突然の別れ

オリエンタル納言日常日記

出会いがあれば別れがある。

それは生きていれば避けられないことであり、同時にどうすることもできないものに対しての喪失感を味わう経験でもあります。

別れの形も様々で、何もそれは人に限ったことではありません。

大切なものが壊れたり、思い出のものがなくなってしまったり。

時には大切な感情にさえも、別れを告げなければいけないこともあるでしょう。

そんな時は、どうしようもできない状況に涙を流して、諦めがつくまで持つしかできませんでした。

できることなら、別れというものは経験したくないんです。

それくらい悲しく、同時に大きな喪失感を抱え込まなければいけなくなるから。

思い出ごと消えていくように

ワタシも人生の中で、あらゆる別れを経験してきました。

友人、恋人、家族との別れ。

思い出がたくさん詰まった場所との別れ。

大切に使い続けてきた物との別れ。

そういった別れを経験するたびに涙を流し、時には耐え難い脱力感に襲われ、そして必死で忘れようと頭の記憶をデリートすることに全力を注ぎました。

忘れてしまえば、きっと楽になる。

この感情ごと全てなくなってしまえばいい。そんなことを考えたこともありました。

必死に忘れようとしすぎたせいで、いつしか心に残しておかなければならない大切な思い出まで、消してしまうこともあったのです。

どうして忘れようとするのか

人は、忘れることができます。

忘れてしまえば、悲しい現実と向き合わずに済むから。そしてその感情を引きずることなく、当たり前のように生活を送ることもできる。

だから人は、忘れることに必死になるのかもしれません。

けれども、ワタシは忘れようとすればするほど記憶が蘇り、楽しかった日々が走馬灯のように駆け巡ることがありました。

頭の片隅に保存されていた思い出のフォルダーが開かれて、アルバムみたいにめくられていくことがありました。

思い出して泣いて、考えて泣いて、別れの事実を受け止めきれずにひたすら記憶を眺め続けていました。

忘れたほうが、きっと楽なのかもしれない。

けれども忘れてしまったら・・・、大切にしまっていた思い出までも無くなってしまうのだろうか。

そんなことを考えるようになったんです。

突然の別れ

そしてつい最近もまた、突然の別れを経験しました。

ワタシの夢を応援してくれた人。

その人は、ワタシが仕事を辞めるまで体調を心配し、時にはこっそりと声をかけてくれた人でした。

痩せ細っていく体を見て、肩を撫でながら優しく声をかけてくれました。

その優しさが嬉しくて、温かくて、目の前で泣いたこともありました。

周りが敵だらけに見えていた時期に、数少ない味方でいてくれた人だったのです。

たくさん話したわけでも、一緒に出掛けて思い出を共有したわけでもありません。たとえ仕事上の関わりだったとしてもワタシにとっては大きな励みとなり、原動力になっていました。

しかし、ワタシが仕事を辞めて2年が経ったある日、風の噂で亡くなったことを知りました。

あれだけ体を心配してくれていた人が、最後は病に倒れ、亡くなってしまったのです。

悲しみに飲み込まれて

けれども、ワタシは最後に会いにいくことができませんでした。

もうすでに仕事の関係者ではなくなったワタシには、会いに行く術はなかったのだから。

突然の別れに大きなショックを抱えたまま、最後は会うことすらできませんでした。

今までの言葉を思い出そうとしても、彼女の声を探そうとしても、ところどころ記憶が薄らいでいることに気づきながらも、何度も何度も頭のアルバムをめくってみました。

そして彼女は、ワタシにこんな言葉を残してくれていたんです。

「いつか有名になったら、サインもらわないとね。だからどれだけ大変でも、夢は諦めちゃダメだよ」と。

願いを叶えて

彼女に言われた言葉が、何度かワタシに勇気をくれたことがありました。

そして仕事を辞めてからも、ふと思い出して頑張ろうと思ったこともありました。

けれども、夢が叶う前に彼女はいなくなってしまったのです。

そして会うこともできなかったことに、全てを忘れたいと猛烈に感じてしまいました。

せめて最後に、伝えたかったです。

「あなたがかけてくれた言葉のおかげで、ワタシは新しい道をなんとか進んでいます」と。

そして「誰もが敵に見えていたあの環境で、笑顔で話しかけてくれてありがとう」と伝えたかったです。

会うことはできないけれど

悲しみに暮れる中でひっそりと黙祷を捧げ、言いたかった言葉を心の中で伝えました。

まだワタシがエッセイを書き始めた頃は、一生懸命読んでくれていて、直接会うと感想を伝えてくれることもありました。

仕事を辞めてから、最後まで会うことはありませんでした。

けれども、いっときの感情で全てを忘れてしまおうとすることはもうやめようと思います。

そして応援してくれていた分まで、ワタシはこれからも文章を書き続けていこうと思うのです。

向こうの世界があるのか、果たしてどうなっているのかは分かりません。

たとえ伝わらなくても、今回このエッセイを書いたことで、彼女が少しでも喜んでくれるだろうと、ワタシは信じています。

夢を応援してくれた彼女の想いを、そして寄り添ってくれた優しさを忘れないためにも・・・。

 

 

 

ナイーブな私に勇気をください

  1. TK1979 より:

    突然のお別れを読んで

     納言さんとは、偶然の一致シンクロニシティがたまにあってほっこりさせられます。
     どのエッセイで寄せたコメントかは、多すぎて探すの面倒なので止めます。笑
     私も今こうして働いていて、SNSで投稿しているのも、全て私を導いていただいた方がいます。血縁でも友達でもありません。
     私の行きつけの居酒屋さんのお客さんです。当時私は失業していて、お金も底をつき失意の念でお酒に溺れていました。笑
     たまたま、冗談のつもりでその方が働いている会社で求人がないか尋ねました。
    『わかった、社長に頼んだるわ』
    私は驚きと共に感謝の気持ちが溢れ出て
    『宜しくお願いします』
    と叫びました。幾度も履歴書を送ったり、面接に行ったりしていましたが、うまくいきませんでした。叫ぶのも当然と思います。
     そうしてその方の同僚として一年バイトをし、二年目からは正社員にめでたくなりました。
     収入を得た私は、直ぐさま、タバコと酒をやめることを決断し、現在にいたります。
     その方は数年たって定年で退社されました。特にまた、会うだろうと思いお礼もしないまま、一年半が過ぎた時に同じく風のうわさで亡くなったと知りました。
     どうして、何もしなかったのだろうと自責の念におそわれました。しかし今こうして、納言さんのブログをお借りして客観的に見つめ直して、お礼を言いたいと思います。
    『今こうして生きているのも、あなたのお陰です。本当にありがとうございます。』
     そんなことに、けじめをつけさせて、頂いたエッセイでした。ありがとうございます。

    追記 シンクロニシティ! 笑笑

    • いつも読んでくださり、ありがとうございます。
      ワタシも職場を辞める直前に、ブログで書いた言葉を彼女にかけてもらいました。
      けれども当時は自分のことで精一杯で、夢を追いかける気持ちよりも早くその場から立ち去りたいと思う気持ちの方が強かったと思います。
      ただどこかで、「夢を追いかけ、そして叶った時には何かしらの方法で伝えられたら」と思っていました。
      しかし、夢を叶える前に、いや、ようやく夢に向かって風向きが変わり始めた時に、彼女はこの世と別れを告げて先に逝ってしまいました。最後に話ことも、直接何かを伝えることもできなかったことも心底後悔し、仕事を辞めたことすらも後悔しました。
      ただもしも、あの世というものがあって、そこから現世の様子が知られるとしたらと思い、今回エッセイを書くことにしました。
      人間いつ別れが訪れるかなんてわからないけれど、自分の人生に後悔がないようにこれからも少しだけ前を向いて精一杯生きていこうと改めて思う出来事になったことは、確かです。

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