ふと周りを見ると、込み上げてくる歪な感情。
その感情は、時に自分自身を惨めにさせることがあります。
マイナスな意味でしか捉えられてこなかった「嫉妬心」は、ワタシの心にも大きな影を落とし、その感情に振り回されることさえありました。
自分にないものを持っている人を羨ましがり、沸々と湧き上がる想いを止めることができなくなることも・・・。
つい口から出てしまうのは、「どうしてワタシは・・・」そんな風に、今の状況と重ねながら嫉妬心を募らせて、そしてまた羨ましがるという負の連鎖を続けてしまうこともありました。
できないことほど、叶えられない状況ほど人は、嫉妬心を募らせて感情に振り回されてしまうのかもしれません。
同級生たちの変わりゆく姿に
ワタシも、大人になってから随分と時間が経過しました。
かつての同級生たちは昔の姿とは随分変わり、結婚をして、家庭を持って、時には新たな城を構えることもありました。
そのどれもがワタシには、叶わないものばかりでした。
(そんなこと望んでいない。もっと違うことをやっていくんだ)そう言い聞かせたところで、静かに忍び寄る嫉妬心は気づかないうちに自分の心を支配しようとするんです。
子どもの頃に想像していた暮らしを、今のワタシが実現できていないから。
同級生たちの生活と、今のワタシの暮らしが違いすぎるから。
そう思うとなんだか悲しい気分になったり、時には怒りの感情が湧いてくることもありました。
誰に怒りをぶつけているのか、何に対してこんな感情を持っているのか、それがわからないからこそ、答えがどこにもないからこそ、余計に気持ちの整理がつかなかったのかもしれません。
他人と自分を重ねて
あるとき、ワタシはこんなことを話しました。
「それぞれの人生は、その人にしか味わえない物語がある。だから、周りの人を羨ましがることなんてないんだよ。自分の人生そのものを楽しんで」と。
けれども自分自身に置き換えて考えると途端にその言葉の意味が難しく、訳がわからなくなってしまうことがありました。
自分以外の人にはストレートに言葉を贈ることができたのに、当事者になると全くできなくなってしまう。
それがまた余計に、負の感情の無限ループを助長させていったのです。
こんな人生を、ワタシは望んでいたのだろうか。
今やっていることは、本当に正しいのだろうか。
一体この先、ワタシはどうなってしまうのだろうか。
そんな風に疑問系で終わる言葉ばかりが連なって、ひたすら自問自答を繰り返してしまうんです。
結局、あの時誰かに贈った言葉を、また自分自身に言い聞かせることになってしまいました。
揺れ動く感情は
夢を追いかけてから、あらゆることを諦めてきました。
年齢的にも「子どもはいつなの?」と聞かれることもあります。けれども、今の状況からして新たな命を育てていくことは不可能でした。
保育士をしているくらいだから、子どもはいつか授かりたいと思う瞬間もあります。けれども、「今は夫婦二人で暮らしていく方が楽しいんです。それに、夢を追いかけてるから、そんな暇なくて」なんて笑って言っている時は、なんとも虚しい気持ちになってしまう時もあります。
続々と周りは結婚をして、家族を持ち、そして新たな命を育てる経験をしています。それが時に羨ましく、そしてどうしようもない感情に押しつぶされてしまうこともあるんです。
ただ、その反面でワタシはLGBTQ+であり、性別を定めないような生き方をしています。昔から女性らしい格好や容姿になることを恐れていた部分もあり、物理的にも体が変化していくことに耐えられないかもしれない。
そんなことを考え始めたら、余計にワタシは新たな命を授かることを羨ましがっているはずなのに、不安に駆られ、二人でいる選択を取ろうとしていることもあるのです。
目には見えない苦悩を
しかし、嫉妬心を抱いた相手はもしかしたら何かしらの苦悩を抱えているかもしれないとも思うんです。
家庭を持つことが全てではないし、新しい命と共に生きることが全てではないですが、その選択を選んだ人たちには、その人たちにしかわからない苦悩があるのかもしれません。
もしかするとワタシの生活を「羨ましい」と思っている人がいるかもしれません。
どれだけ才能がある人でも嫉妬心を抱き、時には一人で負の感情に打ちひしがれているかもしれません。
きっと誰にだって「嫉妬心」を抱き、時に負の感情に押しつぶされてしまいそうになる時があるはずだから。
嫉妬心の芽を
嫉妬をすることは、きっと今の現状よりもさらにいい方向に人生を動かしていきたいと思った時に現れるものだと思うんです。
何も考えずにただ毎日を過ごしていたら、嫉妬心は生まれてこないでしょう。
負の感情であっても自分と向き合って、人生をより豊かにしたいと心の底から思った時、もしかすると嫉妬の芽が出てくるのかもしれません。
楽しい、嬉しい、この二つの感情だけではいつか人生はつまらなくなってしまう。
時には負の感情と向き合って、時には嫉妬心に振り回されながら生きることで、人生は少しずつより良い方向に向かっていくのかもしれないと思うのです。
ワタシはあらゆる感情をこれまで文章にしてきました。
辛くなると前向きになる言葉ばかりを探すこともありました。どんな本にも「前向きになるためには、後ろ向きの感情を手放すことが必要だ」という旨の言葉が並べられていたんです。
でも、ワタシはそうじゃないような気もします。後ろ向きだって立派な感情だし、無くしてはならない感情だとも思うんです。
たまには嫉妬に溺れ、時には周りを羨ましがる気持ちになってもいい。その時にきっと「他の人にはできない自分なりの幸せ」を見つけるヒントが隠されていると思うから。
だからワタシはこの先も嫉妬心を抱き、自暴自棄になる瞬間を受け入れていこうと思います。
ワタシなりの人生を生きるために、そしてまだ見ぬ人生の幸せを探すためにも。
ナイーブな私に勇気をください
嫉妬心からを読んで
だれもが持っている幸せになる権利。
そんな言葉が浮かんだことにしてください。笑私から見て幸せそうな人は、
『選ばれしもの(人)』
なのでしょう。そう思うようにしています。
この言葉は納言さんが引用した言葉ですが、実に気に入ってます。笑
よく物事の考え方の例えで出てくる話に、半分のコップと言うのがあります。
貴方のコップには水が半分しかありません。私のコップには水が半分もあります。
(何か得した小さな幸せ)
貴方のコップには水が半分もあるのに、私のコップには水が半分しかありません。
(何か損して嫉妬心メラメラ)
同じコップの水の量ですが、見方考え方を変えれば状況が、がらっと変わると言う例えです。
当たり前のように太陽が上り沈んで行く。
日々当たり前のように繰り返される小さな幸せに目を向けて残り人生を生きて行きたいと思いました。
選ばれし人は、それなりにお幸せに。
ありがとうございます。
いつも読んでくださり、ありがとうございます。
『選ばれしもの』を気に入ってくださり、なんだかすごく嬉しかったです。
嫉妬心は誰しも持っている感情であり、ごく自然な感情なはずなのに、少しでも嫉妬心が芽生えると悪だと言われてしまうこともあります。けれども、ワタシはそんな負の感情にこそ葛藤や不安や、これからの自分の幸せに近づく何かが隠れているような気もするんですよね。嫉妬心から誰かを傷つけてしまうことは絶対にダメですが、その気持ちを抱くことは何も悪いことじゃない。そうやって少しずつ自分の今の状況を把握して、時にはがむしゃらになってみたり、落ち込んだりしながら前を向こうともがいているのかなって思うんです。
TKさんがおっしゃる通り、「同じコップでも見え方が違えば、感じ方も違う」そうやって、少しずつ色々な形で感情と向き合うことが大切なのかもしれません。
負の感情に蓋をして、いい感情だけを見つめるのではなく、「色々な感情があって、その感情に向き合うから、人は少しずつ誰かを思いやり、本当の意味で優しくなれる」そんなような気がするんです。