許すに変わるその日まで

保育士時代の体験談・過去のトラウマ

皆さんには、過去や現在に関係なく今でも心に残っている「許せない」経験はありますか?

学生時代のいじめ、恋愛、職場環境などそれぞれが抱えている悲しみやトラウマみたいなものが、きっと誰しもあるのではないでしょうか。

私自身も壮絶ないじめや、職場環境、そして恋愛に至るまで過去に心をえぐられる経験をしたことが何度もありました。その度に「絶対に許さない。いつか見返してやる」と復讐心を燃やしていました。

辛い思いをさせられた側がいつまでも心に大きな傷を抱えて、傷を負わせた相手は幸せに暮らしていることが許せなかった。

まるで過去のことなんて、燃えるゴミと一緒にいとも簡単に捨て去っていくような姿が、どうしても受け入れられなかった。

だから私は、いつまでもトラウマ復讐心を抱えたまま大人になってしまったのです。

復讐心が生み出したもの

文章を書く1番のきっかけも復讐心からでした。

過去の恋愛で浮気をされたり、物みたいに扱われたりすることが辛くて悔しくて、どうにかして誰かに伝えたかった。

その想いが、私にとって文章を書く原動力となりました。

始めたばかりの頃はやり方が全く分からないまま、ひたすら当時の苦しかったことを文章として残し、状況を知っていた数名の友人たちに毎回LINEに送って読んでもらっていました。

友人たちは「こんなことあったね。懐かしいね」なんて言いながら、私の先行きの見えない復讐計画の動向を心配しながらも応援してくれていました。

けれども、一向に心が満たされなかったのです。

どれだけ書いても、どれだけ読んでもらっても、私の気持ちが晴れることはありませんでした。

本当は、分かっていたのかもしれません。

「こんなことしたって無駄なのに」って。

SNSで見た新事実

文章を書き始めて1ヶ月が経とうとした時、まだInstagramを始めていなかった私は、心機一転インスタを始めてみることにしました。

するとおすすめに出てきたのは、かつて私を苦しめてきた元彼たちだったのです。

ついインスタの投稿を見てしまうと、幸せそうに新たな女性と写る彼らの姿がありました。そして追い打ちをかけるように結婚をしていることも、そこで初めて知ったのです。

かたや私は恋愛も上手くいっておらず、さらに復讐心を燃やした哀れな存在として彼らの投稿を呆然と見ることしか出来ませんでした。

どうしてこんなに上手くいかないの?

何が、そんなに違うの。

どうして私ばかりこんな思いをしなければならないの?

そう自問自答しても、答えは一つも見つかりませんでした。

ただ分かっているのは、彼らが新たな幸せを手に入れている事実と不幸の道を突き進んでいる私がいる、それだけでした。

復讐の目的が徐々に変わり始める

しかし捨てる神がいれば拾う神がいるわけで、こんな哀れで寂しい人間にも手を差し伸べて救い出してくれた人がいました。

愛し愛される本当の意味を教えてくれた、たった1人の神様が。

けれど、結婚したからといってすぐに幸せになれたかというとそういうわけではありません。

仕事は継続的に上手くいっていなかったし、心の中に残り続けている傷だってありました。どれだけ忘れようとしても脳裏から離れない苦しみが常に残っていたのです。

文章を書き始めてから半年が経とうとしていた頃、まだ交際中だった夫にこんなことを言われました。

「納言ちゃん。過去に辛い経験を沢山してきたことは、何一つ無駄じゃないんだ。許すことなんてしなくてもいい。これから先も、忘れなくていい。けれど、君が文章で当時の想いを書き続けていくうちに、きっと受け入れることが出来るようになっていくよ。それにね、納言ちゃんと同じように苦しみを経験した人は、この世の中に大勢いる。そんな時、君の文章で救われる人は必ずいるから」といったのです。

「えっ!?救われる人?」そう聞くと、続けてこう言いました。

「そうだよ。きっと誰にも相談できずに心の中にしまい込んでいる人たちも大勢いると思うんだ。そんな時、同じ経験をした君が代弁してくれたら、『同じ人がいたんだ、自分だけじゃなかったんだ』って思えるから。それはね、経験した人にしか書けないし、経験した人にしか語れないことなんだ。だから、書き続けて。自分のためにも、同じ気持ちを味わった人たちのためにも」と。

許すに変わるその日まで

文章を書き始めて一年が経とうとしています。

もちろん今でも、過去にされたことを許すつもりはありません。何より、トラウマとして心に刻まれた傷は、そう簡単に癒えることはないと思っています。

ただ、復讐するという考えはやめました。

「あの時してきたことを後悔させてやる!」とか、「不幸になってほしい」とも思っていません。

けれども事実を書くことで、気持ちが晴れる日が来るかもしれませんが、目的はそこではなく、ただただ名前も知らない誰かに「私も同じ気持ちだったよ。あなたは、1人なんかじゃないんだ」と言い続けることが、今では私のやるべきことだと感じています。

それは同じ苦しみを味わったからこそ伝えられるものであり、寄り添うことにもなるはずだと信じているからです。

かつて復讐心のみで突き進んできた私ですが、新たな目的に変わった日から、少しずつ書く本当の意味を見つけたような気がします。

そして新たな目的を持ち始めた私自身も、過去の自分に伝え続けているのです。

幼い頃に言って欲しかった言葉を、独りぼっちだった当時の寂しさを埋めるように。

「今までずっと苦しかったよね、辛かったよね。でもね、あなたは1人なんかじゃないよ。我慢しなくていいんだよ、泣いていいんだよ。自分の心に素直になっていいんだよ。今は、真っ暗な闇に取り残されているように感じるけれど、ほんの少しだけ顔を上げて周りを見てほしい。新しい景色が広がっていることに、きっといつか気づくはずだから。その時あなたは、1人じゃないってことにきっと気づくはずだから」そう大人になった私は、これからも伝え続けていこうと思います。

ナイーブな私に勇気をください

  1. TK1979 より:

    許すに変わるを読んで

    君の文章で救われる人は必ずいる

     納言さん、やっぱり再読は楽しいですね。
     最初に読んだ時は、
    『え、復讐』
    なんて言葉に目を奪われていました笑
     色々とエッセイに感想を入れていますが、納言さんのその都度の返信が、より理解できます。
    『言葉では表現できないことも、文章となれば表現できる』
     ある意味納言さんのエッセイは
    『心の解放』
    なのかもしれませんね。私が感じた
    『納言さんの言葉をまとって人生を全うしたい』
    間違いではなかった。
     そんな思いを再確認できた再読でした。
     ありがとうございます。

    • まさか再読してくださったなんて、なんたる光栄。ものすごく嬉しいです!!
      いつもありがとうございます。
      初めは「復讐」から始まったこの試みも、少しずつ自分のために、そして誰かに寄り添えたら嬉しいなと思い、書くようになりました。
      続けていくうちに、こうして感想をもらい「言葉をまとって人生を全うしたい」と言ってくださったこと、本当に感謝します。
      これからもまた、ワタシなりの言葉で色々な感情をつむいでいこうと思います。
      本当にありがとうございました。

  2. オーハラ より:

    復讐することよりも、
    受け入れる事や許す事の方が、
    とてもパワーのいることですし、
    時間も掛かるかも知れない。

    でも、それが出来れば、
    きっと、今よりもずっとHappyな未来になる、
    そんな気がします。

    それには、”裏切ることのない圧倒的な理解者”
    が存在していることっていうのが、
    すごく大きくて大切なことで、

    納言さんにとって、
    尊き旦那様とお会い出来たこと。

    そしてその方が、傍にいらっしゃること。
    そのことがとても心を強くさせる、1人では勇気が入りすぎて決断出来ないことも出来るし、帰ることが出来る場所にもなっている。

    高所恐怖症の人が1人では壁が透けてるエレベーターに乗れなくても、信頼出来る誰かとなら乗れるように。

    ここをそんな場所にしようと作られた納言さん。

    誰かを認めて、
    優しく大きく包んでくれる、
    そしていつでも帰って来れる場所。
    とても素敵な場所。

    つまり、
    ここのことを”納言さんの旦那様”
    って呼んでも相違ないと思います。

    • オリエンタル納言 オリエンタル納言 より:

      いつもブログを読んでくださり、本当にありがとういございます。
      このエッセイを書いている最中も、「許すこと」について、向き合い続けている途中でした。
      そして今まで復讐心を燃やしていたのは、私自身の気持ちが整理できず、何より受け止めてくれる存在がいなかったことが一番大きかったと思います。
      もしも夫に出会うことができなければ、暗闇の奥深くまで堕ちていき、自分自身を失っていたと思います。
      エッセイを書くきっかけになったのも、夫が詩を書いていたからでした。
      今こうしてオオハラさん含め様々な方に読んでもらい、感想をいただけるようになったのも、夫のおかげかもしれません。

      「高所恐怖症の人が一人では壁が透けているエレベーターに乗ることができなくても、信頼できる誰かとなら乗ることができる」この言葉を読み、不透明だったものの輪郭が掴めたようでした。
      どれだけ不安や恐怖を感じていても、たとえ尻込みしてしまいそうなことがあったとしても、たった一人でも「大丈夫だよ」と手を繋いでくれる人がいる。それこそが、「許すに変わる」第一歩なのだと思います。
      そして夫だけではなく、夢を応援してくれる友人、そしてオオハラさんのように読んでくださる方々に、私は助けられ救われ続けているのだと思います。
      長くなってしまいましたが読んでくださり、そして素敵な言葉を贈ってくださったことに、心から感謝いたします。
      本当にありがとうございました。

  3. モト より:

    こんにちは、フォロワーのMo_to_suです。
    ブログ読ませて頂きました。
    許したくない気持ち分かります。
    私は職場で中間管理職でしたが、あることがきっかけで職場異動させられ、その先の上司に無視や情報伝達がないといった嫌がらせを長年受け、最終的には会社に行く時に涙が出てきて、会社では吐き気がして動悸がしだし病院で適応障害と診断され、休職した後会社を退社しました。
    今でも忘れられず辛くなる日々が続いています。
    そんな中、絵を描いたり何かものを作ったり、ボランティアをすることで少しづつ改善されてきました。
    相談相手の親友にも許すことができるようになったらいいねと言われた事を思い出しました。
    自論ですが、敬意を示さない人にこちらがしめす必要はないと割り切るようにしました。
    そんな考え方もあるのねと流すことで自分が消耗しないように。
    長々と書いてしまいすみません。
    少し救われました、ありがとうございます。

    • オリエンタル納言 オリエンタル納言 より:

      エッセイを読んでくださり、ありがとうございます。
      モトさんのコメントを読みながら、以前の私の境遇と、とても似ている部分があり驚きました。
      中間管理職という板挟みの状況下で、無視や嫌がらせなど、本当にお辛い経験をされたんですね。
      職場に向かう途中で涙が溢れてしまうこと、その場にいるだけで胸が苦しくなっていく気持ち、本当に痛いほどわかります。
      それでも日々の生活の中で自分と向き合い、前を向いて歩んでいこうとされたことに、読みながらとても勇気をもらいました。
      ただ人それぞれに個性があるのと同じで、性格が合う人がいれば合わない人がいる。そして、合わない人の方が悲しいけれど、多いんですよね。
      その中で、親友さんのように寄り添って声をかけてくれる人に出会えたことは、どんな高価なものよりも価値があると、私は思います。
      忙しく流れていく社会では自分のことで精一杯で、無意味に誰かを傷つけたり、自分勝手な行動をする人も沢山いると思います。
      されたことを許すことも、受け入れることもしなくていいと、今でも思っています。
      けれどもこの先出会った人や、今でも関わりのある人たちには痛みを知っている分、優しくしていきたいと思うのです。
      お辛い経験を話してくださり、本当にありがとうございました。
      そして文章を通しての返信にはなってしまいますが、悲しい思いをされた分、きっとこの先の未来が少しずつ明るく照らされていくと思います。
      過去を乗り越え一歩を踏み出されたらからこそ、この先の人生が笑顔で溢れるように、心から願っています。
      長くなってしまいましたが、読んでくださり本当にありがとうございました。

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