リクエスト企画を初めて行った時、「きっと誰も来ないかぁ・・・。身内だけが投票してくれるかな」なんて、思っていました。
しかし、想像していたよりも多くの方が読みたいエッセイを教えてくださり、もうこれは作家冥利に尽きるということで、本当に嬉しくてすぐさま作業に取り掛かったくらいです。
投稿を見てくださり応援してもらっているという感覚はもちろんあったのですが、エッセイの分野でもまさかの手助けをしてもらえるなんて、本当に嬉しく思います。
今回のテーマは、フォロワーさんのTK1979さんから『再会』というテーマでいただきました。
TK1979さんの投稿は、古着やアメカジを中心に投稿されているのですが、カラフルで見ている私もワクワクするような服がアップされています。元々アメカジにチャレンジしたことはないのですが、投稿を拝見していくうちに「ちょっとアメカジにもチャレンジしてみようかな」と思いました。
そして今回のテーマは、私自身も過去の記憶を呼び起こして、1番いいものが何かを考えながら書きました。
投稿してくださったTK1979さんや読んでくださる方の中で、再会を望んでいる相手がいたり、再会するために勇気を出そうとしている人の心に残れば嬉しいと思います。
それでは、スタートです!!
後悔をし続けた日々
2022年の10月末に退職するまで、常に頭の中では退職の2文字が浮かんでは消えてを繰り返していました。
仕事環境は最悪だし、いるだけでも息が詰まってしまいそうなくらい苦しい日々を送っていました。心の中では(辞めてやる、辞めてやる!こんなところは絶対辞めてやるんだ)と思っていたけれど、朝起きるとエプロンに着替えて、無意識のうちに支度をして、職場に向かう日々を繰り返していました。
もちろん仕事をしている時も体はだるく、思ったように動いてもくれません。
耳の奥でキーンと音がしたと思ったら、電気が消えたみたいに視界が真っ暗になってその場で立ち尽くすことしかできなかったほど、体も限界だったんです。
それでも、どうして仕事を辞めなかったのか。
それは、子どもたちが大好きだったから。
ただそれだけでした。
辞められなかったわけ
幼稚園を辞めて、この新しい保育園に就職をしました。数年間の保育士人生の中では、常に子どもたちが私の1番の理解者であり、互いに大切な存在だったと思います。
子どもたちの笑顔を見るだけで、頑張れました。
「せんせい」と呼んで、ぎゅーっと抱きしめてくれるだけで、疲れもどこかへ吹き飛んでしまいました。
私にとって、あの子たちが全てだったのです。
しかし、保育士たちの人間関係はどんどん悪くなり、いじめがあったり、嫌がらせがあったりして、時にはひいきをしたり、好き嫌いをあからさまに出す人もいました。
そんな環境の中で、もしも私が辞めてしまったら子どもたちはどうなってしまうんだろう。
心に大きな傷を残さないだろうか、平等に接してもらえるだろうか、そんなことばかりを考えていました。
それ以上に、あの場所には卒園した子たちも含めて、沢山の思い出がありました。何より「せんせい、しょうがっこうにいってもわすれないでね。また、あいにいくからね」と言われていたから、辞めてしまったらもう会えなくなってしまうことも、私は怖かったのかもしれません。
1番大切なものを奪われてしまうような気がして・・・。
限界が訪れて
そうは言っても、私の心も体も限界はずいぶん前に訪れていました。立っていることがやっとの状態だったので、ある時から子どもたちの声があまり聞こえなくなってしまったのです。
水中にいるみたいに、こもったように聞こえる声は、どんどん遠ざかっていくような感覚を耳の中に残していきました。
私の声は、届いているのだろうか。
子どもたちには、どう見えているのだろうか。
ある日突然倒れてしまったら、どうしたらいいんだろうか。
それでも「あと少し、あと少しだけ。もう少し頑張ってみよう。ここまで頑張ったじゃないか。もっとやれるはずだよ。だって、他の先生たちも同じように頑張っているんだから」と言い聞かせていました。
そんな極限状態の中で、当時付き合っていた夫との入籍が決まり、結婚式の日取りも11月に決まりました。
まだその時は、仕事もかろうじて行けていたので、かつての教え子の保護者の方たちに声をかけて、結婚式のお披露目会に招待しました。
「先生結婚するんだね!おめでとう!!幸せになってね」と声をかけてくださる方や、「結婚式までに体調が良くなるといいね」なんて、言ってくださる方もいました。
その優しさに何度も「ありがとうございます、ありがとうございます」と頭を下げ、泣くのを堪えるのに必死でした。
しかし私は、11月まで耐えることができず、6月末で休職をしました。
沢山優しい言葉をかけてくれた人たちや子どもたちに、一言も挨拶もできないまま、仕事に行けなくなってしまったのです。
休職期間に流した涙
休職期間に入ってすぐに、夫との同棲生活が始まりました。
それと同時に私は朝起きて、仕事に行く準備をして、夫から「納言ちゃん!?どこに行くの?休んでいいんだよ。仕事には行かなくていいんだよ」と止められる日々が始まりました。
夫が仕事から帰ってくるまでの時間は、実家に行き、自分の部屋にこもって壁を見つめていました。
近所に住む子どもたちの声を聞き、流れる涙を抑えることはどうしてもできませんでした。
そして壁に向かって何度も「ごめんなさい、ごめんなさい」と言い続けていました。
母から渡された夫の分の夕食を持って、駅まで迎えに行き、2人の家に帰るというサイクルが出来上がりました。そしてふとした瞬間に、私は声を上げて泣きながら「子どもたちに会いたい・・・。保育士を続けたかったよ。もう、もう二度と会えないんだ!!!」と怒りと悔しさを夫にぶつけていました。
疲れて帰ってきた夫に向かって、優しさを持ち接することは当時の私にはできませんでした。
それでも、「大丈夫だよ。会いたいよね。子どもたちだって納言ちゃんのことが大好きだと思うよ」なんて言いながら、励ましてくれました。
どれだけ励まされたところで子どもたちには会えません。
どれだけ涙を拭いてもらっても、私の心の傷が癒えることもありませんでした。
そして数ヶ月の間、私はほとんど笑うこともなく、心も沈み、結婚式どころではなくなっていました。
誘っていた子たちを呼ぶ手段もないし、直接会って話をすることもできない。
「結婚式に子どもたちもきて欲しかった。けど、もう無理かもしれない。もう、このまま会えずに、ずっと後悔して生きていくんだ・・・。もう一度でいいから、会いたかった。もう一度でいいから、抱きしめたかった。ただそれだけなのに。ただ、それだけなのに・・・」
こうして私は、結婚式に子どもたちを呼ぶことを諦めたのです。
舞い込んだ奇跡
どん底にいた私にも希望の光が見えたのは、11月に入る直前でした。
休職状態だった私を遊びに誘ってくれたり、声をかけてくれたりする先生たちもいました。
「結婚式は、子どもたちを呼ぶの?」
「いや、詳細が分かる手紙を渡すこともできないし、直接会って話もできないから・・・。もう、諦めてるかな」
「それなら、こっそり渡してあげるよ。バレないようにすればいいんだよね?」
「えっ!?いいの?」
「だって、結婚式なんて一生に一度だよ。子どもたちに会える最後のチャンスかもしれないから」
「ありがとう・・・」
何人かの先生が手を貸してくれて、以前話をしていた保護者の方に手紙を渡してくれました。
微かな希望を、友人たちに託す形で。
結婚式当日
結婚式当日は、心の底から喜べていたわけではありません。
本当なら、心も体も健康な状態で人生の大切な日を飾りたかった。ガリガリに痩せて、血色の悪い状態ではなく、本来の姿で祝福してほしかった。
常に頭の中には、食べたら出てしまう恐怖と、突然起きるかもしれない頭痛に怯えていました。
家族や親戚、そして友人たちの声が遠くで聞こえてくることに、嬉しさと不安を抱えながらも、式は滞りなく進んで行きました。
披露宴も終わりに近づいた頃、私の頭の中では(子どもたちは、どれくらい来てくれるのかな。途中で辞めた私のことなんて、忘れてしまってるかもしれない。どんな顔をして会おうかな)と、頭の中が考え事で埋め尽くされている中、私たちの退場と共に幕を閉じました。
沢山の声に囲まれて
退場したところで、視界の先にあったのは、見覚えのある顔でした。それも1人や2人なんかじゃなく、何十人もの子どもたちが「せんせ〜い!!!」と大きく手を振って呼んでくれました。
小さかったあの子たちは、少しだけ大人びた顔をしていましたが、笑顔は当時のままでした。手を振る姿に泣くのを必死にこらえ、(まだ泣かない。泣いちゃだめだ)と言い聞かせていましたが、どうしたって我慢ができませんでした。
その姿に夫は「よかったね、納言ちゃん。子どもたちにはずっと大好きな先生のままなんだ。自分に自信を持って。誰がなんと言っても君は素敵な先生だから」そう言って、涙を優しく拭いてくれました。
会場にいた人たちを見送り、少ししたところで子どもたちは駆け足で私の方へ向かってきました。
照れている子、嬉しそうに笑っている子、話をしたくてうずうずしている子、何一つ変わらないあの頃の姿を、今目の前で見ていること、そして、協力してくれた友人たちには、感謝以外の言葉が見つかりませんでした。
「みんな・・・、久しぶりだね。元気してたかな?今日は会えてとっても嬉しいです。少しの間だけど、一緒に楽しく過ごそうね」そう語りかける私は、幸せだった頃の先生の姿をしていたと思います。
久しぶりに触れた子どもたちの温もりを感じ、学校での話や友だちの話などを短い時間の中で、できる限り聞きました。
顔立ちは保育園にいた頃よりも大人びていたけれど、笑顔を見せてくれた姿に、(あの頃の、純粋で優しいみんなのままだ)と、感じることができたのです。
約30分という短い時間の中で、私はできる限り子どもたちの話を聞き、触れ合うことをしました。
この先、もう2度と会うことがなくなってしまっても、忘れてないように。
そして、あの瞬間にもう一度先生になれたことも、心に刻み、思い出として残しておけるように。
最後に
今回『再会』というテーマをいただき、書いている中で結婚式に来てくれた子どもたちのことが、1番初めに浮かびました。
私の人生で最も幸せで楽しかった出来事は、やっぱり子どもたちと笑い合い、時には真剣に向き合いながらも、思い出を一つひとつ重ねていったあの頃でした。
保育士の仕事を辞めた今、後悔の気持ちはありません。
結婚式での再会が、私に勇気の一歩を踏み出させてくれました。そして子どもたちがきっと背中を押してくれたんだと思います。
「今でもなごん先生のことが大すきなんだ」と言ってくれた言葉が、前を向かせてくれたのでしょう。
そしてこの先も、あの日の思い出を胸に抱いて、私は新たな人生を歩いていこうと思います。離れていても、もう会うことはないとしても、私にとって子どもたちは永遠に大切な教え子なのだから。
この先の未来で辛いことや悲しいことが沢山あるかもしれません。
私のように心を壊すことになってしまうかもしれない。
けれども、いつかその悲しみが晴れる日はやってくるはずだから。
たとえ離れていても、私はいつまでも彼らの先生であることに変わりがない。その想いが、私自身に力を与えてくれるような気がするのです。
もしもたった一つだけ願いが叶うのならば、子どもたちが自由にのびのびとした環境の中で、笑顔あふれる毎日を送れることを、心から願っています。
ナイーブな私に勇気をください
>よかったね、納言ちゃん。子どもたちにはずっと大好きな先生のままなんだ。自分に自信を持って。誰がなんと言っても君は素敵な先生だから
この言葉で、堪えていた涙が溢れました。
転職し、保育園ではないのですが子どもたちと関わる仕事をしています。
これまでの経歴と全く異なる仕事のため、悩んだり内省したりの日々ですが、
「ワタシなりの保育観」や当記事を拝読し、
私もいっぱいギューって抱きしめて、大好きをもっともっと自分から伝えていこうと思いました。
納言さんみたいな素敵な人になりたいです☺️
読んでくださり、ありがとうございます。
保育士をしていた頃は、とても苦しいことが多かったですが、それでも子どもたちとの日々は、本当に楽しく唯一の希望となっていたところもありました。
保育士じゃなくなってしまった今では、直接関わることはできませんが、それでも心の中にはいつも子どもたちの顔が浮かび、その度に「頑張ろう」と思えています。
お子さんと関わる仕事をされているということなので、きっと毎日、楽しいこともあれば大変なこと、そして葛藤などもあるのかもしれません。
今までの経歴とは違う職業ということで、また新たに不安などもあるかもしれませんが、お子さんにとっては、やっぱり関わる人の笑顔が、言葉がけが、そして温もりが本当に大切だと思います。
そして1日のどこかで「ぎゅーっとできたな」とか「大好きだよ」って伝えられたら、自分自身を褒めてくあげてください。
お子さんが喜んでくれて、信頼してくれることが、一番大切なことだとワタシは思うから。
決して無理はせず、ほんの些細なことでも寄り添えた自分に誇りを持ってください!
感想をいただき、とても嬉しかったです。
本当に、ありがとうございました。
『日々の繰り返しが宝物』
『当たり前の日々が宝物』
これから納言さんが、繰り返す日々。
これから納言さんの当たり前の日々。
納言さんの宝物。
大切にして下さいね。
ありがとうございました。
読んでくださりありがとうございました。
「再会」というテーマをいただくことで、私もあの時の思い出を振り返ることができました。
保育士を辞めてから、ずっと罪悪感と後悔が混在していましたが、TK1979さんの言われている通り、「日々の繰り返しが、当たり前が宝物」その意味が、少しずつわかるようになってきているような気がします。
子どもたちと会えないことは悲しいけれど、この先も大切な思い出として心の中に持ち続けながら、今ある当たり前を大切にしていきたいと思います。
読んでくださり、本当にありがとうございました。
誰かの記憶に残ることができたらそれは本望ですね。
他人の為に何かきっかけを与えられたり、支えになれる人は凄いな、そして支えられる人も支えられてるんやなって、胸にジーンときた。辛い時期の事とかも僕は分かるんで、祝ってくれてるシーンを想像したら泣けてきた。
辛かったんだね、しんどかったんだね、でも納言さんはもう大丈夫みたい!
もう人に与えることができる人になってるから!
いつも読んでくださり、本当にありがとうございます。
結婚式のあの日、子どもたちに会うこともできずにいたら、今もずっと後悔し続けて、自分を責めている日々を送っていたかもしれません。
子どもたちの目の中に映り込む姿には、「先生」としての私がいました。
もう2度と会うことはできないかもしれないけれど、彼らがくれた沢山の思い出という名の宝物を、これからも胸の中で大切に持ち続けていこうと思います。
モトさんも言ってくださったように、この辛い経験を話していくことで、きっと誰かに寄り添えるのではないかと思いながら、これからも活動を続けていきたいと思います。
本当に、ありがとうございました。