リクエスト企画「大人のいじめ」

コラボ企画

今回もたくさんの題材を提供していただき、とても嬉しく思います。

少しずつ皆さんに、ワタシの文章を読んでいただけていることに感謝の気持ちでいっぱいです。

皆さんからいただいた言葉を、ワタシなりに丁寧に咀嚼しながら書いていこうと思います。

今回のテーマは「大人のいじめ」です。

それではスタートです。

どうして無視をするの・・・

子どもの頃に味わったいじめは、とても悲しく辛いものでした。アトピーだったワタシは、見た目で差別をされて、触れてすらもらえませんでした。

それがとても悲しくて、子どもながらに(どうして触ってくれないの?どうして、ワタシを避けるの?)そう思いました。

だからずっと(大人になればきっといじめなんてものも無くなるんだ)そう思って、耐えてきました。

けれども大人になれば露骨に態度に出さなくても、じわりじわりと傷つけるようなことをする人たちが大勢いることを学んだのです。

気に入らなければ無視をする人がいました。

「あなたのためだから」と言って、意見を押し付けてくる人がいました。

無意識なのか、負の感情で結成された仲間を引き連れて、言葉の刃物を突きつけてくることがありました。

弱いワタシは、その言葉を飲み込むことしかできず、さらには「自分が悪いんだ」と責めることで、何とかその環境に慣れようとしていたんです。

あなたのエゴに気づいてよ

保育士を約8年続けてきたけれど、常に相手のエゴの中で振り回されていたような気がします。

誰だって意見はあるし、想いはある。だからこそ耳を傾けて、寄り添えればいいのにと何度も思いました。

けれども彼女たちは違っていたんです。

自分の意見が正しくて、自分と違う人は悪だと考えていました。そこに想像力を働かせることも、相手がどんな思いになっているかを考えることもなく、ひたすら言葉の刃物を突きつけて、心を満たしているようでした。

それなのに、自分が少しでも気に入らないことがあると、まるで被害者のように騒ぎ出すんです。

「かわいそうな私を見て。こんなに悩んでいる私を見て。ほら、涙だって溢れてきているでしょ?」そうやってアピールをするんです。

孤独の成れの果て

今のワタシならきっと、こう言うと思います。「あなたはとてもかわいそうな人です。誰にも相手にされず、信頼できる相手も見つからず、薄っぺらい負の感情を持っている人しか集まらないのだから」と。

仕事を辞めてから、色々なことを考え、想像しました。

そして気がついたんです。
いじめをする人の多くは、本当の意味で寂しい人なんだと。

家庭でうまくいっていないとか、信頼できる友人がいないとか、自分の存在価値を認めて欲しくて、「わたしはここにいるんだ!もっと見てよ。もっと構ってよ」そうやって、叫んでいる人たちなんだと思うようになりました。

だから群れを作り、同じように悪口を言ったり、無視をしたり、わざと心をざわつかせるようなことをするのだと気づいたのです。

孤独に気がついて

それは職場に限らず、ネットの中でも同じことだと思います。日々の生活がうまくいっていなくて、誰かに相手にして欲しくて、心の優しい人たちに擦り寄って暴言という形でしか、表現できない人たちなんだと思います。

もしもどこかで、「他人になんて構っていないで、あなた自身を見てあげなよ」と寄り添ってくれる人がいたら、きっと関わり方は変わっていたでしょう。

「相手を傷つけている瞬間は優越感に浸れるかもしれない。でもね、その言葉は自分にも向かっていて、自分の心さえも傷つけていることにどうして気が付かないの?もういい加減、自分を大切にしなよ。あなたの人生なんだから」そう言って、無理矢理にでも抱きしめてくれる人がいたら、心の氷も少しずつ溶けていくのかもしれません。

誰かに攻撃的な人も、感情に任せて態度に示す人も、きっと寂しいんだと思います。

本当の意味で、孤独なんだと思います。

だって自分自身を愛してくれて、ちゃんと見てくれる人が目の前にいたら、きっと思いやりの心が芽生えるはずだから。

過去を振り返り

心が壊されかけていたあの頃を振り返ると、大人のいじめに加担している人たちは、どこかで孤独を感じ、誰かに劣等感を抱いている人ばかりでした。

表面ではなく、その人自身のことを心から理解して、寄り添ってくれる人がいなかったから、心の叫びを別の形で出すしかなくなってしまったのかもしれません。

だからきっと彼女たちも寂しくて、かわいそうな人なんだとワタシは思います。

けれどもその環境の中にいると、たった1人の言葉が、たった数人の態度が巨大なものに見えて、途端に怯えて、何も言えなくなってしまいました。

小さな言葉に大きく傷ついて、心を壊してしまったのです。

ただ大人になっても、相手の気持ちに寄り添うこともできず、相手を傷つける方法しかわからない人の心には、きっとこちらの声は届くことは難しいとも思うんです。

何層にも重なり合った角質みたいなものが、どんどん固く大きくなって、心を塞いでしまっているから。

最後に

人は変わることはありません。

どれだけ歩み寄ろうとしても、どれだけ優しい言葉をかけても、きっと届くことはないでしょう。

それは彼女たちが本当に向き合って欲しい人に振り向いてもらえなかったり、叶えたい願いを担うことが、ワタシにはできないからです。

自己啓発本を読もうとも、いい映画に巡り合おうとも、素晴らしい音楽を聴こうとも、きっと「大人のいじめ」無自覚にしている人たちの心には、届くことはありません。

声をかけてほしい相手が、寄り添って欲しい相手が、他にいるのだから。

私たちができることは、孤独に喘ぎ、傍若無人な振る舞いをする人たちから離れることです。

あなたの大切な感情を振り回されないように、大きな傷をつけられて、ワタシのように大切なものを失わないようにするためにも。

ただもしも、どこかで相手が心の隙を見せた時、そっとそばに寄り添って、辛さを聞くことはできるかもしれません。

悪口に加担するのではなく、無視をする行為を一緒にするのではなく、「自分の心を傷つけるようなことは、やめていいんだよ・・・。あなた自身を愛してあげて」そう言って言葉で抱きしめてあげられたなら、きっと関係は少しずつ変わり始めると思うから。

 

ナイーブな私に勇気をください

  1. TK1979 より:

     納言さん、こんばんは。 

     今回のリクエストは、お題·感想·返信と一気に読みしました。実は三回読んでますwラッキーなことに電車が止まっているようなので、まだまだ読み返せるようです。
     今、言えることはリクエストされたご本人様同様に
    『一番うれしかったことは、納言さんと出逢えたこと』
    それに尽きる一年でした。
     あ、一年もSNSしてませんw
     今からエッセイ·感想·返信と再読し心に刻みこもうと考えています。
     ありがとうございました。

    追記 リクエストされたご本人様、三浦様のお言葉引用する形になってしまいましたので、私も名乗ります。
     TK1979こと高尾と申します。

    • いつも読んでくださり、ありがとうございます。
      こちらこそ、ブログを始めてから毎回コメントをいただけて、その度に励みや勇気として自信に繋げさせていただいています。
      誰かの言葉で背中を押される時がある。
      誰かの寄り添いで肩の力が抜ける瞬間がある。
      そうやってSNSやブログを通して、あらゆる勇気をTK1979さんにはいただいてきました。
      こちらこそ、素敵な方と繋がることができ、本当に嬉しく思います。
      ありがとうございました。そしてこれからもどうぞ、よろしくお願いいたします。

  2. 三浦杏 より:

    納言さんへ

    こんばんは。いつもお世話になっております。
    そして早々に「大人のいじめ」を取り上げてくださり本当にありがとうございました。

    私も幼少期から目の色の違いや人と普通に話せない等のコミュ障があった為、皆んなからいじめの標的にされておりました。
    育った環境も悪く、親から言葉の暴力をはじめ育児放棄(ネグレクト等)常に身近にあったものですから、特にそれがおかしい?とも分からず育ちました。

    (言葉の刃物)と言うのは私の心にも容赦なくグサグサと刺さり、その事により自分を責める日々でした。
    大人になればイジメは無くなると信じていましたが、それは儚い夢であり実際は大人のいじめの方が酷くて醜くいものでした。裏でグループを作りある事ない事…色々言われ傷つきました。
    もちろん私へ聞こえるように わざと悪口を言う人も沢山おりました…

    今も変わらずで、楽しむ為に始めたインスタでもやはり一定数 悪口を言い それを楽しみ 陰で笑っている人達はいます。
    だからと言って全部相手が悪いとは思わず、自分にも原因があるから言われるのでは?と毎日ふと気づくと考え込んでいる自分がいます……
    仲の良いフォロワーさん達にも相談に乗ってもらい、暫くはアカウントを放置し投稿もしないで様子見したら!と助言を頂いたので現在は投稿したくても出来てない状況なのです。

    子供でも大人でも、何気なく発した言葉が刃物になるんだ!そして、それを苦に死を選ぶ人も居るんだ!と言う認識が欠けているんだと思います。
    また、それを選択したとしても何とも思わない人も少なからず居るのだと感じます。

    納言さんも仰る通り、やっと最近になり自分自身を大切に そして愛してあげて良いんだ!と気づきました。
    落ちている時はそれが難しいと感じる事も多いのですが、なるべくどんな自分も好きで居てあげようと頑張っております。

    最後に、このような機会をつくってくださり、師走でお忙しい中 大人のいじめについて寄り添って頂いた事!本当に感謝しております。
    今年私にとって一番嬉しかった出来事は、納言さんと出逢えた事です。
    上手く文章に出来ていないと思いますが、これからもエッセイ楽しみに拝見させて頂きたいと思います!

    anより

    • 今回エッセイの題材をくださり、ありがとうございました。そして、ワタシ自身も経験があったことだったので、書きながら自分自身も考えるテーマとなりました。
      つい最近anさんに出会い、投稿を拝見させていただきました。投稿の一つひとつに優しさと温かさを感じていたので、仲良くしたいと思ったのがきっかけです。
      これはワタシの意見になってしまうのですが、今まで出会ってきた人も含めて、見た目では明るそうに感じたり、とても優しい言葉をかけてくださる方は、たくさん傷ついてきた人だと思います。それは、傷つき悲しんだ経験だけ優しくなれる人が多いんだと、特に最近感じることが増えました。
      過去の話を聞きながら、本当にお辛い経験をされ、自分を責めて、それでも前を向うとする姿に、コメントを読みながら涙が溢れそうになってしまいました。
      けれども、人は悲しみを知らないと誰かに寄り添うことはできません。
      誰かに傷つけられた時、初めてその傷の痛みを感じ、考えるようになると思うんです。家族のことや、今でも大人のいじめに苦しみ、悩み、そして自分自身を愛そうとするanさんは、本当に優しくて素敵な方だと思います。
      どれだけこちらが寄り添ったとしても、鋭利な刃物を向けてくる人はいます。
      それは残念だけれど、私たちではどうすることもできません。だからこそ、同じ思いを味わっている人や、同じように苦しんでいる別の人に寄り添うことはできると思うんです。
      どうか、これからもanさんが伝えたいこと伝えてください。
      そしてもしも、嫌な言葉をかけてくる人がいるのなら、その人たちから距離を取り、その人たちの孤独に飲み込まれないようにしてください。
      ワタシも嫌なことを言われたり、鋭利な刃物を突きつける人は速攻でブロックして視界から消します。笑
      でもきっとその人たちも、いつかは気づくと思うんです。
      誰もかまってくれなくなって、たった1人になっていることに気づいた時、どれだけ寂しくて、どれだけ悲しいことかを。
      ワタシもSNSを通して、こんなに素敵な方と出会えて、とても嬉しく思います。
      これからの投稿、を楽しみにしています。
      読んでくださり、本当にありがとうございました。

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