令和の『さくらももこ』になりたくて

オリエンタル納言日常日記

ワタシは幼い頃からアニメ『ちびまる子ちゃん』が大好きです。

日曜日といえば6時から家族と一緒にまるちゃんを見る時間でした。

アニメの内容もさることながら、幼い頃から妙に親近感が湧いて、「自分と同じような性格の人の話」というなんとも不思議な感情になりながら見ていた覚えがあります。

小学生の頃なんかは、身長も前から数えた方が早かったこともあったので、名前に「ちび○○子」と付けて両親から呼ばれることもあったのです。

だらしないところが・・・

まるちゃんを見ている人なら分かると思うのですが、彼女の性格はお調子者で、だらしなくて、面倒くさがり屋で、話し方や言葉選びがお年寄りみたいな感じなのですが、まさにワタシの幼少期も同じようなものでした。

というか、今もそれほど変わってはいません。笑

やりっぱなし、出しっぱなし、面倒くさがり屋で趣味嗜好も若くはありませんでした。その度に両親からは「ちび〇〇子!!!開けたら閉める!出したらしまう!」と怒られることが多々ありました。

唯一まるちゃんと違いがあるとすれば、ワタシの家庭はかなり厳しかったので、両親に刃向かったり口答えをすることがなかったことくらいでしょうか。

それ以外は、自分の話かと思うほど似ている部分ばかりが目についていたのです。

絵を描いてた子ども時代

昔から絵を描くことが好きだったワタシは、授業中や休み時間には絵を描くことが多くありました。

とは言ってもさくらももこみたいに、上手に描けるわけではありませんでしたが、なんとなく独自の世界観はあったような気がします。

頭の中で思い描いた世界をなんとなくノートに描いてみたり、教科書の端っこに生み出したキャラクターをチラッと登場させてみたり。

そんなことを結構長い間続けていました。

誰かに見せるわけでもなく、何かの賞に選ばれるわけでもなく、ただただ描きたいと思った時に、自分なりの世界の中に入り込むことが好きだったのです。

大人になっても

絵を描くことはしばらくやめていたのですが、ある日突然描きたくなった日がありました。

SNSを見ると、絵の上手い人たちは山のようにいて、正直ワタシの描いた絵なんてみっともなくて誰かに披露するほどではありません。

けれどもその絵を見た友人や家族は、「なんかさくらももこみたいだね。味があるよ」とすごくおこがましいけれど嬉しいことを言ってくれたのは今でも覚えています。

とは言っても、架空の世界を描いたり、時には「腹が立ってる図鑑」的な感じで、嫌な思いをさせられた人たちを図鑑方式で登場させたりと、そんな感じの絵なので、もちろん褒められるようなものではありません。

ただ、絵が下手くそなワタシにとっては「味があるね」という言葉は、どんな言葉よりも褒め言葉に聞こえて嬉しかったのです。

気づいたらエッセイストに

ワタシは絵では賞状をもらったことは、小学生の頃に一度だけしかありませんでした。けれども作文となると賞状をもらったり、みんなの前で発表をする経験も何度かしたことがありました。

そして保育士として生涯を終えるつもりが、「エッセイストになりたい!」という夢を掲げて、今はまさに夢を追いかけるようになりました。

さてどうしてこんな話をしているか、それはつい最近「ちびまる子ちゃん展」に出かけた時、幼い頃に感じた縁みたいなものを強烈に感じ、今まさに自分がなろうとしている場所はここなのかもしれない、そう思ったからでした。

昔からあらゆる人に、似ていると言われた彼女と同じ職業になりたいと奮闘している自分に不思議な気持ちも抱いていました。

「エッセイを書くようになって、そのうち『漫画で描いたら面白いかもしれない』と思った」そう書かれた垂れ幕を見ながら、そこにいるお客さんとはまた違った気持ちが湧いていたのかもしれません。

(ワタシにもまだ、夢を追いかけるだけの余力があるのなら、もう少し頑張ってみようかな)って。

思い出したあの日

つい最近、一番自信があった賞に落ちてしまったことで、正直やる気は地の底に落ちてしまい、文章を書き続けることへの意味がわからなくなっていました。

そんな時には、「たまには絵でも描いてみようかな」と思い、描いてみると幼い頃の気持ちが蘇り、純粋に楽しむことができました。

少し前までは文章を書いている時も、こんな気持ちだったはずでした。けれども、大きな挫折が心を簡単にポキンと折ってしまったのです。

けれども、ちびまる子ちゃん展に行ってワタシは思い出しました。

自分が何をしたいのか、どんなことを目標にやり続けなければいけないのか。

そんなことを思い出したんです。

ワタシなりの作品を

文章を書き始めてから今年で4年目をむかえます。少しずつ読んでくれる人が増える中で、「納言さんらしさがある」そう言ってもらうことも多くなりました。

自分的には、「ワタシらしさってなんだろう?」と考えることもあるのですが、読者の方に伝わっているのなら、それで十分だと改めて感じています。

ワタシにはまだやりたいこと、そしてやらなければならないことがあふれています。それを一つも達成できていないままで終わるのは、情けないと思えるようになってきました。

ずいぶん落ち込んだし、文章を書くことから少しだけ離れていました。

けれども、幼い頃から見ていたまるちゃんに謎にシンパシーを感じ、いつしか同じ仕事をしたいと思うようにまでなっていました。

いつかワタシなりの形で、おこがましいけれど「令和のさくらももこ」なんてキャッチフレーズがついたら嬉しいなと思いながら、今回のエッセイを書くことにしました。

いつかワタシも、出版した本に下手くそな絵を挿絵で載せるかもしれません。笑

そんな時はまた、温かい目で見てください。

ナイーブな私に勇気をください

  1. TK1979 より:

    令和のさくらももこを読んで

    『開けたら閉める、出したらしまう』

     納言さん、いい言葉ですね。私も同様のことを言われてました。何がしら、皆さんもその様なご経験はあるでしょう。
     そのことで、今でも何気なく、しかも当たり前のように続けている自分が面白く感じている今日この頃です。ひとつ紹介いたしますと『台所の電気は必ず消す』笑
     昔の家なので別な場所にあり、用が済めば電気をつけている必要がないのです。
     納言さんは、今でも言い付けを守っていることはありますか。笑
     少し休憩して、『間』をとるのも良いでしょうね。
    自分をどう位置付けるかが今後の課題です
    夢を追い続けす人なのか···
    私はもの書きのプロなのか···
    世の中には『七転び八起き』と言う言葉があるように、これからのご活躍期待していますよ。ありがとうございます。

    • いつも読んでくださり、ありがとうございます!
      各家庭に言われてきた言葉ってありますよね。笑
      「台所の電気も言われたことあったなぁ」なんて思いながら、コメントを読んで懐かしさを覚えました。
      ワタシがいまだに言いつけを守っていることといえば、やっぱり「出したらしまう。開けたらしめる」ですかね。笑
      たまに面倒くさくてやれてないこともあるのですが、家を離れた今でもふと思い出して気をつけるようになっています。

      ワタシの夢はまだまだ蕾さえもできていない状態のような気がします。けれども、一番やりたいことをしっかりと見つめ直し、もう一度立ち上がってみようかななんて思えるようになりました。
      自分なりの言葉で、あらゆる人たちに少しでも寄り添えるような、そんな物書きになりたいから。

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