リクエスト企画「職場の話〜エプロンを着たジャンヌ・ダルク」

コラボ企画

今回のリクエストは、「職場の話」です。

新しい職場で働き出してから半年が経ち、あらゆることが見えるようになってきました。

いいところもあれば、もちろん悪いところもある・・・けれども、やっぱり保育業界の闇だったり、昔ながらの価値観を押し付けてくるお局様が存在するのは避けられない事実でもあります。

過去のワタシだったらきっと、どれだけ理不尽なことを言われてもシュンとなってしまい、謝罪をしてなんとかその場を収めようとしていたのかもしれません。

もしくは、ただ言われたことをじっと耐えて、心が崩壊していくのを待つことしかできなかったかもしれません。

この業界も長くなり、気がつけばワタシも中堅からベテランと呼ばれる位置になり始めている。

このままでいいのか。

このまま黙って耐えているのか。

それを自問自答する日々。

ワタシは考えて、考えて、考え抜いた末、たった1人でも戦う意志を見せることが必要だと思ったのです。

さて前置きは長くなりましたが、今回は昔の自分と決別するべく戦った話を中心に書いていこうと思います。

相手の言葉に飲み込まれ、我慢することは簡単です。

反旗をひる返し、戦う意志を持って相手に立ち向かうことは勇気がいること。その勇気と負けない心を持って、ワタシはたった1人の革命家として挑んだ話です。

エプロンを着たジャンヌ・ダルクが今宵、この場所に降り立つ

それでは、スタートです。

傍若無人な振る舞いは

誰しも合う人、合わない人はいる。それは保育の現場でも同じことで、それぞれ持っている保育観があって想いがあるのは、とてもいいことだと思うんです。

けれども、自分と違う考え方の人をまるで悪者にしようとして、あらゆるところで価値観を押し付けるような行動をとるお局様がいます。

歴だけが長くなり、考え方も凝り固まったせいで、あらゆる人に「自分の保育に対する考えが正しいの。だから私の言うことを聞きなさい!」そんな圧をかけるようにあらゆる場所で周りの人を困らせていました。

その言葉に思いやりも優しさも、相手の気持ちを配慮するそぶりもない。

まさに傍若無人な行動に、嫌な気持ちになってしまった同僚もいたのです。

そしてその矛先が、ワタシにさえも向けられた時、とうとうゴングは鳴らされました。

忙しすぎる保育室

ある日の保育中、いつものように若手の保育士に自分の価値観を押し付けていたお局様。

子どもたちもおやつを食べ終わった後でテンションは上がり、その間に保護者のお迎えの対応をしなければならない状況では、現場の保育士もてんやわんやの状況となって大忙しでした。

しかし、ある子どもの行動をめぐって、お局様は持論を展開し、このクソ忙しい時間帯に若手の保育士に自分の価値観を押し付けるような言葉を言い続けていたのです。

言われている先生は困っているし、部屋中もカオスな状況になりつつある。お迎えもある中で、その子どもも空気を感じ取ったのかいつも以上に泣いている状況に、今は話をする時ではなく、保育をする時だというのは誰が見ても明らかでした。

そしてその対応をめぐって、なぜかワタシの話も出てきたことで今回戦いに挑むことになったのです。

仲裁をするように間に入り、なるべく2人の先生の気持ちを汲み取りながら角が立たないように話をすることにしました。

二つの感情で揺れ動く

けれどもお局様は、自分の言葉を遮られたと感じたのか、自分の思い通りにいかないことが許せなかったのか、私たちが話した後に全く事情も知らない先生のところに行って、不穏な空気を漂わせながらコソコソと話をしていたのです。

この時ももちろん子どもたちはいるし、保育の真っ最中でもあります。

その姿を見た瞬間、(あぁ、きっとワタシのことを話しているんだろう)と思ってしまうほどの行動を取られていたのです。

その瞬間に、ワタシは二つの感情の中で悩みました。

この理不尽な状況の中で、ただ黙ってその姿を見送るか。

自分の気持ちを直接相手に伝えにいくか、その二択で。

前者の行動は、今までワタシが散々やり尽くしてきた行動でもありました。どれだけ理不尽なことを言われても、見える場所で悪口を叩かれようとも、ありもしない噂話を流されようとも、その人に対して気持ちを伝えることはしませんでした。

どれだけ敵意をむき出しにされていても、嫌われることが怖かったから。

そして孤立してしまうことを恐れて、自分の気持ちを押し殺して、言われるがまま耐えることを選びました。

けれども、その行動が全て裏目に出ていたことを誰よりも知っています。なぜなら、言われるがまま我慢し続けても、何一つ状況が好転することはなかったからです。

反旗をひるがえし、戦いに行く!

だからもう、黙って言われるがままになることはやめようと決めました。

ここまで陰口を叩かれて嫌なことをされている以上、我慢する必要もないのだと。

そしてワタシは、お局様が満足いくまで第三者に悪口を吹き込み終えたところで戦いに行くことを決めていたのです。

いつもなら「お疲れさま」と言いにくるはずが、今日は挨拶もなしに無視をするような形でそそくさと帰ろうとしていました。

「言うなら、今だ!言うなら、今だ!負けるな!自分の気持ちに。相手のそぶりに負けるんじゃない!立ち上がるんだ!心を奮い立たせて、自分の意思を示しに行くんだ!」そう心の中で何度も何度も勇気づけて。

悪口を言うなら、直接言いに来いッ!!!

そそくさと帰ろうとしているところに、ワタシは声をかけました。

「ワタシに何か言いたいことがあるのなら、事情もわからない第三者ではなく、直接ワタシに言いにいきてください」と。

すると、いきなりのことに驚いたお局様は、感情の限りを尽くしてあれやこれや話をしました。自分が納得できないことを永遠と話されるのも正直疲れてしまうので、言われたことには伝わるように話を進めていましたが、どうやら腹の虫が治まらずにどんどん話は脱線していき、攻撃するためだけの言葉を吐くようになっていたのです。

そこまで言われてしまえば、こちらも優しくする必要はもうない。

だから一番伝えたいことだけを、伝えました。

「それぞれ想いがあって、やり方は違うと思います。けれども保育中に、ましてや事情もわからない人に言いたいことだけを影でコソコソ言われるのは、気分が悪いです。そんなに言いたければ、ワタシに直接言ってください。全て答えられるようにしておきます。悪口を言いたのであれば、見えないところで言ってください。それができないのなら、直接言いにくるのが筋じゃないですか?」

そう言っても、次から次へと関係のない話まで持ち出されて、最後には「私はもう帰らないといけないの!」と言葉を吐き捨て、大きく音を立てて扉を閉めて帰っていきました。

勇気ある行動を

かつてワタシは、どれだけ理不尽な行動を取られても我慢する道を選んでいました。相手を傷つけないために、周りに迷惑をかけないために、自分が傷つく道を、そして言葉を飲み込むことを選びました。

それもまた、今思えば勇気がいることだったと思います。

誰かを傷つけないためにした行動に、後悔はしていません。

けれども、我慢した蓄積はやがて自分の心の傷として残り続け、そして取り返しのつかないところまで来てしまうこともあるということを、身をもって経験しています。

今回のように言葉にすることもまた、勇気がいることであり、そしてものすごく体力を使い、精神をすり減らす行動だと感じました。

誰だって傷つきたくなし、嫌われたくもない。

けれども自分の心を犠牲にしてまで、我慢する必要はないと思うんです。

この数年で随分ワタシも強くなりました。

自分の価値観だけを押し付けたり、周りのことを考えずに行動することは決してやってはいけないことだと思います。

けれども時として、勇気を出して言わなければいけないこともある。

傍若無人な態度を取り続ける人に我慢する必要も、自分自身を犠牲にする必要もないんです。

きっと周りはわかってくれるはずだから。

正しさの上で、行動しているのがどちらなのかを。

その時、時代は少しずつ変わり、そして新たなエプロンを着たジャンヌ・ダルクたちが誕生すると信じています。

ナイーブな私に勇気をください

  1. TK1979 より:

    職場の話~を読んで

     職場で培ってきた経験を自分なりに解釈し、押し付けてくると言うことでしょうか。また、その解釈に賛同しない方を悪者扱いにして悪口を言ったりするのですね。
     生産業は決まった作業マニュアルがありますが、職業柄お子さま相手なので、対応も千差万別なんでしょうね。そう考えると大変難しい職業と思いました。また、自己流の対応も出てきそうですね。
     基本的に悪口は、状況が分からない方に伝えて、自分に賛同してもらう行為のようにも思えますが、あくまで悪口はカゲで言うもので、ご本人に分かるように言うのはいただけませんね。
     納言さんは、よくそのような方にお話になられましたね。私なら無理ですし、ことなかれで無視をしています。
     無視して済むのならそうされるのでしょうけど、やはりそれも職業柄できないのも大変よく分かりました。
     保育士の方がより良い環境になることを、せつに願います。
     ありがとうございます。

    • いつも読んでくださり、本当にありがとうございます。
      昔のワタシならきっと、「自分が我慢すればいい」そう思って、何もせずにただ耐えていたと思います。
      どちらの行動も傷つくのなら、今度働いたときには勇気を出して言葉で伝えてみようと思った結果、直接相手に話す道を選びました。
      けれどもやっぱり、どれだけ言葉を重ねても長年培ってきた考え方や、自分なりの思いを誰かの言葉で考えたり、気づくことは難しいのだと改めた思いました。
      結局その人は何も変わることはなかったし、今も別のところで陰口を言っています。
      ただ、どちらにしても傷が残るのならワタシはの時の判断は間違いではなかったとも思っています。
      悔しいし、やるせないし、そしてもどかしいし。
      けれども、これでよかったんだと思います。
      ただ黙って傷つけられる道を選ぶのではなく、ちゃんと心の中を、相手がどういう風に思っているかを伝えることができたから。

  2. ぴろし より:

    拝読しました。
    勇気がでました。

    • ぴろしさん。読んでくださり、ありがとうございます。
      直接相手に話すことは、本当に勇気がいることです。そして、何より自分自身の心も少なからず疲弊したり、傷が残ることもあります。
      ただあの時の選択は、間違っていなかったとも思うんです。
      間違っている相手に、こちらが我慢する必要はないんだ。
      意思表示をすることは、何も悪いことじゃないんだ!そう思うことができました。
      彼女が変わることはこの先もきっとないと思いますが、ワタシは過去の失敗を別の形で変えようとできたことに誇りを持とうと思います。

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