リクエスト企画「日本に対する危機、そして期待」

コラボ企画

今回いただいたリクエストは「日本に対する危機と期待」についてです。

政治のことは正直わかりませんが、日本に住み、思うことはたくさんあります。

そこで今回は、ワタシなりの視点で文章として書いていこうと思っています。

あくまでも一個人の言葉なので、「そういう考えもあるんだなぁ」程度に思っていただけると助かります。

それでは、スタートです。

大人になればなるほど、生きづらい

子どもの頃には全く思わなかったことを、大人になった今ではよく感じるようになりました。

さらに仕事を辞めてからは考える時間が多くなったせいか、余計に考えることが増えました。

給料の中から当たり前に引かれていた税金や年金の多さ、お金が特になかった頃は、市役所や年金事務所に足を運び、「生活が苦しいんです。2人で生きていくのがやっとなんです」と減免をしてもらうために何度も足を運びにいきました。

けれども帰ってくるのは、「まだ少し貯金がありますよね?」とか「生活保護レベルでないと全額免除とかはできません。決まりですから」と言われるだけでした。

市役所に行けば生活保護の冊子をもらうこともありましたが、言われることは「まずは貯金から切り崩してください」でした。

うつ病になり、働けなくなったワタシを支えてくれているのは彼だけです。そんな彼の給料も決して高いとは言えず、本当にギリギリの中で生活をしていました。

ふと思ってしまったんです。

なんのために今まで国にお金を納めていたんだろう。

自分の生活もままならないのに、年金だってもらえるかも分からないのに、どうして分からないお金を払い続けなければいけないんだろう。

そう考えるようになりました。

目を疑うニュースが並び

それなのに、ある時ニュースを見ていたら「脱税」「裏金」なんていう心がザワザワするような言葉を色々なところで目にしました。

愕然としました。

生活で困っている人がいる中で、給料を税金で搾取される人たちが大勢いる中で、必死に払ってきたお金が誰かの肥やしになっている事実が。

その瞬間、ものすごく恐怖を感じました。

このまま何も知らないまま生きていたら、きっとこれからも搾取されていくんだろうなと。

もっとあらゆることに目を向けて、自分の力で生きていく術を身につけなければ、食い物にされてしまうことも。

情報に惑わされて

特に今は、情報社会です。どんな些細なことでも情報があって、それが正しいか間違っているかの判断ができなくなるほど、多くの情報が出回っています。

時には全てを飲み込んでしまうほど、強い言葉で書かれている文章を目にすることもあります。

それはお金のことだけではありません。

「当たり前にある今の生活が、突然、争いごとに巻き込まれて平和が失われるかもしれない」そんな言葉もたくさん見てきました。

その度に一喜一憂して、起こるかどうかも分からない事にひどく落ち込むこともありました。

自分の目で確かめることができない問題だからこそ、誰かの言葉に不安を抱き、時に絶望さえも感じることがある。

だからある時から、ニュースを見ることをやめました。

自分が住んでいる国で何が起きているのか、知る必要はあるかもしれない。

けれども知らなくてもいい情報が多すぎて、惑わされ、少し疲れてしまったのです。

生まれた場所は好きだから

ワタシは日本が好きです。

海外旅行に行った時には、違う国の良さも見たけれど、改めて「自分が住んでいる国は、とても美しい国なんだ」そう再確認することができました。

当たり前に思っていることが、他の国からしたらすごい技術の元で成り立っていることを知りました。

国同士の争いがあったり、政治に不満はもちろんあります。

けれども国として大きく分けられていても、個人となれば話は変わってくる。国が違って、話す言葉が違っていても、同じ人であり、友だちになれることだってある。

それは実際に、ワタシ自身が別の国の人と話し、仲良くなれた時、「やっぱり、同じ人なんだ。言葉が違っても同じ感情を持っていて、気持ちが通じ合うことがあるんだ」そう経験したことがあったから。

だから余計に、誰かの言葉に左右されたり、目で見た情報だけを頼りに物事を判断することはやめました。

それは政治も、同じです。

自分の心に落とし込んで

無職になってから気づいたのは、助けてくれるのは国ではなく、周りにいる人たちだったこと。

どれだけお金がなくて困っていても、国は助けてはくれませんでした。

決められた業務の中で最低限のことしかやらず、ある人たちは必死に払ってきた税金や別のお金で懐を暖めている人だっている。

自分の身は自分で守らなければらない。そう思いました。

けれども日本で生きていく中では、決められたルールに従って生きていなければなりません。どれだけ間違ったことをしている人がいても、一般市民の私たちが裁くことも、直接文句を言うこともできません。

文句を言っても現状は変わらない。

けれど頭で考え、自分の人生にとって生きやすい方法はたくさんあるような気がします。全てが絶望的な状況ではないと思うんです。

このまま情報に流されていたら、ワタシも変な思想になって、間違った行動を起こしていたかもしれません。

生きていくには、視野を広げ、あらゆることを自分の頭で考える必要があると思いました。

見ず知らずの人たちの声ではなく信頼できる人たちの声を聞き、自分なりにできることを探していく必要があるとも思いました。

それが選挙に行くことなのか、別の何かなのかは人それぞれ違うと思います。

ただこの先もこの美しい日本で住むためには、情報に惑わされずに公平に物事を見ていく目が必要なことは確かだと思うから。

感情は人を簡単に左右させることができます。負の感情が強ければ恐ろしいことに流されることもきっと簡単なことなのかもしれません。

ワタシは悲しい未来を想像するよりも、あらゆる人と手を取り合いながら、素直に物事を考えられるように生きていきたいと思います。

そのためには過度に期待をせず、あらゆることを自分の目で確かめて、必要以上に情報を得ないように心がけていきたいと思うんです。

ナイーブな私に勇気をください

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