今回いただいたリクエストは「入院と動けない体」についてです。
ワタシは今まで入院をしたことはありません。
何度も病気や怪我はしたことがあるのですが、入院するほどではなく、基本的に自宅療養という形でした。
しかし、もしもこのままいけば入院することになってしまうのでは・・・と思ったことは、何度かあります。
その時の記憶と今の現状も踏まえながら、今回は書いていこうと思います。
それでは、スタートです。
ある日ワタシは、動けなくなった
エッセイでも何度も書いている通り、ワタシはいまだにうつ病と上手く付き合う方法を探している最中です。
思い返せば、鬱の症状が出始めたのは社会人2年目の夏ごろだったと思います。
幼稚園の激務と異常な環境下で働いていた頃、「いつ何があってもおかしくない」という状態で働いていました。
仕事に行く時の車の中で号泣しながらハンドルを握りしめて園に向かっていたあの日。
園に着けばダッシュでトイレに向かって便器を抱えながら涙を流して嗚咽していた朝。
そんな日々が長続きするわけもなく、体を壊して途中退職という形を取らざるを得ませんでした。あの時、きちんと心療内科の治療に専念していたら、もう少し心も体も安定していたかもしれません。
けれども、若かったワタシは焦りが勝ってしまい、「早く仕事を見つけて働かないと!」そう焦ってしまったのです。
そんな焦りと不安から探し出した保育園での数年間は大変なこともあったけれど、仕事にやりがいを感じていたし、何より仕事に向かうのが楽しかった記憶があります。
ようやく保育士としての仕事ができることに喜びを感じ、日々成長を実感できていたから。
けれども、それもまた頑張りすぎている上で成り立っていたことに今更ながら気付かされています。
結局、コロナ禍以降、職場の雰囲気は一気に悪くなり、職員同士の衝突や不穏な空気に耐えきれず、そして毎日のように降りかかる仕事の多さに圧倒されて心も体もパンクしてしまったのです。
何より自分を騙しながらガス欠状態で働きすぎて限界を超え、ある日突然ベッドから起き上がれなくなってしまいました。
起き方を忘れて
あの日のことは今でも鮮明に覚えています。
朝ベッドから起きあがろうとした時、ワタシは体の動かし方がわからなくなってしまいました。
どうやってベッドから抜け出せば良いのか、どうすれば体を起こすことができるのか、それさえわからなくなってしまったのです。
あの日見た天井は果てしなく遠く、そして底なし沼のように深く見えていました。
声を出そうにも出し方がわからなくて、助けを求めることさえできなかったのです。恐怖から全身が震えていたし、一生このままの状態で過ごしていく覚悟さえしていました。
それくらい、あの時は限界だったのかもしれません。
元気だった頃が思い出せない
20代前半から心は壊れていたのに、それに気づくことができなかったんです。
ご飯を食べられないのが当たり前、鎮痛剤で痛みを誤魔化すのが当たり前、どれだけ痩せても仕事に行くのが当たり前。
そんな異常な当たり前の生活を続けていたから、どれだけ周りが心配して声をかけてくれても、どれだけ周りが止めようと必死に言葉をかけてくれても、ワタシの心に届くことはありませんでした。
何より、働くことが正義だとばかり思っていたから、働けないことが恥ずかしくて仕方がなかったんです。
周りと比べるのは、いつも自分の不甲斐ない弱い心ばかりでした。
今ではもう、元気だった頃を思い出すことすらできないんです。
一人前のご飯を食べられていた頃も、一日中遊びに出掛けても平気だった頃も、何もかも思い出せないんです・・・。
魔の二年間
ワタシが自分の異常さに気づけたのは、家族の言葉はなく、友人の言葉でもなく、心療内科の先生のドクターストップでした。
「厳しいことを言うようだけど、このままいけば命の危険だってあり得るよ。仕事はもう行っちゃダメだからね。今は心と体をしっかり休めないと。取り返しのつかないことになるよ」その言葉と一枚の紙切れがきっかけだったのです。
それから二年の間は、どれだけ社会から置き去りにされた気持ちになっても、働くことはできませんでした。
毎日ぼーっと窓の外を見ながら疎外感を感じ、生きている意味を必死に探していました。
唯一心の拠り所になったのは文章を書くことだったので、時間の許す限り胸の内を綴ることにしていました。
誰にも言えなかった苦しさとか、今ある状況のもどかしさとか、どれだけ情けなくて恥ずかしくて、虚しい時間を過ごしているかも書き記していました。
あの二年間は、まるで時が止まったような日々だったような気がします。
もう一度、社会に属して
魔の二年が過ぎようとした時、ようやく心が前を向いているような気持ちになっていました。
だから彼と相談をして、もう一度働くことを考えたんです。
「お小遣い程度のお金があれば、きっと心も安定するかもしれない。お金がないと不安にもなるし、心も苦しくなってしまうから。だからほんの数時間でも働きに出よう」そう2人で決めて・・。
その話をしてから毎日のように求人と睨めっこをしながら、どうしたら負担なく働けるかを考えていました。
エッセイストとして活動できるまでになりたいという夢も持ち始めていたから、活動が軌道に乗るまでの橋渡しとして考えていたんです。
いつかこの苦しさも、誰かの役に立てる日が来るかもしれない。
そう淡い期待を抱いて・・・。
心の風邪は治ることはなく
働き始めてから半年が過ぎ、今のワタシはというと心の風邪が少しずつぶり返しているような気がします。
かつてのように「消えてなくなりたい」と思うことはありませんが、徐々に食欲は落ち、体のあちこちが痛むようになってきました。
あの時先生に言われた言葉をふと思い出して、(やっぱり、まだ早かったのかもしれない。ワタシはまた頑張り過ぎてしまったのかもしれない)そう思うことも少なくありません。
不器用な性格のせいで、良い具合に手を抜くことができないのかもしれません。
好きな仕事にもう一度就いても、そう簡単に良い環境で働けるわけもなく、結局はかつての職場と同じようなことが起きていることに、心底疲れてしまっているのかもしれません。
そうやって少しずつワタシは、また過去の自分と同じ道を辿ろうとしていることに気づき始めているのです。
働くことが嫌なんじゃない
ワタシはどの場所でも、保育士という仕事を嫌だと思ったことはありません。
そしてたった1人の孤独な人間だったわけでもありません。
どの場所でも仲良くしてくれる人がいて、時に寄り添って支えてくれる人たちに出会えることができています。
その関係は仕事を辞めてからも続いていて、今でもたまに会うこともあります。
彼女たちと仕事をしている時を振り返ると、(やっぱり、この仕事が好きなんだ)そう思えるんです。けれども、どれだけ素敵な人たちと巡り会えても、上手くいかないことの方が多いことを痛感しています。
働くことが嫌なんじゃないんです。
自分のことしか考えられない人たちのせいで、周りの大切な人たちが疲れていくのを、そして子どもたちが嫌な思いをするのを見るのが辛いんだと思います。
何より、そんな姿を見ても行動を起こす勇気が持てなかった自分自身を、嫌になってしまうのかもしれません。
何かしらの使命を持って
ワタシは昔から、少しだけ大変な思いをすることが多い人生でした。
そして今まさに、徐々に体が動かなくなっていることに焦りを感じつつあります。
けれども、やっぱり働くことが好きで、保育の仕事が好きだから、何度も場所を変えて上手く向き合っていく方法を探し続けていたのかもしれません。
ただどれだけ頑張っても、やっぱり人を変えることも、環境をより良くしていくこともできないことに憤りを感じています。
それだけ大変な思いをしているにも関わらず、保育の世界にいまだに身を置こうとしているのは、もしかするとワタシにしかできない何かしらの使命があるのかもしれない、なんてほんの少しだけ思ったりもしています。
純粋にこの仕事を好きでいつづけている保育士さんの力になりたいと願い、行動を起こすための修行期間だったのかもしれません。
今できること、それはきっと職場を離れて心と体を休ませることなのかもしれません。
そして元気だった頃を取り戻した時、ワタシの本当の与えられた使命が始まるのかもしれない。
今はそう思いながら、少しだけ一休みしようと思うのです。
職場の人の代わりはいても、ワタシ自身の代わりはワタシにしかできないのだから。何よりも健康と心の安定を大切にしていくことが、今できる人生の第一歩だと思って・・・。
ナイーブな私に勇気をください
入院と動けない体を読んで
『究極の二択~』の感想コメントでも述べたように、納言さん休みましょう。休むのも仕事ですよ。
私も足かけ4年のうつと今も向き合っている毎日です。一度、軽石のようにもろくなってしまった心を、オブラートに包むように生きています。
納言さん自身が休むと言う選択ができただけでも、充分うつと向き合っていると感じました。仰る通り、職場の人の代わりは、自分がいなくなれば、それなりに代わりの人がくるでしょう。
『ワタシの代わりはワタシしかいないので、健康と心を大切にしていくことが、今できる人生の第一歩と思うから』
今現状の自分自身と向き合っている素晴らしい言葉と思いました。また、上手く付き合っていると感じました。
最初にも述べたように休みましょう。
ありがとうございます。
いつも読んでくださり、ありがとうございました。
病気になると自分のことばかりで、周りの人がかけてくれた言葉とか、寄り添ってくれたその優しさとかを忘れてしまいそうになる時があります。けれども、病気ということを改めて気づけた今、もう頑張ることをやめて自分の人生のために生きることをようやく決断しようと思います。
この決断が人生で大きな分岐点となることを希望に思い、少しずつ少しずつ体も心も休ませてあげようと思います。
いつも読んでくださり、本当にありがとうございます。