今回のリクエスト企画は、「友だちとの距離感」です。
人間関係の中には学校や職場、そのほかに挙げられるとしたらきっと友だちとの関係もあるかもしれません。
過去にワタシも友人との距離感で悩んでいた時期がありました。
今回はそんな友人との関係について、書いていこうと思います。
それでは、スタートです!
たった1人の友だちを望んで
小学生の頃、ワタシには友だちがいませんでした。
何度かエッセイでも書いてきましたが、幼い頃はアトピーが酷く、容姿を受け入れてもらえませんでした。
ただ呼んだだけなのに無視をされたり、落としたものを拾ってもらえず、素通りされることが日常茶飯事でした。
入学して早々に見た目で拒絶されたことがきっかけで、友だちの作り方も、どうやって仲良くしていいのかも分からずに、少しずつ孤立してしまったのです。
小学生の頃はずっと思っていました。「中学生になれば、きっと友だちもできるはずだろう」って。
けれども現実は、甘くなかったのです。
容姿を変えて
中学生になってからも、友だちの作り方がわからなかったワタシは完全に距離感がわからずに、何となくの学生生活を過ごしていました。
しかし、中学2年生の時に転機が訪れたんです。
クラスでも人気の女子に声をかけられ、あることをお願いされました。お願いされたことを素直に聞き入れると、その日から彼女を筆頭に1人、またひとりと人が増え、初めて友だちというものができました。
けれども本当の友人として接してもらえていたわけではなく、今思えば都合よく使われていただけだったと思います。
それをどこかで察していたワタシは、「友だちを作る為にはピエロになって、笑われ役に徹すればいいんだ」と考えました。
それからは自我を捨てて、容姿もあえて太らせて、周りに合わせながら精一杯ピエロ役を演じていました。
するとさらに友人と名乗る人が現れて、周りからも「アイツは面白いヤツ」と言ってもらえることが増えたのです。
ブームが終わると
しかし中学3年生になるとピエロとしての人気がなくなり、彼女たちもワタシに興味を失ったことがきっかけで、あっけなく友情は破断してしまったのです。
急に口を聞いてもらえなくなり、今までの関係はなかったことにされました。とてもショックで受け入れられず、「どうして無視をするの?」そう勇気を出して聞いてみたんです。
すると、「別にもう一緒にいなくてもいいかなって思ってるから。それに飽きたし」と。
あの言葉は、今でも心の傷として消えることはありません。
本心を隠しながら
それ以降も何度か友だちができることはありましたが、本音で話せる人は1人もいませんでした。
常に距離を取り、嫌われないように必死に話を合わせることで、自分の心を保っていたんです。
そうするしか、方法がわかりませんでした。
そしていつしか、「本当の友だちなんて、この先できることはないんだ」と諦めるようにもなったのです。
大人になって出会った友人は
過去のワタシからしたら、今の姿は想像できなかったと思います。
心から信頼できる友人ができて、気を遣うこともなく話ができるようになったから。
学生の頃は、友だちは多ければ多いほどいいと思っていました。そして、少し気が合わなくても仲良くすることが普通だとも思っていました。
けれどもそれは、自分にとって何もプラスにならないことを、大人になってようやく気づくことができたのです。
それは何一つ、自分のためにはなっていないことを今になってわかったような気がします。
表面的な付き合いをやめて、心をひらく
友だちは大勢いればいいというわけではありません。
その場が楽しい表面上の付き合いは、結局何も意味がありませんでした。
だから今ではどんなことでも相談したり、心から信頼できる人だけと仲良くすることに決めています。
その考えは、大人になればなるほど強くなっているような気がします。
どれだけ歩み寄っても、うまくいかない関係がありました。
昨日まで仲が良かった人でも、突然縁が切れてしまうこともありました。
そんな元友人たちもきっと本音で話すことができず、自分の気持ちを伝えられなかったのかもしれません。
一番大切なことは、どんな姿も互いに受け入れ、時にはぶつかりながらも気持ちを伝え合える関係を築くことが、ワタシは一番必要だと思うのです。
もしも子どもの頃の自分に会えたら、こう伝えたいです。
「友だちはね数じゃないし、自分の気持ちを隠してまで付き合う人のことを友だちとは言わないんだよ。本当の友だちはね、本音で語り合えて、時にはぶつかることもあって、そしてお互いに尊敬し合うことができてこそ、真の友情は生まれると思うから。自分の気持ちに嘘をつかず、目の前にいる大切な人を見れるようになってね」と。
ナイーブな私に勇気をください
友だちとの距離感を読んで
『アイツは面白い』
自己犠牲的献身で勝ちとった愛は報われない。
すなわち、彼氏に自己犠牲的献身をしても報われない。(あくまで私的な考えなので他者を否定するものではありません)
そのような行為を行うきっかけを見たような感じがするエッセイでした。
カッコつけて言ってますが、納言さんは私のこと、大なり小なりお知りと思いますので、ご無礼お許しくださいね。笑
ありがとうございます。
いつも読んでくださり、本当にありがとうございます。
友だちが欲しくてたまらなかった幼い頃。そしてと「友だち」という存在が増えていくに従って、本当の友情に気づいていった大人の今。
もしも何も考えずにただ楽しいだけを共有していたら、本当に信頼できる人には出会えなかったと思います。
悲しいことも沢山あったし、辛いこともいっぱい経験してきました。
だからこそ、今では胸を張って本当の友情が何かということがわかるようになったのかもしれません。
辛いことも悲しいことも、ワタシにとっては人生を豊かにするために与えられたギフトだと思っています。
そのギフトのおかげで、今のワタシがあるような気がするから。