母ちゃんのおにぎり

コラボ企画

今回もリクエスト企画にご参加いただいた皆様、本当にありがとうございます。

こうしてまだまだ無名で走り出したばかりの作家ではありますが、「読んでみたい!書いてほしい」そう思っていただけるだけで、感謝の気持ちでいっぱいです。

今まで自分の中で完結していたものが、誰かのアイディアによって新たな作品が生まれ、たった一人でもその言葉に共感してくださる方がいる。

それだけで幸せな気持ちでいっぱいです。

さて、今回いただいたリクエストの最初を飾るのは、「読み終わった後にじんわり優しい気持ちになれるもの」です。

とても素敵なお題をいただきましたので、今回はワタシの母にまつわる話を書いていこうと思います。

それではスタートです!

ワタシの母ちゃん

ワタシは小さい頃から、母のことを「母ちゃん」と呼んでいます。まだ保育園から小学校の低学年までは「お母さん」と読んでいたはずなのですが、気がつけば「母ちゃん」と呼ぶようになっていました。

母はとても陽気な人で、ワタシと顔がそっくりな人です。

あまりにも似ているから、母のスマホのロックはワタシの顔でもなぜだか開いてしまうほど激似です。

そんな母は、ワタシのことを昔から「いっちゃん」と呼びます。

その理由はいまだに謎であり、どこかに「い」がついているわけでもなく、むしろ「い」には程遠い名前をしているのですが、なぜだか昔から「いっちゃん」と母からも父からも呼ばれているのです。

涙脆い母

母はとにかく涙脆い人です。昔からテレビに犬が出ると泣いて、有名人がちょっと良いことを言うと泣いていました。

時にはCMでさえも泣いている姿を見た時には、(涙腺が弱すぎる)と密かに思っていたほど、よく泣きます。

本当によく泣くから、ある時の心霊番組で、イタコが霊の代わりに話す場面でも泣いており、「何で泣いてるの?」と聞くと、「母ちゃんも、よくわかんない」と言われた時には、少しだけ心配したこともありました。笑

涙脆い母だから、もちろんワタシの行事に来た時にも涙を流しながら応援をし、その姿を見て恥ずかしくなってワタシまで涙が出てしまうという、なんともカオスな状況の中で運動会やマラソン大会などに出たこともありました。

幼い頃は、涙脆い母が少しだけ苦手であり、(どうしてそこまで泣けるんだろう。恥ずかしくないのかな)と感じたこともありました。

けれども大人になると、ほんの些細なことでも涙腺は緩み、そして自然と涙が溢れてしまうことがある。それは大人になった今だからこそ、わかることなのかもしれません。

一番大好きなもの

ワタシは母が作ってくれる料理の中で、一番好きなものがあります。

それが「おにぎり」です。

数ある料理の中で、一番好きな食べ物がおにぎりなのですが、それは昔も今も変わりません。絶妙に萎びた海苔の具合、そして良い塩梅の塩加減、中に入っている梅の味とふりかけのセット。それが銀のアルミホイルに包まれており、きっちりとした三角ではなく、なんとなく歪んで丸みを帯びた三角が母のおにぎりの特徴です。

そのおにぎりは毎回食べられるわけではなく、行事やイベントごとになると作ってもらえるので、なんだか特別感があったのかもしれません。

大きなおにぎりが二つ、アルミホイルの中でドシッと構えている感じが、なんともたまらなく大好きでした。

ある時には、「母ちゃんのおにぎりは世界で一番美味しいね!」といったことがありました。

すると母は、

大人になって

ワタシが大人になって仕事をし始めた頃、忙しさのあまりご飯を食べられなくなった時期がありました。

まだ実家に暮らしていたこともあり、母はなんとかしてあらゆる料理を作ってはくれましたが、どうしても食べることができませんでした。

1日15時間労働という気が狂いそうな働き方をしていたこともあり、家に帰れば速攻で風呂に入って、ほんの少しだけご飯を食べて、そして寝るだけ。

その生活を繰り返していくうちに、どんどん体は痩せ細り、そして気力も奪われていきました。

そんな姿を心配した母は、毎朝出勤する時間に玄関に立ち、「気をつけて行っておいで。辛いなら辞めても良いんだよ」と見送ってくれていました。

その言葉に本当は甘えたかったけれど、ワタシはワタシで「もう少しだけ、頑張るよ」とギリギリの状態で働きに出かけていきました。

限界を迎えて

しかし、ある出来事がきっかけで限界を迎えたワタシは、仕事終わりに母に電話を入れたんです。

「もう限界だから、仕事を辞めたい」と。

すると理由は聞かずに、「よく頑張ったね。ご飯、何が食べたい?」と聞いてきました。ワタシは一言だけ「おにぎり」と言い、電話を切ったのです。

ふらふらの状態で家に帰ると、母がおにぎりとウィンナーを用意して待っていたのです。

そして「おかえり。おにぎり作ったから好きなだけ食べな」と言いました。

ワタシは母が作ってくれたおにぎりを夢中で食べながら、気が付けば大粒の涙をこぼしていました。その後ろ姿を見た母は、言葉をかけるでもなく、ただそっとそばに寄り添ってくれたのです。

母の味

今では結婚をし、母のおにぎりを食べる機会は少なくなってしまいました。

けれどもたまに食べたくなると、「母ちゃん。今度おにぎり作ってよ」とお願いすることもあります。

すると母は、「仕方がないなぁ」と言いつつも、嬉しそうに歪な三角の丸いおにぎりをたくさん作ってくれるんです。

そして「ましゅうも食べたいだろうから」と言って、必ず彼の分も作って持たせてくれます。

幼い頃は母に反発をしたこともあり、時には冷たく突き放したこともありました。

ただ大人になった今では、そんな母の行動は優しさであり、時には同じ人間だったんだと思うこともあります。

子どもの頃には見えなかった姿が、大人になると見えるようになる。時には理不尽に怒られたこともあったけれど、それは同じ人間であり、母もまた完璧な存在ではないからだと改めて感じるのです。

いつまでも続くようにと

いずれ母は、ワタシよりも先にいなくなってしまうでしょう。

また「食べたい」そう願っても食べられない日がいつかはやってくる。

だからこそ今こうして言葉を交わせるうちに、いろいろな話をできるうちに、ワタシは定期的に実家に帰るようにしています。

そしてたまにお願いするんです。

「母ちゃんのおにぎり、また作ってよ」と。

ナイーブな私に勇気をください

  1. TK1979 より:

    母ちゃんのおにぎりを読んで

     母上のほっこりする思い出ですね。
     当たり前のことですが、母親に取っていつまでも子供であり、子供に取ってもいつまでも母親ですね。
     納言さんも健康に配慮してくださいね。母上もいつまでも若々しく長生きしてくださいね。
     私はもう両親は他界しています。ホームに母親がいた時といざ存在がこの世からいなくなった時とは、段違いに違う孤独感に襲われたような記憶があります。喪の仕事をしながら悲しみを和らげてきました。
     今、納言さんのリクエスト企画を読んで、母親にまつわる料理は何か思い出しています。そうですね、色々とレパートリーがあった訳ではありません。全部羅列できる程度です。
     思い出の料理は『納豆』です。料理じぁないですが、朝食はこれと言うほど食卓に登場していました。笑
     何が思い出かと言いますと、なんと母親は
    『納豆が嫌いで食べていたかった』と言う驚愕の事実です。笑笑笑
     私は社会人になって家を出るまで、一度もその事実に気付きませんでした。笑
     社会人になって実家に帰った時に冷蔵庫に納豆がないので尋ねたところ、
    『嫌い』
    とのことでした。笑笑笑
     そんな大笑いのできる母親のエピソードを思い出させて頂いたエッセイでした。
     ありがとうございます。

    • いつも読んでくださり、ありがとうございます。
      TKさんのお母様のエピソードにクスッと笑ってしまいました。まさか、「納豆が嫌い」なのに食卓に出ていたんて。それを後々聞かされた時の衝撃は・・・。
      ワタシの母も凝った料理を作ってくれることもあるのですが、それでも結局一番好きなのって「おにぎり」っていう一番シンプルで、でもそのシンプルな料理に思い出がたくさん詰まってるんですよね。料理はその味以外にも背景にある思い出が調味料として隠し味に入れられているような気がします。
      この前、久しぶりに「母ちゃんのおにぎり作ってよ」とお願いをすると、「えぇ?おにぎりぃ〜?」と言いながら、しっかり2個作ってくれました。笑
      やっぱり母の優しさがこのおにぎりにあるんだろうなと思いながら、しっかり完食しました。笑
      どれだけ離れていても、大人になっても、やっぱりお母さんはお母さんなんだなぁと改めて思いました。

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