お誕生日おめでとう

オリエンタル納言日常日記

今日はワタシのパートナーであるましゅぴの誕生日です。

天邪鬼で変なところで素直になれないワタシは、直接本人に思いを伝えるのがちょっとだけ恥ずかしいので、今回はブログを通して日頃の感謝と思いを綴っていこうと思います。

子どもの頃は誕生日を心待ちにしていて、その1日が何より特別な1日になっていました。

けれども大人になると、誕生日の価値は少しずつ薄らいで「今年もまた、年齢を一つ重ねてしまったか」そんな気持ちになってしまうこともあるかもしれません。

だからこそ、純粋に自分の生まれたことを喜び、そしてあらゆる大切な人たちにお祝いをしてもらう。

そんな特別で幸せな気持ちを彼にも味わってほしいと、心から願います。

 

少なくなっていくプレゼント

彼の誕生日を祝うのも、今年で3回目を迎えます。

結婚する前が一回、それ以降は全て結婚してからとなります。結婚してからは、ワタシの両親も含めて彼の誕生日会を開きお祝いをしています。

初めて誕生日をお祝いした時には、金銭的な余裕が今よりはあったので、ちょっとだけ高価な物を渡したような気がします。

そしてその当時からすでにエッセイを書き始めていたこともあり、彼のためだけに文章を添えてプレゼントをしました。

あの時から変わったことは、毎年のプレゼントが少しずつ質素になってしまったことでしょうか。笑

仕事を辞めて、無職になって、新しい職場を見つけてもパートとしての給料では高価な物は買えず、そのため毎年のプレゼントは年々少額になっているのです。

無い知恵を絞って

残念ながら今のワタシには、彼のほしいものを全て叶えてあげることも、買ってあげることもできません。

元々物欲が本以外はほとんどない人なので、プレゼントの話をしても「納言ちゃんからもらったものならなんでも嬉しいよ。あっ、でもこの本がね」と結局欲しがるものは本ばかりなのです。

そんな彼が少しでも本を読む時間が楽しくなるようにと、結婚して2年目以降は毎年のようにブックカバーをプレゼントしています。

そしてない知恵を最大限に絞り、ワタシにしかできないことを模索した結果、彼のために贈る文章を綴ることも欠かさず毎年のプレゼントとして添えているのです。

その顔を想像して

ワタシは誰かの誕生日の時に、贈り物を探して渡す瞬間が1番の幸せだと幼い頃から感じていました。

精一杯選んだものを渡した時、相手が喜んでくれたら自分も嬉しい気持ちになります。

一生懸命書いた手紙の想いが相手に伝わったら、幸せを感じます。

誕生日は当の本人からしたら大人の階段をただひたすら登り続けていくだけのように感じてしまうかもしれませんが、ワタシにとっては年に一度のとても大切な想いを贈る日だと思うのです。

日頃言葉では言えないような想いを形にして、そしてあまり態度には出せない心のうちを手紙として贈る。

その大切な1日に、関われることこそ何より嬉しく幸せだと感じるのです。

深夜0時のあなたは・・・

ちょうど今日の深夜0時、誕生日を迎えた彼は「今日でましゅぴもまた一つ歳をとりました・・・。って言っても、子どもの頃よりもなんだか誕生日の特別感ってなくなったよねぇ」なんて言っていました。

その表情はどこか寂しげで、ものすごく大人の存在に感じてしまったのです。

私たちは同じ歳だし、ほんの数ヶ月だけ先に年齢を重ねる彼の表情がものすごく遠く、そして大人びているように見えていました。

それと同時に、なんだかちょっぴり寂しい気持ちにもなりました。

幼い頃のように誕生日を今か今かと待ち侘びることはなく、ただただ年齢を重ねるための一日になってしまっていることが、彼の表情から伝わっていたのかもしれません。

大人の階段を登っても

あの言葉を聞いた時の表情が今でも忘れられません。そして、大人になっても誕生日のたった1日だけでいいから、子どもの頃のように生まれてきたことを喜び、大切な人たちにお祝いされながら自分のためだけの特別な日だと感じてほしいと思いました。

きっとワタシも自分の誕生日が来た時には、同じように大人びた表情をしながら思ってしまうのかもしれません。

あの頃のように、純粋に大きくなることを喜べなくなっている・・・って。

また一つ、大人の階段を登ってしまったんだな・・・って。

嬉しいよりもどこか寂しい感情が特別な日に芽生えた時、もしかすると人は、本当の意味で大人の階段を登り始めているのかもしれません。

だからこそ、ワタシは彼に伝えているのでしょう。

「生まれてくれてありがとう。出会ってくれてありがとう。誕生日は大人の階段を登るためではなく、あなたが生まれてきたことを、今関わっている大切な人たちと共に心から喜ぶための特別な1日だよ」と。

最後に

ましゅぴへ、

お誕生日おめでとう。今年は、お手紙ではなくブログという形であなたの誕生日のメッセージを贈ろうと思います。

最近字を書く機会が減って、少しだけ字を書くのが苦手になってしまったから、ブログの中で許してね。笑

あなたと出会って3年が経ち、あっという間に月日の流れを感じています。出会った頃は20代だったのに、もう30代に差し掛かり年月の移り変わりを余計に早く感じるようになりました。

この3年は、お互い本当に苦労して、苦労して、時にはぶつかって、そして苦しみ抜いた3年だったような気がします。

お金がなくて、プレゼントすら渡せなかった時はとてつもなく罪悪感を感じました。それでも、あなたは「一緒にお祝いしてくれるだけで充分だよ」と嬉しそうに話してくれました。

そんな優しくて、誰よりも繊細で、そして温かい心を持ったあなたが大好きです。

辛いこともたくさん経験しました。

夢を追いかける大変さを、今では一緒に味わっています。

あなたを旦那とは正直思っておらず、家族であり、親友であり、戦友であり、そして心から大切にしている人でもあります。

私たちの人生はこの先も平坦な道なんてほとんどなくて、山あり谷あり、時には濁流の中で川下りをするほどの困難が立ちはだかるかもしれません。そんな時はまた、一緒に濁流に飲み込まれないように手を掴み、離れないように必死に耐えてください。

そうやって、私たちの人生は波瀾万丈すぎる毎日を送っていくのではないでしょうか。

ただ一つだけ、どんな人にも生まれるからには必ずそれぞれに意味を持ってこの世に贈られてきます。

大きなことをするだとか、歴史に名前を連ねるだけが生まれる意味じゃないと思うんです。もしかすると、身近な誰かの心を救うために生まれているかもしれない。

自分の人生の中での答えを見つけるために生まれる人がいるかもしれない。

それぞれ生まれたことには意味があって、生まれた時間や日にちにもきっと意味があるのでしょう。

そしてあなたが生まれた意味をワタシなりに考えてみた結果、いつもあなたが言ってくれているようなことしか浮かびませんでした。

「納言ちゃんのことを支えられるのは、僕しかいない。納言ちゃんが文章で多くの人に寄り添うことができるのが才能なら、僕はきっと、納言ちゃんのために全力を尽くして寄り添うのが、僕の才能だと思うから」と。

ぜひその才能を今後とも十分発揮して、ワタシのために全身全霊の限りを尽くして支えてください。笑

そして、今ようやく頑張ろうとしている夢を、どうか諦めずに続けてください。

ワタシの夢を見つけてくれたあなたなら、きっと自分のやるべきことも、そして歌以外で見つけた夢も、今度こそ叶えることができるはずだから。そのためにワタシがいることを、そばで支えてくれる存在がいることを、どうか忘れないでほしいと思います。

あなたの人生がより豊かで、退屈しない人生になることを、誰よりもそばで願っております。

誕生日おめでとう。

そして、出会ってくれてありがとう。

ナイーブな私に勇気をください

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