次のリクエストは『海について』です。
私はすぐに肌が荒れてしまうので、プールや海に入ることを極力避けています。なのでもう随分と、海には入っていません。
しかし鼻の奥を抜けていく海の香り、そしてザブンと繰り返される波の音を聞くのは大好きです。
時折遠くの方で鳴くトンビやカモメ、その姿をぼーっと眺めながら、何も考えずにただひたすらどこまでも広がる海を見つめる時間もとても好きです。
海は私にとって身近であり、大切な人との思い出の場所でもありました。
今回は、そんな海について書いていこうと思います。
それでは、スタートです。
シケモクを吸いながら
私の祖父は、石川県の珠洲市という漁師町で漁師をしていました。そこには、小さいながらも立派な船があり、何度か乗せてもらったこともあります。
船に乗っている間、祖父は遠くの海を眺めながらぼんやりと考え事をしていることが多くありました。無口な性格の祖父でしたが、孫にはとても甘く、気まぐれでちょっかいを出してくることもありました。
場所が遠いということもあり、年に2回ほどしか会えない私と話したくて仕方がない、きっとそんな理由からちょっかいを出していたのでしょう。
私が大人になり煙草を吸い始めた影響で、よく祖父を誘って二人で煙草を吸いに浜まで軽トラに乗って出かけることがありました。
祖父は車の中に無造作に詰め込まれたシケモクを丁寧に伸ばし、ゆっくり味わって吸うんです。そんな祖父を見かねて「じいちゃん、これあげるよ」と言って、私の持っていた煙草を数本だけ渡すと「ほうか〜。ありがとう」と言って一緒に煙草を吸うのが恒例になっていました。
家族や親戚の中で煙草を吸うのは、私と祖父だけだったので、唯一の愛煙家仲間だと言いながら、煙草を吸う時間が大好きだったのです。
その姿を見た祖母は、「もう!ダメやよ〜!!」と怒って止めましたが、そんな声は、二人の愛煙家には届くはずもなかったのです。
心のざわつきを感じて
祖父が亡くなる1ヶ月前、私はある心の違和感を感じていました。以前エッセイでも書いた「別れの第六感」というものが働き始めていたのかもしれません。
私たちが住んでいるところから祖父が住んでいる場所までは、車で約6時間弱かかります。寂しがりやな祖父は、よく私や他の孫にも頻繁に電話をかけていました。
しかし、大人になってからの私は、日々の生活に追われるばかりで、電話の時間さえも面倒に感じていました。だから、祖父からの着信があったとしても気づかないふりをして、出ないことがほとんどだったのです。
しかし亡くなる1ヶ月前、私の夢には何度も祖父が現れていました。暗い道を一緒に歩きながら、どこかへ消えていく祖父を私は止めることが出来なかったのです。
そんな夢が続くもんだから、(もしかして、祖父の身に何か起こるのかもしれない)と嫌な予感がし始めていました。
だから私は、久しぶりに自ら電話をかけることにしました。
「じいちゃん、久しぶり。元気にしとった?」
「おいね。元気やわい」
「そっか。そんなら良いんだけど。コロナも少し落ち着いてきたからさ、今年の8月は行けれると思う」
「ほうか!!じいちゃん待っとるよ」
しかし帰省予定の8月に入ると、コロナは猛威をふるい、石川県に帰ることを断念せざるを得なくなってしまったのです。
まだ保育園で働いていた私は、仕事柄、石川県に帰ることは難しいだろうと判断しました。
ある日、職員室で仕事をしていると「今年は、石川県に帰るの?」と聞かれ、「いや、コロナがまた広がってるみたいなので、今年も諦めようと思っています・・・」と答えると、「そうね・・・。こういう職業はね・・・。仕方ない部分もあるもんね」と言葉を聞きながら、後何年経てば会えるのだろうと、猛烈に寂しさが湧き上がってきたのです。
しかし、その2日後に母から私の職場にかかってきた電話は、寂しさだけでは片付けられない現実を突きつけることとなったのです。
「能登のおじいさんが、今日亡くなったって・・・」
「えっ!?・・・・・えっ?」
「すぐに石川県に行くから、職場の人に伝えて」
「・・・」
動揺を隠しきれない私は、無言で受話器をガチャリと置き、その足で園長の座る椅子まで行きました。職員室には多くの先生がいましたが、そんなことも分からなくなってしまうくらい、気が動転していました。
「・・・石川の祖父が亡くなったと母から連絡があって」
「えっ!?そうだったの・・・。すぐに帰ってあげて。ちょうど一昨日話したばかりだったのにね・・・。こっちのことは、心配いらないから」
7月にたった一度だけの電話が、最後の会話になってしまいました。
そして職場を後にし、すぐに祖父がいる石川県へと向かったのです。
「わかば」と「echo」そして二人の時間
石川県に向かう道中、いきなりのことで誰もがやるせない気持ちでいっぱいでした。実の息子である父は、何度も「俺だけでも帰っていればよかった」と涙を堪えながら、そう呟いていました。
私は高速道路の景色が変わるのを見ながら窓ガラスに映る顔を眺め、時折流れる涙をこっそり拭いていました。
どうして、もっと電話をしておかなかったのだろう。
どうして、コロナ禍でも行ってあげなかったのだろう。
こんなことになるのなら、もっと早く会いに行けばよかった。
そう家族の誰もが後悔しても仕方がないことが分かっているからこそ、口にも出せず憤りを感じることしか出来ませんでした。
車内の中の重たい空気を、一生忘れることはないでしょう。
数時間の末にたどり着いた場所には、無口がもっと無口になり、一言も発しない祖父が布団の中で静かに眠っていました。
白く冷たくなった肌にほんの少しだけ触れて、私はその場を離れ、一人外で煙草を吸いに行きました。
本当なら祖父が横にいたはずなのに。
あれほど苦くてしょっぱい味の煙草は、後にも先にもあの時だけだと思います。
親戚たちが囲んでいる場所には祖父がいて、誰もが涙を流しながら語りかけている。私はその空気がどうしても耐えられず、みんなが寝静まったところで、祖父と二人だけの時間を作りました。
かつて吸っていたわかばを取り出し火をつけて、私は自分の煙草に火をつける。
「じいちゃん。どうして何も言わんかったの・・・。この先誰と一緒に煙草吸えばいいの。誰も吸わんのに。これじゃあ、余計に肩身が狭くなるやん・・・。だから今日は一緒に煙草吸おうよ。夜中まで付き合ってもらうよ。最後なんだから」それが私の精一杯の声かけだったんです。
そのあと何も言わずに自分の左手に祖父の煙草を挟み、私は右手に自分の煙草を持って吸いました。いつもよりも赤く燃えていく火種と、天井に向かって上がっていく煙、その姿に涙が止まることはありませんでした。
ポタポタと落ちてゆく涙と、鼻にツンと沁みる煙、そして懐かしい祖父の香りが寂しさを強く感じさせていたのです。
空の漁へと旅立って
通夜と葬儀が行われ、火葬場に向かいました。
漁師町であるはずなのに、火葬場は山奥にポツンと建っていました。
人の命はいつか消える。それは分かりきっていることだけど、何度経験しても決して慣れるものではなく、とても辛く悲しい時間だけが流れていくような気がしてなりませんでした。
もしもコロナが一瞬でも落ち着いていたら、祖父が元気なうちに後一回だけでも会えていたのかもしれません。
しかし、こればかりはどうすることも出来ないからこそ、無念さが強く残ってしまったのかもしれません。
棺桶には、祖父の煙草と私の煙草の箱を入れました。「向こうで存分に吸いなよ」と伝えて・・・。
全てが終わるまで待っている間、外の空気を吸おうと出てみると山奥にいるはずなのに、潮風が吹いたような海の香りがかすかにしました。
一緒に浜まで出かけ、二人で煙草を吸った頃の思い出が蘇り、なんとなくだけど、最後に会いにきてくれたような気がしたのです。
私はその香りを感じながら、開けていなかったもう1つの煙草を開けて、一本だけゆっくり味わって吸いました。
海と煙草と思い出と
今でも年に二回、夏と冬に石川県に帰っています。
その度に思い出の海まで行き、ぼんやり景色を眺めながら煙草を吸って祖父との思い出に浸っています。
どこからか聞こえてくる船の音に耳を澄ませ、トンビやカモメの鳴き声に懐かしさを感じる。そして、どこまでも広がる果てしない海を眺めながら一服している瞬間が、祖父を1番近くで感じられるような気がします。
海は私にとって、とても大切な思い出の場所です。
しかし、寂しさも感じさせる場所でもあります。
祖父を亡くし、悲しさ以上に後悔の方が多くありました。
「あの時こうしていれば」という気持ちの方が強かったんです。
どれだけ後悔がないようにしたとしても、大切な人の死と向き合うことは、苦しく悲しいことだと思います。
けれども後悔ばかりが浮かぶのではなく、楽しかった思い出や、嬉しかった記憶の中で、故人を弔うことができたなら、考え方は少しは違ってくるのかもしれません。
これからの人生の中で、心が張り裂けそうなくらい悲しい経験を沢山していかなければならない。
だからこそ会話を交わせるうちに、触れ合えるうちに大切にしていかなければならないと思うのです。
話ができる今、一緒に楽しい時間を共有できる今、そして何より気持ちを伝え合える今だからこそ、後回しにせずに自分の思いを伝えていこうと思います。
後悔ばかりが残らないためにも。
ナイーブな私に勇気をください
あの海と煙草…を読んで
何となく嫌な予感、変な感じ等思ったことは何回かあります。
その後のことは結果で、私は六感とか思わないようにしています。
今回読ませて頂いて感じたことは、『後悔を重ねるごとに優しくなれる』と思いました。
いつも読んでくださり、ありがとうございます。
後悔をすることは、生きている中でしないことよりも多いと思います。けれども、心に抱いた負の感情をどうやってプラスの感情に持っていくかが、とても大切だと思うんです。
後悔して、傷ついた分だけ人は誰かに優しくすること覚える。
そうやって少しずつ想いやる事が出来ると私は思うから。
素敵なおじいちゃんだったんですね。
情景が目に浮かびます。
後悔って無くならないもんなんですよね、あの時にこうしていれば、もっとできたことあったんじゃないか。
残された者だけが抱える悩み。
もう当人の話しを聞くことはできないけど、思い出して語ってくれる人がいるだけでも嬉しいんじゃないかなと思う。
辛い感情や悲しい感情を押し殺す必要はなく、大いに泣いて泣き疲れて語り合う。
心の整理がついたら、思い出を胸に前に進むことを望んでいるんじゃないかな。
いつも読んでくださり、ありがとうございます。
過ぎ去ってしまった過去を後悔したことが、何度もありました。
残された私には何ができるのか、どんなことを心の中で刻み続ければいいのか、すごく悩んだ時期もありました。
悲しみは決して癒えることはないけれど、いつか記憶は美化されていくから、その時に思い出に変わるのだと思います。
海と共に、おじいちゃんとの思い出を少しずつ胸の中に刻みたいと思います。