祖父と始めたショートメール

オリエンタル納言日常日記

今年になってから、ワタシの周りではあまり良くないことが立て続けに起きています。

1月1日には、第二の故郷である石川県を中心に大震災が起こりました。家族全員の命こそ助かったものの、思い出の家は見るも無惨に崩れ去ってしまいました。

それだけでも大きなショックを受け、そしてこの先どのように現実と向き合えばいいかさえ悩み、迷うこともありました。

しかし、悲劇はこれだけでは終わらなかったのです。

母と祖父の病気

ある日、母から泣きながら電話がかかってきました。

「おじいさんが、癌だって・・・」と。

その言葉を聞いた時、ワタシは妙に冷静で母の話を遮ることもなく、相槌を打ちながら話を聞いていました。

スマホ越しに号泣し、話をすることさえ精一杯の母の声を聞きながら、ただひたすら状況を聞くことしかできませんでした。

しかし、それに追い打ちをかけるように今度は母が線虫検査(がん細胞の匂いに引き寄せられる線虫の習性を利用した検査)で、A〜E判定のうちのD判定が出てしまったのです。

書面には「再度受診をしてください」そのようなことが書いてあったと思います。自分の父親がガンになり、自分自身もガンかもしれない状態で、母はかなりのショックを受けてしまいました。

感覚を信じて

いつかのエッセイでも書いたことがあるのですが、ワタシは小学生の頃から科学では説明のできない感覚の鋭さが発動することがあります。

それが「別れと死期が予期できる」感覚です。

昔から誰かと縁が切れてしまう前と大切な人が亡くなってしまう前には、その人が夢の中でワタシに声をかけてくれるんです。とはいっても、言葉が聞こえる訳ではなく、口をパクパクさせながら無音の状態でその姿を見つめるという変わった夢を頻繁に見るようになります。

その夢を境に「いなくなってしまう」という猛烈な恐怖感と不安感に度々襲われ、みぞおちあたりがゾワゾワする感覚が当分の間続き、別れへの準備期間に入るというなんとも不思議な言葉では説明のつかない感覚が訪れてしまうのです。

けれども、祖父のガンの話を聞いた時も、そして母の線虫検査の結果を聞いた時にも、この不思議な感覚が発動されることはありませんでした。

信じてもらえるかどうかもわからなかったので、ただ一言だけ2人とも、きっと大丈夫だと思うよ」とだけ伝えたのです。

母の検査結果は・・・

それから母は早めに病院で受診し、改めて精密検査を行いました。

その度に「母ちゃんは、まだ大丈夫だから」と伝え続けていました。それから数週間が経った頃、母の検査結果が出てきたのですが結果はガンの疑いはなく、特に問題もありませんでした。

「検査結果は問題なかったよ。これで一安心した」

「そっか!よかったね。だから大丈夫って言ったでしょ?」

「本当だね。でもおじいさんはまだ心配・・・」

「でもね、じいちゃんもきっと大丈夫だよ。まだ、そんな感じがしないから」

「・・・そうだといいな」

そのやり取りの数週間後に、祖父はガンを取り除くための手術を行なったのです。

手術は無事に

手術は約6時間かけて行われました。

元々予定されていた手術の内容は、体力的な問題や色々な弊害があり、ガン細胞だけを取り除くことが最大限の処置となりました。

母自身、ガン細胞とその周りの細胞全て取り除けるものだと思っていたこともあって、全てが取り除けなかったところだけに目がいってしまい、手術後の電話では今にも崩れ落ちそうなくらいの声で、泣いていたのは鮮明に覚えています。

「じいちゃんが、じいちゃんが」そう泣きながら、ほぼ過呼吸みたいな息遣い、そんな声を聞いていてもワタシはどこかで(いますぐに命に関わることもないし、きっと大丈夫だからなぁ。)と思う気持ちの方が強かったのです。

その日はたまたま実家にいたので、看護師の父に母の話を聞いた上でどのような状態かも聞きました。

「これから先、悪さをするかもしれない腫瘍は取れなかったけど、大元のがん細胞は取れたからよかったと思うよ。それに、無理に全てとってしまったら、逆に命の危険に晒されることもあるからね。今回の判断は、適切だったんじゃないかな」と。

久しぶりの再会で

あの手術から数週間が経ったある日、久しぶりに祖父に会いにいきました。

元気で穏やかな祖父ではなく、痛みに耐えながら苦しそうにしている祖父の姿がそこにはありました。

傷口が痛くて、思い通りに体が動かない。それが余計に辛いのだと話していました。

それでも祖父は、会えたことが嬉しかったのか色々話をしようとしたり、病室からの景色、今年の夏の花火のことなんかも話してくれたのです。

直接会った時でさえ、ワタシは感じていました。

(じいちゃんは、もうしばらく向こうに行くことはないんだな)と。

簡単なやり取りを

お見舞いに行った後から、毎日祖父に連絡を入れるようにしています。まだ電話をできる状態ではないから、ショートメールでやり取りをしています。

慣れない絵文字を使いながら、時に誤字がありながらも精一杯文字を打って近況を報告してくれています。

過去にワタシは2人の大切な人を亡くしています。そして亡くなる前に「何かできることは」と探してみても、何もできずにただその時を待つことしかできませんでした。

もっと会いにいけばよかった。

もっと連絡を取っていればよかった。

けれども、そんなことを後悔してもどうしようも出来な状況でした。

祖父は今のところ命に別状はなく、少しずつリハビリをしながら日常生活に戻れるようにしている段階です。

人の命はいつどこで消えてしまうか、わかりません。

それは縁も同じこと。

だからこそ、命の糸を手放してしまう前に、生きている間に、たくさん思い出を作っていきたいと思います。

どれだけ些細なことでもいい。

いつまでも後悔が心の中に残るのではなく、思い出が心を癒してくれるようにするためにも。

ナイーブな私に勇気をください

  1. TK1979 より:

    祖父とはじめた···を読んで

     私の父は、ガンを宣告され手術をして、一週間で亡くなりました。夜中3時頃、入院している病院から電話があり、重篤な状態なので、直ぐ来てほしいと言うことでした。
     私たち家族が駆けつけると、すでに集中治療室で蘇生処理が行われていました。
     呆気に取られた私たちに医師から告げられた言葉は···。
     人の命はいつどこで消えてしまうか、わかりませんね。後悔先に立たずと言う言葉がありますが、先も後もない、突然の別れでした。あまりにも突然で受け入れることができませんでした。
    『長い人生これからやから、がんばらな』
    と言う父の最後の言葉が、グルグル頭の中で回り続けました。
     ショートメール、良いことですね。
     後悔が心に住み着かないように、一杯思い出を作って下さい。納言さんの言葉とおり
    『思い出が心を癒してくれる』
    ようにするために···。ありがとうございます。
     

    • いつも読んでくださり、ありがとうございます。
      余命宣告されてからすぐのお別れ・・・。すごくお辛かったと思います。
      ワタシも祖父のガンを聞いた時は、少しの不安と自分の抱いた感覚を信じ、母に何度も何度も「大丈夫だから。きっと大丈夫」と言い続けることしかできませんでした。
      今も入院をしているのですが、幸い早期発見だったこともあり、少しずつ回復に向かっている状態です。けれども、年も年なのでこれからの時間をなるべく後悔しないように過ごすためにも、ショートメールを続けていこうと思います。
      後悔や、悲しみが心を支配せず、感謝や思い出が心を癒してくれるように今できることをやっていきたいから。

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