つい最近、あるニュースが目に止まりました。
それが「保育士の集団ストライキ」でした。
小規模園の保育士さんたちが、手作りのプラカードを持って路上に立ち、そして何度も何度も頭を下げながら思いを伝え続けている姿に、過去の自分と重なるようで重ならない部分がありました。
もしもあの時ワタシにも同じような気持ちを持った人たちと出会えていたら、ニュースの人たちのように抗議することができていたのかもしれない。
けれども現実はそう簡単にうまくはいかず、ニュースを見ながらぼそっと「すごいなぁ。同じ気持ちになって抗議をするなんて・・・ワタシにはそんな勇気も、同じ志を持った人を集める力もなかった」そう呟いていました。
限界保育士だった頃へ
ワタシはかつて「限界保育士」でした。
毎日の業務に追われ、園独自の謎のルールに縛られて、なんとかその小さな社会の中でやり過ごす術を考え続けていました。
どれだけ懸命に働いても認めてもらえることもなければ、給料が上がる訳でもありませんでした。
せめて子どもたちとの平和な日々を過ごすことができたなら・・・そうやって思いだけが強くなるだけで、現場の環境も待遇も改善されることはありませんでした。
日々同じ現場で働く先生たちの目つきが鋭くなり、言葉がキツくなり、風当たりが強くなっていく姿をただ受け止めることしかできない状況が、苦しくて、辛くて、ワタシの心まで暗くにごらせていったような気がしたのです。
何度も思いました。
この現状をなんとかできないだろうか・・・と。
けれどもそんな行動を起こす勇気をワタシは持ち合わせてはいなかったのです。
戻りたくなる瞬間に
今でこそ、ワタシは園という一つの社会の中で働くことを諦めて、別の形で子どもと関わる仕事をしています。
けれどもふと、過去の思い出がよみがえり、そして「もう一度子どもたちの成長を近くで見たい」と願ってしまうことがあります。
給料が安くても構わなかったあの頃。
子どもたちの笑顔だけがワタシの心の救いだったあの頃。
そんな「あの頃」が懐かしく、猛烈に戻りたくなってしまう時がありました。
けれども心を壊したことを思い出して、「もう戻ることはできないんだ」と胸が締め付けられる思いに駆られて、そして自暴自棄になる瞬間がやってくるのです。
ワタシの心に傷を負わせた人たちを恨むことは簡単でした。
見えていない相手に強い言葉で非難することも簡単でした。
けれどもその言葉の後に待っているのは、虚しさと寂しさだけだったのです。
勇気の行動に何を思う
ワタシはニュースを見ながら、自分自身の過去と重ねていました。
そして「ただ子どもたちと笑って過ごしたいだけなんです」と書かれたテロップに、ぎゅっと胸を掴まれた気持ちになって、ひたすら画面を見つめていました。
全国のテレビやネットにストライキの様子が流れ、そこには当事者の保育士たちの覚悟が垣間見えていました。
そしてその場所にいる先生たちはきっと、心の底から「子どもたちのために」そして「自分たちの尊厳のために」と勇気を出して行動を起こしたことでしょう。
その姿に、きっとワタシ以外の保育士たちも背中を押された部分はあったかもしれません。
狭く、排他的な環境だからこそ、こうして行動を起こしてくれたことは、あらゆる保育士の勇気に繋がることになったことでしょう。
ワタシなりのやり方で
そしてワタシは、そのニュースを見ながら「ワタシなりのやり方で戦おう」という気持ちを再び思い出させてくれました。
エッセイを始めてから、ワタシも彼女たちと同じ気持ちを持ち続けて、文章に残してきた一人です。
この先の未来ある保育士さんたちが、虐げられる時代を終わりにするために。
そして本当の意味で子どもたちと共に笑顔で過ごせる環境にするためにも。
ワタシはワタシのやり方で、一人の保育士として戦うことを決めたから。
その気持ちをもう一度思い出させてくれた彼女たちの勇気ある行動に、心から敬意と感謝を込めて。
ナイーブな私に勇気をください