お願いだから、歯医者に行って 後編

オリエンタル納言日常日記

香りの正体が気になりつつも、交際自体は順調に進んでいたと思います。

今までの元彼みたいに浮気をすることもないし、ゴミ屋敷に住んでいるわけでもないし、怒鳴ったり何か危害を加えてくるわけでもない。

至って穏やかで優しい性格の優男には、香りを忘れてしまいそうになるくらいの良いところも、もちろんありました。

今までの関係がおかし過ぎたということもあり、そして何よりワタシの感覚がバグっているということもあり、この時はまだ、香りの正体を突き止めることをしませんでした。

交際一年を目前に

交際一年を目前に、ある旅行を計画していました。

それが、「ディズニーランドとクレヨンしんちゃんの聖地巡礼」だったのです。

普段のお出かけも色々な場所に行っていたわけではないし、食事をするとか、買い物に出かけるとか、その程度でした。

もうすぐ一年記念日を迎えるにあたって、「いつもとは違うことをしよう」という話になり、旅行の計画が立てられました。

元々彼氏と旅行に行くなんて性格でもないので、その提案はすごく嬉しかったんです。というよりも、元彼たちも率先して旅行に行きたがる人ではなかったので、自分から提案することも恥ずかしかったり、気が引けたりと言い出すことができませんでした。

だからこそ、純粋に提案をしてもらった時は嬉しかったんです。

(あぁ、この人は楽しいを提案してくれる人なんだ)って。

そんな優男の気持ちに応えるべく、ワタシはワタシでしおりを作ったり、お揃いの服を選んだりしました。ようやく普通のカップルになれたということもあり、心の底から嬉しかったです。

こんな幸せが続いてくれると良いなと、この時は心の底から思いました。

二人で行った初めての旅行

そして旅行当日。

ディズニーランドでは色違いの服を着て、二人でいろんな場所で写真を撮りました。

恥ずかしがり屋な優男は、写真を撮るときには少しだけ距離を取ろうとしていたので、「もっとこっちにおいで」と腕を掴み、無理矢理にでも写真を撮りました。笑

しかし画面越しに映る姿を見ると、「すごく幸せそうだね」と嬉しそうに話すので、やっぱり来て良かったと心の底から思いました。

そして彼氏との旅行がこんなにも楽しいものかと、遅ればせながら人生で初めて感じた瞬間でもありました。

次の日のクレヨンしんちゃんでの聖地巡礼は、とにかく楽しかった。

カップルで行くからというよりも、単純にワタシのオタク心が爆発してしまい、もう、それはそれは人生の中で一番大はしゃぎした1日だったかもしれません。笑

春日部駅を周り、しんちゃんグッズを買い漁り、そしてしんちゃんに囲まれた壁を眺めてニタニタする。

しんちゃんに囲まれている状況に、もう他のことなんて忘れて、小さいことなんてどうでも良くなって、大はしゃぎをしました。

そして一泊二日の旅行が終わると、しっかり現実に引き戻されてしまい、なんだか悲しいやら、退屈やら、もう一度戻りたいやらで、しばらくの間は現実逃避をしていました。

不穏な空気は突然に

現実の世界に戻ってきてしまってからは、少しずつ私たちの関係にもときめきというものは無くなっていきました。

そして少しずつではあるけれど、関係も冷め始めてしまいました。

というの優男は付き合った経験が少なく、ワタシが二人目くらいの彼女でした。

優しいのは良いのですが、その優しさが時には度が過ぎていたり、重く感じてしまうことも少しずつ増えていくようになったのです。

そして自由気ままなワタシの心を冷めさせた行動は、「どこに行ってきたの?」「誰と遊んだの?」「毎日電話したいな」というナチュラに行動を把握されることでした。

聞かれると言いたくなくなってしまう性格なので、聞かれるたびに「友だちだよ」とか「その辺に行ってきたよ」とすごくアバウトに応えるようになっていきました。

そして毎日の電話も正直苦痛に感じていたので、なるべく用事を作って出ないようにしていたのです。

ここまでくると、本当に好きかどうかなんて分からなくなっていたし、多分好きじゃなくなっていたんだと思います。

あの幻の幸せだった旅行を終えて、より一層香りが強くなったよう気がしてなりませんでした。

口から香るもの、体から香るもの、そのどれもがワタシには合わなくなってしまっていたのです。

匂いが合わない人とこの先も一緒にいられるか想像を何度もしました。けれども、どうしても将来を見据えて付き合い続けることもできないし、その想像することすらできない。

ということは、この時点ではほとんど気持ちは冷めてしまっていたような気がします。

ワタシとは反対にどんどん愛が重くなっていく優男は、きっと二人の将来を本気で考え、そして見据えていたでしょう。

運命を分けた喧嘩

しかし、優男も今の状況を察していなかったわけではありませんでした。

少しずつワタシの心が離れていることに気づき、不安を抱くようになっていました。だからよく、「ねえ納言ちゃん。僕のこと好き?」と聞いてくるようになったのです。

正直その質問すら重いし、面倒だと思ってしまっていたので、返答も適当に流してしまっていました。だからこそ、優男の気持ちもどんどん不安に駆られて、重たくなっていったのかもしれません。

そんな優男は何を思ったのか、ワタシには内緒である女性に相談をしていました。

それを知ったのは、優男がたまたま誤爆でワタシのLINEにやり取りを送ってきたからだったのです。

そこには、私たちが喧嘩をしている内容が事細かく書かれており、スクショと共に添えられていました。

スクショは紛れもなく喧嘩していた時のもので、不安、不満、そして怒りが少しずつ滲み出ているような文章でした。

「どうしたらいいか分からないんだ・・・。こんなにも好きなのに、もう飽きられているのかも知れない」

「そんな女なんて、やめちゃえば?」

「でもまだ、好きだから」

「そうなんだ。でも、相手にも気持ちがないんだし、一緒にいても無駄な気がするけどね」

「そっか〜・・・」

会話はそこで途切れ、代わりに通話マークが残されていました。

全く知らない相手に二人のことを話されているのが恥ずかしくて、そして相手の女性に言われた言葉が妙にキツくて、心の中でどうしようもない怒りが湧き上がってしまったのです。

いっそのこと、別れてしまえばいいんだ。

そんなことを思ってしまうほど、ワタシの気持ちは、どうしようもないところまで来てしまっていたのです。

決別の予感と同情と

誤爆をされてすぐに、優男から電話がかかってきました。

慌てた様子で「これは違うんだ、これは違うんだ」と繰り返すばかりでした。

「一体何が違うの?ワタシにとっては、全く知らない人にLINEのやり取りを見られて、会ったこともない人に『そんな女、やめとけば?』なんて言われる。こんな気分悪いことはないよ」

「ごめんねえ。でも、僕も不安だったから。君がどこかに行ってしまわないか。すごく不安だったから」

「だったら、それをワタシに言うべきなんじゃないの?信頼関係を築いてきたはずだったのに。これじゃあ、もう信頼なんてできないよ」

「そんなこと言わないでよ・・・。僕はただ、本当に好きだったから」

「もう遅い、そんなこと言ってもあなたの行動が全てを壊してしまったんだから」

「うぅぅぅ・・・」

泣きじゃくる優男の声を聞いても、ワタシの心はぴくりとも動きませんでした。

こんなにも泣いているのに、こんなにも思ってくれているのに、ワタシの気持ちはもうそこには、ありませんでした。

心の中が空っぽになっていく感覚を確かめながら、あとは別れを告げることだけを考えるのみだったのです。

しかし、「あと一度だけチャンスをください。これからは、こんな思い絶対にさせないから。約束するから」

そうやって泣く声に好きという感情ではなく、同情という新たな感情が芽生えてしまったのです。

ここまで泣いてくれた人は今までいただろうか。

こんなにもワタシのことを想ってくれた人はいただろうか。

そう考えた時、彼ほど涙を流してくれた人はいませんでした。

だからこそ、微かに抱いた同情心を拭えなかったんだと思います。

「わかったよ・・・。そこまで言ってくれるなら、今回だけだからね」

「えっ!?本当に!!!!ありがとう、本当にありがとう」その言葉は、いつまでも耳の奥深くで響き続けていました。

決定的な、あの日

あれからカップルとして再出発をした私たちでしたが、普通に接する彼を許せない気持ちと、愛そうとしても気持ちが追いつかない申し訳なさを抱えて過ごしていました。

同情心は好きという気持ちではなく、あくまで同情なんだと痛感し続けていたのです。

どれだけ優しくされていても、心から好きだと思うことができませんでした。

愛そうとすればするほど、ワタシの心が離れていくような感覚には逆らえなかったんです。

そんな時、ふと彼の癖が気になり聞いてしまったのです。

「ねえ、一つ聞いてもいい?」

「どうしたの?」

「どうしていつも口元を隠して笑うの?」

「・・・癖だよ」

「今まで付き合ってきて、一度も口の中を見たことがないような気がする。何か隠し事でもあるの?何か、言えないことでもあるの?」聞き始めたら止まらなくなってしまい、どんどん彼の心の中に土足で踏み込んでいました。

明らかに隠そうとしているのは分かっていました。

それでも何か秘密があることを、見逃すことはできなかったんです。あの口の中には、一体何が隠されているのか。

そして頑なに隠そうとしている理由は、なんなのか。

そして禁断の言葉を口にしてしまいました。

「ねえ、口の中を見せてよ」って。

初めこそ嫌がっていた優男でしたが、何度も懇願するワタシに根負けし、「引かないでね」とだけ言って口を大きく開けました。

恐る恐る口の中を見てみると、そこには8本の歯と、銀の細長いボルトが2本、歯茎から剥き出しで刺さっていたのです。

あまりの衝撃的な光景に、ようやく香りの正体が解けたような瞬間でもありました。

「ねえ、こんな状態でほっといたら病気になっちゃうよ!!どうして歯医者に行かないの?怖いの・・・?」

「いや、面倒くさいからだよ」

「そんなことある!?ここまで酷くなってるんだもん。流石に行かないと」

「でも面倒だから」

怖いわけでもなく繰り返されるのは面倒だからという言葉だけでした。

たった一度きりで

あまりにも衝撃的な口内を見てしまったから、ワタシはどうしても彼を歯医者に連れて行きたかったんです。いや、ワタシじゃなくてもきっとそうすると思います。

何度も何度も言い続けた結果、一度だけ一緒に歯医者に行くことに成功しました。しかしそれ以降は、何か理由をつけて行くことをしませんでした。

どれだけ言っても行く気のない姿に、自然とスキンシップをとることはなくなり、そして気持ちは急激に薄れて行きました。この時には、同情心すらありませんでした。

そんな時、彼から「納言ちゃんは、もう僕のこと飽きちゃったの?」という腹立たしいLINEが届いたのをきっかけに、「あなたが歯医者に行かないから別れたい」とストレートに伝えたのです。

それを聞いた彼は「次はちゃんと行くから」なんて言ってきましたが、行かないことを散々実感していたので、「あなたは、何度もワタシの言葉を聞いても耳を傾けようとしなかった。他の部分ではとてもいい人だと思う。でも、歯が8本しかないのに歯医者に行かない人とは、付き合いきれないよ」そう伝えました。

そして全てを悟った彼は、ワタシの「別れてください」という言葉に、たった一言、「わかりました」とだけ答えたのです。

こうして、彼との交際は幕を閉じたのです。

最後に

優男と付き合って以降、どれだけ優しい人でも欠点を抱えているし、口の中には大きな秘密を抱えている人がいることも知りました。

そしてそれ以降、付き合う前には確認するようになったんです。

「あの、歯って全部ありますか?」と。

口は顔の玄関だと思っています。

どれだけ誠実な対応をしていたとしても、優しかったとしても、玄関の清掃を怠っている人は、どこか欠点がある。

そうワタシは思うのです。

皆さんの付き合っている人や、関わっている人の玄関は大丈夫ですか?

もしも気になる人がいる時には、聞いてみてください。

あの、歯ってありますか?ってね。

 

ナイーブな私に勇気をください

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