?
お友だちと仲良く遊んでいますか?
小さかった頃のみんなの顔は、今でも忘れません。
一緒に走ったり、遊んだり、時には喧嘩をしたこともあったよね。とてもパワフルで、真っ直ぐなみんなのことが今でも大好きです。
学校に行くと、小さい頃と比べて色々なことが出来るようになったと思います。
時には、悩んだり傷ついたりしてしまうこともあるかもしれません。
けれどそれは、あなたたちが大きくなるために必要な感情だから、忘れないでいてね。いつか、その気持ちも前向きに考えられる日が来ると思います。
みんなと過ごした毎日は、今でも先生にとって宝物です。
汗をいっぱいかいて、太陽の光を浴びて、本当に楽しかった。
そして、とても幸せでした。
みんなはこれからの人生で、やりたいことや目標、夢なんかも見つかるかもしれない。
そんな時は、全力でやりたいことに夢中になってください。
夢が途中で変わることがあってもいいんだよ。
目標が沢山あってもいいんだよ?
時には怠けることだって大事なんだ。
少しずつやっていく中で、自分のやりたいことや夢、そして大切なものは自然と見つかっていくはずだから。
ただ一つだけ、これだけは伝えさせてね。
どんなことにも誇りを持って、そして自分の気持ちを大切にしてね。
誰かに何かを言われても、否定されることがあっても、自分がやりたいと思ったことは、そのまま突き進んでいってください。
そしてそんな自分を好きでいてあげてね。
きっとその気持ちは、いつか自分に返ってくるはずだから。
みんなと出会って、先生は先生になれたんです。
この気持ちは、みんなと出会っていなければ、味わうことはできなかったんだ。
本当にありがとう。
みんなの先生にしてくれて。
楽しい毎日を一緒に過ごさせてくれて。
これからの人生も、誰かの為じゃなくて、自分のために生きていってね。
けれども助けてくれた人や支えてくれた人には、言葉で「ありがとう」を伝えていってね。
最後に、昔のように毎日一緒にいることはもうできません。
この先、会えるかどうかもわからないけれど、それでも先生は、みんなのことがずっとずっと大好きです。
学生生活を、そして人生を、これからも楽しんでいってね。
大好きだよ。
納言先生より
ナイーブな私に勇気をください