あなたに出会えて、人生が始まった

コラボ企画

今回のエッセイでは、リクエスト企画でいただいた『空気が解ける瞬間〜パートナーが側にいて意識しなくなった瞬間について』を書いていこうと思います。

今まさに私は結婚して、夫というパートナーの存在がとても大きく、人生に色をつけてくれています。

しかし、彼と出会う前までは、モノクロの世界をたった一人で歩んでいるような、出口も脱出口さえも見当たらないところをさまよい続けていました。

私自身も、過去を振り返りながら書いていこうと思います。

それでは、スタートです。

子ども時代の辛い過去

幼い頃から人の顔色をうかがって生きてきました。

同級生からは「変な子」もしくは「変わった子」と言われて、小さなコミュニティの中に入ることができませんでした。

それでも友だちが欲しかった私は、あの手この手で同級生の気を引こうと必死にバカなフリを沢山してきました。今思えば間違ったやり方だけれど、食べれもしない葉っぱや砂を食べてみたり、もらったお小遣いでお菓子を買って、配って気を引こうとしたり。

小学生時代の話を振り返ると、ただただ哀れで可哀想な子だったと思います。それに付け加え、アトピーで肌もボロボロだったから、余計に誰も近寄らず、ついには担任までも私の存在を気味悪く思ったのか、あからさまに態度に出されたり、時には個室に呼び出され、あらぬ疑いをかけられ、手を思い切り叩かれたこともありました。

いつしか本当の姿を隠すようになり、自分の意見ではないまるで反対のことを口に出すようになりました。

とにかく良い子でいるように、そして目立たないようにすることを体で覚えていきました。それでも見た目へのいじめや、悪口、噂話に振り回される日々は続き、自分自身もどうすればいいのか分からなくなっていったのです。

「私は性格も悪ければ、顔も悪い。だから誰も相手にしてくれないんだ。もっと、別の人だったらよかったのに。もっと、良い子だったらよかったのに」と呪文のように言い聞かせていました。

この頃の私には、心を許せる相手も信頼できる人も、一人もいなかったのです。

偽りの人生

そんな生活が長い間続いていたからか、私は一つの特技を身につけました。

それは相手の顔色や空気感で、何を考え、何を思っているのかを察することができる悲しい能力を身につけてしまったのです。

自分の意見がたとえあったとしても、気持ちをグッと押し殺して、相手の望むことをなんでもやりました。

求めていることが多少やりたくないことでも、相手が気持ち良く過ごせるのなら、私自身が独りぼっちにならないようになるのならと、一生懸命合わせることをしました。

すると自然と人は集まり、周りからも「納言って友だち多いよね」と言われることもありました。

けれどもその友情は、長くは持ちません。

なぜなら、少しでも私が相手の気持ちを読まずに行動した途端に、泡のようにパチンと弾けて消えてしまうからです。私たちの友情には期限があり、そしてもろくあっけないものばかりでした。

だから心の中で(本当に心が許せる相手なんて、この世の中にはいないんだ)と割り切ることが出来ていたのかもしれません。

エッセイでも何度か書いていますが、私が心の底から友だちだと思っているのは、短大時代以降の人たちだけです。

当たり前のように身についてしまった癖は、大人になった今でも中々外すことはできず、社会人になってからも、その癖のせいで自分自身を傷つけてしまうことも多くありました。

常に嫌われることを恐れて、独りぼっちだった過去を振り返って、底なし沼のような環境の中で何年間ももがき続けていたのです。

言えない環境の中で

それは仕事だけにとどまらず、恋愛でも全く同じことが起こっていました。

相手に合わせることに必死で、いつしか都合のいい存在として扱われることがほとんどでした。

だから浮気をされたり、都合よく使われたり、時には存在自体を否定されるような行動をとられたこともありました。

着せ替え人形のように、付き合う人によって容姿を変えて、性格も変えて、相手に合わせる恋愛は、もちろん長くは続きませんでした。けれども、自分の意見を言った時、彼らは決まって同じような顔をするのです。

まるで「今までそんなこと、一度も言ってこなかったくせに。どうして自分の意思を出そうとするんだよ。俺のために気を遣ってるお前が可愛いんだから」そんな表情を浮かべ、言葉にしない代わりにただ一言、「納言はいい子だけど、俺じゃないのかもね。別れよう」とありきたりな言葉を吐き捨てて、ゴミのように捨てていきました。

その裏では、私と正反対の女性をすでに見つけていたことも多かったです。

気持ちなんて聞こうとしてくれたことは一度たりともありませんでした。

私が何を考え、何に傷ついているかを聞こうとしてくれたこともありませんでした。

けれども本当の姿を見せることを怖がり、偽りの顔ばかり見せていた私自身が、何より自分を大切にしようとしていなかった結果、人が離れていったのかもしれません。

こうして心を閉ざし、自分自身を隠しながら生き続けてきた人間は、誰の前でも素直になることもできず、常に気を遣って、笑顔のマスクをつけ続けて生活をすることに疲れてしまった結果、最後には心を壊し、本当の姿が分からなくなってしまったのです。

クローゼットの中で

マッチングアプリで出会った夫は、初めからとても優しく紳士的でした。

けれども、どこか孤独を抱えているような、少し寂しげな雰囲気をまとっていたのです。なぜかは分からないけれど、どこか同じ匂いのする人だとも思いました。

しかし、彼は自分の生い立ちについても、過去に何があったのかを話すことはありませんでした。

ある時大喧嘩をした時、私は小さい頃からの癖であったクローゼットに入るという最終手段を使って、現実逃避をしたことがあります。

その時彼はというと、数分経過した後で「入ってもいい?」と聞いて、真っ暗なクローゼットの中で、私の肩を抱きながら「大丈夫、大丈夫」そう繰り返すだけでした。

その時の優しさは、今まで感じたことのない温もりをくれたような気がします。弱ったところも、泣き顔も、今までの人たちに見せたことはほとんどありませんでした。

強くいなければいけない、本当の姿を見せてはいけない。そんな風に考えていたからこそ、不意に出てしまった素の自分に驚き、その場で号泣してしまったのです。

すると「クローゼットに入った納言ちゃんを見て、ようやく本当の君に会えたような気がしたんだ。ずっと無理してたんだね。いいんだよ?僕の前では頑張らなくていいから、クローゼットに入って安心するなら、喜んで僕も一緒に入るから」そう言ってくれました。

なぜクローゼットに入ったかというのは、過去にもエッセイで書いたことがあるのですが、小さい頃の逃げ場所は自分の部屋の押し入れでした。泣き顔を見せたくなくて、弱い自分を知られたくなくて、隠れて泣いていた場所でもありました。引越しをしてからは、クローゼットが私の逃げ場所になり、辛いことや、悲しいこと、どうしようもなく涙が出てしまう時には、誰にもバレないようにクローゼットに隠れてよく泣いていたのです。

今回の喧嘩でなぜ私がクローゼットに入ったのか、それは今でも分からないんです。ただ、彼だから、弱い部分を見せてもいいと思ったことが行動に移った結果なのかもしれません。

同じ孤独を知った人

そして彼もまた、とても寂しい思いをしてきた一人でもあります。

一人っ子だったこと、そして幼い頃は夜に働きに出ていたお母さんに甘えることもできずに、寂しい夜を何度も過ごしていたことを教えてくれたこともありました。

いつしか子どもではなく、小さな大人として家族の中で過ごすことが当たり前になっていたと彼は言っていました。

ただそのあと「悲しいことは沢山あったし、寂しい思いをいっぱいしてきたんだ。でもね、僕はそれを忘れるようにしてきたの。だって、覚えていたらきっと辛くて耐えられなかったから」それだけ言って、それ以降は何も語ろうとはしませんでした。

私とはまた別の形で、彼もまた孤独を抱えながら生きてきたのでしょう。

だからこそ、大学を卒業してすぐに定職にもつかず、日本中を旅したり、歌手を目指したり、どこか自由になりたくて放浪しながら、自分自身を常に探し続けていたのかもしれません。

私たち夫婦は形は違うけれど、同じ孤独を味わいながら過ごしてきたもの同士だったのです。

素を出し合い、共に生きる

素を出すことは、簡単に見えてとても難しいことだと思っています。気を遣うことが当たり前だった私にとって、素を出せる人と出会えたことは奇跡に近いことだとも思っています。

夫といる時、初めて私は私になることができるのです。

子どものように大はしゃぎをすることもあれば、悲しくて泣いてしまうこと、不機嫌になってしまうことだってある。そのどれもが私にはとても難しいことでした。

心を許せる相手に出会った時、人生はこんなにもシンプルで生きやすいんだと知ったのです。

そして今までの生き方を振り返ると、私はとても苦しい道ばかりを選んでいたことに気づいたんです。

彼と出会ったあの日から、緊張の糸がほぐれていき、本来の姿に戻れたのでしょう。私の人生は彼と出会った時から、ようやく動き始めたような気がします。

もしも今、自分がいる環境に疑問を持っているのなら。

もしも今、人といることに疲れていたり、孤独感に襲われているのなら。

どうか自分を偽ってまで、その場所にとどまろうとしないで欲しいのです。

相手に合わせることが、全てじゃない。

自分の気持ちを犠牲にしてまで、その場所に居続けることも知らず知らずのうちに、心を傷つけてしまうことになると思うから。

私のように長い間、独りぼっちだった人間だっています。

あなたが今いる環境は、人は、あなたにとって心を許せると言えますか?

素を出せることが全てではないけれど、せめて、自分の気持ちにだけは嘘をつかない相手と共に、生きて欲しいと心から願います。

 

ナイーブな私に勇気をください

  1. TK1979 より:

    あなたに出会えて…を読んで

     他人は頭のなかで都合のいいように自分をつくり、また自分もそれに合わせるように行動してしまう。
     自分自身ではどうすることも出来ず、同じことの繰り返し。
     彼は、そんな納言さんの心を解かしてくれたのですね。
     いいエッセイをありがとうございます。

    • オリエンタル納言 オリエンタル納言 より:

      いつも読んでくださり、ありがとうございます。
      そしてTK1979さんのリクエストがあってこそ、今回このエッセイを書くことができました。私自身も慣れてしまっていて、忘れかけていた気持ちを思い出すことができました。
      機会を与えてくださり、本当にありがとうございます。
      自分を偽って生きることはとても苦しかった。けれども、その苦しさを経験したからこそ、人の優しさが、温もりが心に染みるんですよね。
      エッセイを書くようになってから、辛い過去と向き合い、本当の自分を愛せるようになりました。

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