カリスマすぎた男 後編

オリエンタル納言日常日記

さてカリスマすぎた男も後半戦へと差し掛かろうとしています。

東京へ出かけ、プライドを傷つけられたカリスマはとんでもなく怒り狂い、その日以降、本性をどんどん表すようになりました。

交際中は週に一度会っていたのですが、一緒にデートに出かけることも極端に減り、もっぱらカリスマの家で過ごすことが増えていきました。

少しでも気分を害するようなことを言ってしまったら、へそを曲げて執拗に私を責め立てました。

お前の性格は歪んでいる。

個性的な服を着ているお前は、変わってるし一緒に歩いてて恥ずかしい。

どうしてもっと女性らしい格好ができないんだ。

保育士は子どもと遊んでるだけで、大変じゃないだろ?俺みたいに上司との付き合いもなければ、大変な任務もない。誰でもできる簡単な仕事なんだから、「辛い」なんて言葉出すなよな。

ありとあらゆる暴言を吐かれていましたが、それでも好きな気持ちには変わりがなく、私は全ての言葉を受け止めて「ごめんね」と言うことしかできませんでした。

主従と依存の関係に

そんなある日、我慢の限界をとっくに超えていた私は、カリスマの一言によって初めて「その言い方は、ないんじゃない?」と反論をしてしまったのです。

もちろん自分の意見が100%正しいと思っている相手に、正論をぶつけてしまったことでカリスマは、我を忘れて怒り狂いました。

そしてここでもまた、伝家の宝刀が繰り出されることとなったのです。

「コロナの影響で仕事も上手くいってないし、この先どうなるかも分からないのに、その相手に向かって支えるどころか正論をぶつけてくるなんて、非常識にも程がある。何考えてるの?寄り添うって言葉知らないの?このままだと、仕事を辞めて地元に帰るかもしれない。その時は、納言ちゃんと別れるからと。

付き合って2ヶ月ちょっとしか経っていないのに、まさかの別れる宣言をされ、慌てた私は「言いすぎました。ごめんなさい」と謝り続けました。

その姿を見ながらニヤリと笑う顔は、今でも忘れません。

この出来事がきっかけとなり、完全な主従関係が確立されていきました。

何をするにもカリスマの顔色をうかがい、気分を害さないように細心の注意を払っていました。どうしてそこまでして、カリスマにすがってしまったのか・・・・

山と別れて絶望した時に出会ったからこそ、次は失敗できない、もう私には後がないと思い込んでいたこと、そして好きと言う気持ちではなく、この関係に依存してしまったことが何よりの別れられない理由だったと思います。

お泊まり反省会

話は少しだけさかのぼり、お泊まりを初めてした日、私はいつも以上に緊張をしていました。何をするにもそわそわしていたのです。また昔から、心を開くのに時間がかかり、付き合ってすぐの人に対して必要以上に気を遣ってしまうことがあります。

その日のお泊まりもそんな感じで、気を遣っていたし極度に緊張もしていました。ただカリスマは、その時は特に何かを言うわけでもなく、普段通り過ごしていました。

しかし、問題はここから。

お泊まりを終えて帰宅をすると「着いたら電話して!」とLINEが入っていたのです。

言われた通りかけてみると、第一声に「ねえ、今日って気を遣ってた?それとも素の自分?どっちなの?」

「えっ!?初めてだから緊張してたかもしれない。何か変だった?」

「いや変じゃないけど、なんか気になる感じだった。俺の前では素を出していいんだよ。何も遠慮なんてしなくていいから」そう言ってくれました。

けれど言われて簡単にできることではなく、困った私は、次のお泊まりで素の自分を少しだけ演じてみることにしました。

家に着いたら電話をするように言われていたのでかけてみると、「今日はちゃんと素だったね!偉いじゃん。」と言った後に、なぜか次のお泊まりでは、もっとこうしたほうがいいよという謎のアドバイスをもらうことになりました。

それは別れるまで恒例行事のように行われ、泊まる→帰宅する→電話する→評価される→反省して次に活かすというサイクルが出来上がってしまったのです。

こんなやつに誰が素を出して、ありのままの自分でいられると思うのか、今でも謎だしむしろ教えて欲しいくらいです。

カリスマの中ではきっと、「俺の意見は絶対に正しいし、むしろ言ってもらえることをありがたいと思え」という気持ちがあったのでしょう。

それはお泊まりに限らず、どんな時でもです。

誰かの容姿について評価したり、自分と違う意見の人を全て悪だと思っていたり、この世の中で一番優れているのは自分だと、本気で思っていたんだと思います。だからこそ自分と違う価値観を持っている人や、行動をしている人に対して否定的な言葉をぶつけていたのかもしれません。

自己愛の塊が作られるまで

カリスマがどうしてカリスマになったのか、それはきっと幼少期から学生にかけての周りの対応が大きく関わっていると思います。

カリスマは「俺のお母さんはずっと、俺のことを『かっこいい!イケメン!誰よりも素敵』と言ってくれたんだ。だから、彼女なんて連れて行ったら普通に無視したり態度が悪くなるんだよね。きっと盗られたって思うんだろうね」と、なんとも複雑な気持ちにさせてくることを自慢げに言っていました。

また別の時には、「学生時代はさ、ヤンキーよりも顔がいいやつがカースト上位だったんだよね。だから俺は、常にカーストの一番上にいたんだよ。周りからもさ、『お前って本当にかっこいいよな』って言われたことしかなかったわ。逆に嫌だったわけ、顔で判断されることが。俺の中身を見て欲しいのに、顔しか見てくれないんだからと、鏡を見ながら言われた時には、(いや、そう言うところだよね・・・)とツッコみたくなる程でした。

9:1で分けられた前髪を丁寧にセットする姿を見て、改めて自己肯定感の強さを見せつけられたような気持ちでした。

周りの言葉に蓋をして

そんなこんながありながらも、徐々にモラハラ気質を高めていくカリスマに、少しだけうんざりし始めていました。

私だって人間だし、もちろん心があります。言われて傷つく言葉だってあるけれど、そんなことはどうでもいいのでしょう。一緒にいる間は、基本的にマウントを取られるか、自慢話を聞かされるか、私に対してのダメ出しをされるかのどれかです。

そこで少しでも嫌な顔をした場合には、伝家の宝刀「別れるから」が炸裂してしまう。

友人たちに相談しても、返ってくる答えは「そいつのどこがいいの?」とか「もう別れなよ。それは愛されてない」と至極真っ当な答えが返ってくるばかりでした。

でも別れる勇気は、ありませんでした。

別れた後に、もう二度と恋愛できないかもしれない恐怖の方が強かったから。

もう私には、後がないと思っていたから。

なにより、この先の人生が一人で孤独に終わっていくことが怖かったのです。

幸せの最中にいる人たちの言葉を信じる勇気が、この時の私にはありませんでした。

価値観ってなに?

あっという間に3ヶ月目に突入した頃、私の元にカリスマからLINEが届きました。

「あのさ、納言ちゃんと俺って価値観合わないよね。だから別れたいんだけど。なんかもっと自分のこと見つめ直して欲しいんだよね」と。

私は驚いて、何がいけなかったのか何をしてしまったのかを考えれるだけ考えました。

そして一か八か、私の性格を否定するようなことをLINEで送ることにしたのです。

「ごめんね。私が正論を言ったり、大切な話を聞かなかったりしたから嫌な気持ちにさせちゃったよね。これから気をつけるから、もう一度チャンスをもらえないかな」と。

するとすぐに返事が返ってきて「よく気づけたね!偉いよ。そう言うところを直して欲しいんだよね。そこが納言ちゃんには足りないわけ。まあさ、これからも一緒にいたいと思うのなら、まず自分から変えていこ。人は変えられないけど、自分は変えられるんだから。あとさ、もうこの話は終わりにしていいかな?面倒だから、今後一切、こう言う話の時は無視するから、よろしく」となんとも身勝手で、一方的なLINEが送られてきました。

そしてバカな私も「教えてくれてありがとう。これから気をつけます」と返信を返し、自分のことを責め続けました。

カリスマから出された条件は、少し距離を空けて会わないようにしようというものでした。なるべくLINEも返したくないと言われていたので、この時はもう完全に気持ちはなかったんだと思います。

そしてこの数週間後には「お前とは価値観が合わねーんだよ!!もう別れる!」と怒鳴られ、その後LINEで「お前とは価値観が合わないし、なんかもうめんどくさいから、別れよ」と言われ、そのままお別れをすることになりました。

3ヶ月で学んだこと

カリスマすぎた男と付き合ったのは、たったの3ヶ月ほどでした。けれども、強烈な思い出と自尊心をボロボロに傷つけてきた行為は、今も忘れることはありません。

皆さんも経験はありませんか?

自己肯定感が高すぎて他人をバカにする人や、自分が人類の中で最も優れていると勘違いしている人。

自分の価値観だけを押し付けて、違う人の考えはだと思っている人。

誰だって育ってきた環境が違うように、考え方もそれぞれ違うと思います。自分の知っている世界だけで話をしようとする人こそ、もっと視野を広げて周りを見て欲しいものです。

今のカリスマがどうなっているかは正直わかりませんが、自己陶酔に溺れるのではなく、相手の気持ちを知り、寄り添える人になっていてほしいと少しだけ希望を抱きながら、私と同じ被害者がいないことを切に願っています。

お知らせ

実はこの話には続きがあるのですが、内容が濃すぎるせいで今回のエッセイに書くことができませんでした。

なので、カリスマすぎた男番外編として書いていこうと思います。

<次回予告>
「ピアノを始めたあの日」、「ガラス入りのハンバーグ」の順にお送りしていきます!ぜひ読んでください。
ぜひコメント欄に、読んだ感想をいただけると大変励みになります。皆さんのメッセージをお待ちしています!また、相談や困りごと、どんな些細なことでも構いません。ブログのトップに「あなたの悩み・相談」もありますので、皆さんの声をぜひお聞かせください

 

ナイーブな私に勇気をください

  1. オオハラ より:

    カリスマ編壮絶でした…。

    相手をボロボロにして、
    自分だけを拠り所にするって、洗脳に近い方法ですよね。

    でも一方的に別れを告げられたとはいえ、
    納言さんが、今ここにいることと、
    同じく次の被害者がいないことを願います。

    カリスマ氏のように生きてこられた方って、
    仰る通り自尊心が異常に膨れ上がってるのと、
    間違えなどを認めることで、今までの自分が否定されて粉々になる事を恐れているような気もします。

    あまりにもリアリティのある内容の表現力がすごかったです。

    収まりきらない 笑 、続編にいかせいただきます。

    • オリエンタル納言 オリエンタル納言 より:

      いつも読んでくださりありがとうございます
      当時の私は拠り所もなく、自分の存在意義すら分からなくなっている状態でした。
      ただただ必要とされたくて、愛されたくて依存してしまっていたのかもしれません。
      自己肯定感が高いことはいいことだけれど、カリスマの場合は、自己陶酔に近いような気もしました。
      狭い世界の中で常にいたからこそ視野は狭まり、もっと沢山の世界を知ることが出来なかったのかもしれません。
      そして今だから思うのですが、殻に閉じこもり自分の世界でしか生きられないことに、少しだけ虚しさを感じてしまうんです。
      好きにななると二人だけの世界に没頭してしまうけれども、それが正しいことなのか、本当に愛されているのかを見極めていくことが必要ですよね。
      あらゆる人間がいて、簡単に自分自身を失ってしまうことがある、それを教えてくれたカリスマには、ほんの少しだけ感謝です。

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