懐かしさを求めて

オリエンタル納言日常日記

今回インスタグラムの名言集の方で、アンケートを実施させていただきました。ファッションアカウントとはまた違ったアンケート結果に、驚きながらも参加してくださった方々の思いを知ることができて、とても嬉しくなりました。

四つの候補から選ばれた「思い出に残る映画」について今回は、書いていこうと思います。

元彼やダメンズの話を書くことも、もちろん楽しいのですが、今回は少し真面目に私の大好きな映画について書かせていただきたいと思います。

ぜひコメント欄に、読んだ感想をいただけると大変励みになります。皆さんのメッセージをお待ちしています!また、相談や困りごと、どんな些細なことでも構いません。ブログのトップに「あなたの悩み・相談」もありますので、皆さんの声をぜひお聞かせください😌🧡

それでは、本題スタートです!🎬

初めて涙を流したあの日

幼い頃から私は、クレヨンしんちゃんが大好きでした。放送される30分前からテレビの前でスタンバイしていたし、録画も欠かさずしていました。

物心ついた頃には、クレヨンしんちゃんの映画は、もうすでに何本か見ていたのですが、「モーレツ大人帝国の逆襲」だけは、まだ見たことがありませんでした。なんとなく怖かったし、「子どもの私が観ても面白くないだろう」なんて思っていたので、あえて観ようとしませんでした。

公開されたのは2001年の4月、当時私は7歳でした。しかし、映画を観たのは確か小学校の高学年に入ってからだったのですが、何かのきっかけでTSUTAYAで借り、初めてこの映画を観ることにしたのです。

家に帰ってから家族揃って、この映画を観ました。最初は面白くて(やっぱりしんちゃんは面白いなぁ)程度にしか思っていませんでした。

ところが野原家が東京タワーに登り、それぞれが未来を生き抜くために必死でもがくシーン、そして最後にしんちゃんが東京タワーを転びながらも一生懸命駆け抜けるシーンに、気が付けば大粒の涙を流していました。

両親に見られないように必死で隠していたのに、どんどん溢れてくる涙は、私の思いとは裏腹に止まることはありませんでした。

恥ずかしくて、止めたくて、でもこの感動を抑えることが出来なくて、色々な感情が混じっていたような気がします。

そしてこの映画のテーマであり「懐かしさ」について、私はすごく興味を抱きました。

懐かしいってどんな気持ち?

映画を観終わった後、両親たちは「面白かったぁ。いい映画だったね」と嬉しそうに話していました。

私はどうしても懐かしいという気持ちが知りたくて、両親に聞いてみることにしました。

「ねえ、懐かしいってどんな気持ちなの?」

「うーん、言葉で説明するのは難しいなぁ」

「母ちゃんも父ちゃんも懐かしいって気持ちがわかるの?」

「わかるよ。昔遊んでた場所や、その時食べてた食べ物が出たら『懐かしいなぁ』って嬉しくなったり、少し寂しくなったりするんだよ」

「懐かしいは、寂しくなるの?」

「納言も大人になったら、きっとわかるよ。父ちゃんたちが言ってた意味を」

そう言われたら、懐かしさがどんな気持ちなのかを知りたくて仕方がなくなり、その日以来、私はこの映画を観ることをやめました。

そして勝手に20歳になったら、もう一度観てみようと決意したのです。

懐かしさの本当の意味を知りたくて、両親たちが抱いた気持ちを感じたくて。

20歳を迎え・・・

月日は経ち、成人を迎える年になりました。

小、中学校が同じだった人たちが集まり、「懐かしい〜!!久しぶり」と抱き合いながら喜んでいました。

けれども私は、学生時代に友人が一人もいなかったので、懐かしさを感じることもなく、(早く帰りたいなぁ)と居心地の悪さしか感じていませんでした。誰もが嬉しそうに、手を握り合ったり、写真を撮ったりしている中、その場所にいる私だけは疎外感を感じ、懐かしさを味わうこともできず、その場でポツンと立ち尽くすことしか出来ませんでした。

(成人式なんて、行かなきゃよかった)と思ってしまうほど孤独感が押し寄せ、気が付けば振袖の裾をキュッと握りしめ、市長の話も聞かないまま会場を後にしたのです。

本当の懐かしさを味わって

家に帰り両親は「どうだった?」と私に聞きました。

特に思い出も楽しかった記憶もないから、「うん、人が多かった」くらいしか答えられませんでした。

しかし、私にはこの日どうしてもやらなければいけないことが残っていました。

たった一度だけ観た「大人帝国の逆襲」を、大人になった状態で観るという一大イベントが残されていたのです。成人式よりも何よりもこっちの方が、何倍も大切でした。

小学生の頃で止まっていた記憶がようやく動き出す、嬉しいような緊張するような、なんとも言えない気持ちになりながら、テレビをつけて映画を観始めました。

初めの方は特に何も思わずに観ていたのですが、子どもの頃には意味を理解出来なかった「ひろしの回想シーン」で号泣してしまったのです。

たった三分間の映像、言葉を発することなく映像とBGMだけで、ひろしの人生が描かれていました。

回想シーンを観ながら、大人になった私は泣いていたのです。

声を出して、子どもに戻ったみたいに。

なぜ、そんな気持ちになったのか。

それは、自分の人生と重ねていたということが一番大きかったような気がします。小さい頃は、両親と出かけることが一番の楽しみでした。

父ちゃんのバイクの前に乗せてもらいながら、ドライブを楽しんだこと。

家族でディズニーランドに行って大はしゃぎしたこと。

母ちゃんと一緒にお出かけしたり、買い物に行ったこと。

少しずつ大人になるにつれて、家族と遊んできた日々が友人との時間の方が長くなり、恋をしたり、失恋したり、徐々に家族と出かけることも減っていきました。

自分の過去の思い出とひろしの回想を重ねながら、私は泣いていたのです。

この日初めて本当の意味で「懐かしさ」を知りました。

もう2度と戻れない幼い日々を思い出して、泣いていたこと。

当たり前だったことが、大人になるにつれて少しずつ当たり前ではなくなっていくこと。

ずっと子どものままだと思っていた私は、大人になってしまったこと。

その全ての感情が込み上げて、泣いてしまったのです。

好きで居続けること

あれから9年が経ち、アラサーと呼ばれる年齢になりました。大人になってからも、両親に助けられることも多く、私はまだまだ子どものままだと感じることも多くあります。

けれども幼かった頃みたいに、父ちゃんにおんぶをしてもらうことはないし、母ちゃんの読み聞かせで眠ることもない。けれども、ふと思い出す時があるんです。

子どもの頃に感じた両親の温もりを、そして子どもだった頃の幸せだった日々を。

クレヨンしんちゃんは、「子どもに見せたくないアニメ」として取り上げられることも多いですが、私にとっては本当に大切なことを、無くしかけていた想いをもう一度思い出させてくれたのような存在でもあります。

時には「クレヨンしんちゃんが好きなんて」と否定されたこともありました。

どれだけ世間から批判されたとしても、恥ずかしいことだと非難されても、私はこの先もずっと好きで居続けていたいと思うのです。

年齢を重ねれば重ねるほど、懐かしいと感じるものも増えていきました。

しかし、思い出を振り返ることをしなければ、忘れてしまうことだってあるのです。

最後に

誰しも心の中に残った映画が、一つはあるのではないでしょうか。きっとその思い出には、自分と重なる部分があったり、勇気をもらうきっかけになったりしたと思います。

世界中には、名作と呼ばれる映画が数えきれないほどあるけれども、どれだけ名作だと言われても、人それぞれ感じ方も見え方も、その時の状況や心境で変わってくるのです。

同じ映画を観ていても、一人ひとり感想が違うのと一緒で、心に残るシーンも異なる。

「よく映画には物語がある」と言われるけれど、私は見る側にもう一つの物語が隠れていて、その物語が心の中で動き始めた時、初めて名作と呼ばれるのではないかと思うのです。

アカデミー賞を受賞したとか、動員数がすごかったとかではなく、観ているその人自身の物語が始まった時、真の名作は生まれると私は思うから。

私自身これからも、自分の心が動き始めたこの映画を、いつまでも名作として語り続けていきたいと思います。

懐かしさを教えてくれた、この映画を・・・。

 

 

 

ナイーブな私に勇気をください

  1. TK1979 より:

     こんにちは。懐かしさを求めてを読んで、納言さんが七歳の時私はなにを見聞きしていたのか…そう言えば『渋谷の伝説の女子高生アユ』DEEP LOVEあゆの物語にはまってました
     携帯小説の走りで一日2000万アクセスと言う、驚異的な人気でした。今もその中のワンシーンは、今でもよく使っています。
    『妻がいて、子供がいて、当たり前のことが宝物だった』
     失わなければ分からない、そんな意味合いでしょうか。
     エッセイを読んで、そんなこと考えていました。

     

    • オリエンタル納言 オリエンタル納言 より:

      いつも読んでくださり、ありがとうございます。
      誰しも心の中に「懐かしさ」という感情があり、ふとした瞬間にジーンと心に響くことがある。
      特に大人になってから様々な場面で懐かしさを感じるからこそ、たった一本の映画が与えてくれた影響は、本当に大きかったなと今でも思います。

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