リクエスト企画「自己発信嫌悪からの逃げ方」

コラボ企画

今回いただいたリクエストは、「自己発信嫌悪からの逃げ方」です。

今ではネットが使えるのが当たり前、そして会ったこともない人との関わりや繋がりも当たり前になっていると思います。

その中で時には悲しい言葉をかけられたり、見たくなかったものを見てしまうこともあるかもしれません。

そんな経験をワタシなりに文章で、書いていきたいと思います。

それでは、スタートです。

ネットの繋がり

少し前までの時代はSNSの繋がりや出会いに対して、あまり良いイメージを持たれることはありませんでした。

人間関係を築いていく上で直接会って言葉を交わし、そして関わりを深めていくことが当たり前だったからです。

ただ今の時代では、会ったことのない人が友だちになったり、どこに住んでいるのか、どんな仕事をしているのか、本当の名前は何かを知らずに関わる人も増えてきました。

今こうして文章を打っているワタシも同じように、素性を知らない方々との関わりが当たり前になり、直接は会ったことがないけれど励まされたり、勇気をいただくことも確実に多くなっています。

今までは自信がなかったことでさえも、「ワタシがやっていることは、間違っていないんだ」そう背中を押してもらえることさえあるのです。

どうして、悲しませるの?

ありがたいことに、ワタシはSNSの世界で傷つけられるようなことを言われたことはほとんどありません。

しかし、たった一度だけ心無い一言を言われたことがありました。

数多くの嬉しい言葉の中に、たった一つだけ見たくなかった言葉があったのです。

それを見た瞬間にドキッとして、目が離せなくなってしまいました。

「どうしてそんなことを書くんだろう。何も悪いことはしていないのに。会ったことがなければ何を言ってもいいの?一生会わなければ、何をしてもいいの?SNSの中だったらそれは本当に許されるの?」そう感じました。

嬉しい言葉よりも悲しい言葉は、心の中に深く残ってしまう。だから余計に、たった一つだったとしても目が離せなくなり、同時に不安に襲われてしまったのです。

無視をする勇気

そのメッセージが来た時、随分と悩みました。

どんな対応をすればいいのか、何をすれば正解なのかを本当に悩みました。

ただ同時に怒りも湧いてきたんです。相手にただ傷つけられるだけで、どうして言われた側が我慢しなければいけないのか。そしてきっと言った本人も思ったことでしょう。

「他の人が見ている場所だから、きっと嫌な事は言ってこないだろう」って。

その考えにもちょっと腹が立ってきたので、ワタシはあることをしました。

それがブロック削除です!

言われて嫌なことをあえて文字にしてくる人に言葉を重ねる必要なんてない。そして、そんなことを言ってくる人のために、ワタシ自身が萎縮する必要もない、そう思ったんです。

SNSにも礼儀あり

それ以降、嫌な言葉を目にすることもなければ、心がざわつく経験をすることもなくなりました。

人間関係を築いていく中でお互いを尊重し合い、そして礼儀を尽くすことは簡単に見えてとても難しいことだと思います。

ただほんの少し想像してみると、きっとわかると思うんです。

褒めてくれる人がいい人、嬉しいことを言ってくれる人がいい人というわけでもないと思うんです。

それぞれに価値観があって思いがあるから、自分と同じ考えを持っていて、全てを受け入れてくれる人と出会うことの方がよほど難しいと思います。

ただワタシはこのSNSを通して、あることも感じました。

見えない相手だからこそ、想像力を働かせながら言葉を選ぶ必要があることを。

自分が言われて嫌なことは相手にも決して言ってはいけない。たとえSNSだろうが礼儀を持って接することが何より大切なことだということも。

自由に表現し、そして認め合えれば

生まれた瞬間からずっと卑屈な考えの人はいないし、暴言を吐きながら生まれてくる赤ちゃんももちろんいません。

きっとネット上で嫌な言葉を書いてきたり、心にぐさっとくる言葉を浴びせてくる人は、自分の人生の中にある負の感情と向き合いきれていない人かもしれません。

どこに出していいのかが分からずに、けれども自分の存在を見つけて欲しくて、悩んでいる人かもしれません。

ただ本当の気持ちはその人にしか分からないから、やっぱり言われた方は純粋に傷ついてしまうんです。

そんな時は、嫌な言葉から離れるということをワタシはこれからもしていきたいと思います。

そして現実世界だろうがSNSの世界だろうが、本当に素敵だと思うことには素直に言葉で伝えられる人でありたいとも思います。

一度向けた言葉の刃物は、言った瞬間は妙にスカッとするものです。でも、その後の後味は悪く、一瞬のストレスの捌け口に使うだけとなってしまうと思います。

そんな大人に、ワタシはなりたくないんです。

言葉を選ぶ大切さを

私たちは見るものを選ぶことができます。そして、関わる人も自分で選択できると思うんです。

SNSで悲しい言葉を吐いてくる人からは、今すぐ逃げてほしいと思います。

その言葉のせいで、自分のやりたいことができなくなってしまうのなら、そんな言葉は聞かなくていい。

言葉の刃物を向けてくる人ではなく、たった一人でも言葉の花束を贈ってくれる人を大切にしてください。

今自分のやっていることに対して不満を言ってくる人、応援してくれる人。その二人がいるのなら、あなたはどちらの言葉を聞きたいと思いますか?

ワタシなら間違いなく、応援してくれる人の言葉を聞きたいです。

そして応援する側にもなりたいと思います。

ワタシはSNSで応援してくれる人とたくさん出会い、そしてあらゆる形で言葉の花束を贈ってもらいました。

だからこそワタシはワタシの表現を、続けることができているのだと思うんです。

 

 

ナイーブな私に勇気をください

  1. TK1979 より:

    自己発信嫌悪を読んで

     SNSは、どこのどちら様かわからない方との繋がりを楽しむ反面、納言さんの文中のようなことが起こり、結果的に『ブロック削除』に至ることがありますね。
     SNSは送信されてくるもので判断しなければなりません。泣いていても笑顔の絵文字を送れるし、ものすごく立腹していても笑顔の絵文字が送れます。実際のコミュニケーションは、対じして、相手の些細な表情も、かみして状況を読み取れるのとは大変隔たりがあると思います。
     私は、不用意なリアクション·コメントで、大変ご立腹させてしまったことがあります。SNSをやめようと1日考えましたが、お相手様の寛大な対応と誠意ある励ましに救われました。
     二度とこのような事にならないよう、言葉·リアクションには注意をしています。笑
     自分に負を与える方より、大切に思ってくれる方にパワーを注ごうと再確認できたエッセイでした。
    ありがとうございます。
     

    • いつも読んでくださり、ありがとうございます。
      あらゆる方と関わりが持てる分、直接会っている時よりも関わり方には注意が必要な時もありますよね。
      全ての人に寄り添うことは難しく、また全ての方が気持ち良くなるような言葉をかけることも難しい。
      だからこそ、普段から仲良くしてくださり、互いに気持ち良く言葉を交わせる人にたくさんの言葉の花束を贈りたいと思っています。
      嫌なことを言ってくる人はブロック削除を・・・。それが自分の身を守る方法でもあるのかもしれません。

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