ワタシとヨウフク

コラボ企画

今回のコラボ企画は、フォロワーさんのたむたむさんからリクエストしていただいた『ファッションについて』を書いていこうと思います。

たむたむさんは、エッセイを読んでくださるたびに感想をくださり、彼女なりの言葉で寄り添ってくれる方です。

感想をいただき、読みながら勇気をもらっているのはもちろんなのですが、言いたいことを汲み取りながら、丁寧な言葉で想いを伝えてくださる方です。ブログをやっていると、「私の文章って大丈夫かな?寄り添えているんだろうか」と不安になったり、ネガティブが発動したりするのですが、こうして言葉で伝えてもらえると、「あぁ、やっていてよかったな」と自信を持たせてくれます。

実はファッションともう一つ、「納言の旅日記みたいなものを読んでみたい」と言ってくださったのですが、何せ出不精で家の周りをうろうろしているだけだったので、今後は旅行に出かけた時に書いてみようかなと心に刻みました(笑)。

こうして多くの方々の言葉を聞き、それを文章にすることは簡単ではないけれど、書いている私自身が1番ワクワクしながら取り組ませていただいています。

ということで、今回はファッションについて書いていこうと思います。

それでは、スタートです!!

憧れの祖母

私には、今でも大好きな人がいます。そしてその人は、お洒落を楽しむことは大切だと教えてくれた人でもありました。

それが、中学1年生の時に亡くなった祖母です。

祖母はとてもハイカラな人で、いつも金のイヤリングと指輪、そして真っ赤な口紅がトレードマークでした。

どこにいるかもすぐに分かるほど派手な人だったのですが、私にとっては世界で一番大好きで自慢の祖母でした。

まだ祖母が生きていた頃、「納言ちゃんのことが世界で1番好きだよ」と言われ、「私は宇宙で1番、ばあちゃんのことが大好きだよ」と言ってハグをするのが恒例でした。

祖母は歌が好きで、車のドアガラスを開けて手を少しだけ放り出し、綺麗な声で美空ひばりを歌っていました。きっちりセットされた髪の毛が風になびき、ふんわり化粧品の香りがする祖母の匂いと歌声が、私は大好きでした。

どこに行くにも綺麗な格好をして、誰よりも派手でお洒落に気を遣っていた祖母は、私にも真っ赤な口紅をつけて、綺麗なキラキラの社交ダンス用のドレスを着せてくれました。

そして必ず言うのです。

「唇はね、顔の中で1番大切なの。だから、綺麗にしないとね」と。

大人になったら、祖母のように赤リップの似合う人になりたい、そしてお洒落な服を着て、色々なところへ出かけたい、そう思うようになっていきました。

しかし、中学1年生の時、大好きだった祖母は膵臓ガンで亡くなりました。

亡くなる直前は、化粧すらできないほど痩せてしまいましたが、それでも祖父に髪を綺麗にしてもらい、美しくいようと努力していました。

私が服を好きになったこと、そして今でも赤いリップを身につけているのは、祖母の影響だと思います。

流行にしがみつく

中学生の頃から、見た目に対しての違和感を感じ始めていたのですが、頭の中では「可愛い服装をしないといけない」と、偏った価値観を持ち続けていました。

周りの人気の女子たちは、カラコンとアイプチをして、まさに可愛いと言われるような容姿をしていました。もちろん素材もいいのだから、周りの男子たちも、彼女たちをチヤホヤしていました。一方、男顔で一重の私には、可愛い服装は全く似合いません。

けれども流行を追えば、私もチヤホヤされている子たちの仲間に入れると思い、母に懇願して当時流行っていた服屋さんに連れて行ってもらい、好みとは全く系統の違うパステルピンクのカーディガンと茶色のショートパンツを買ってもらいました。

髪の毛も一生懸命伸ばして、慣れないコテで巻いてみたり、アイプチをしたり、つけまつ毛にも挑戦していました。

しかし、どこかで「これは私が着たい服なんだろうか・・・。似合ってもいないし、一体どうしたらいんだろう」と迷走期に入り始めていました。

それでもチヤホヤされている同級生たちが羨ましくて、なんとか可愛いと言われたくて、お小遣いから雑誌を買って真似をしたり、店員さんにアドバイスをもらいに行ったりもしていました。

けれども、どうしても心の底から「これが私の似合う服だ!」とか「これが着たいんだ!」とはならず、ますますどうしていいのかが分からなくなっていきました。

そんな私の迷走期は、社会人になるまで続いていくのです。

第二迷走期

第二迷走期は、私が短大に進学した頃でした。この頃には、男装に興味を持っていたのですが、やっぱりいい服はお金がかかるし、合わせ方も分からない。せめてイオンとかで買えてお洒落なものはないかと、探していました。

しかし、私のオシャレ感覚は最悪な上に、迷走期にも突入していて訳のわからない格好やメイク、そして髪型をしていました。

今考えると、「その格好では、出歩けない・・・」と思ってしまうほど、ひどかったです(笑)。

短大に入ってすぐに仲良くなったグループは、それぞれが自分のスタイルを分かっている人たちでした。

森ガール系女子に、ギャルファッションスポーティー系に、ナチュラル系、どれもその人たちに似合う服装をしていました。けれどもただ1人、私だけが何を着ていいのかも分からず、どんな色が似合うのかも検討もついていなかったので、白い顔に真っ赤に塗りたくった口紅、よく分からない髪色という、誰が見ても「迷走してるよね?」というファッションをしていました。

すると陽気な一人の友人が、「みんなで服を交換してみようよ」と提案したのです。

まさにこの瞬間が、私の運命を変えるきっかけとなるのです。

初めて知った黒の良さ

その時交換したのは、黒いワンピースでした。

今まで黒は全く手を出したことがなく、自分でも「似合わないだろと思い込んでいた色でした。

しかし、交換した姿を鏡で見ると、今までのどの服装よりも1番しっくりきていたのです。そして、周りにいた友人たちも「納言は、黒がよく似合うね!今までの中で1番いいかも」と言ってくれました。

その場のノリで私の改造計画が始まり、化粧を全て落として、一から化粧をしてもらうことになりました。

今までのおてもやんのような顔ではなく、まるで別人の私がそこにはいました。

まさに「これがわたし・・・?」状態だったのです。

あまりの変化に、私も周りにいた友人たちも驚きながらも、「最初は真似でいいからさ。人の服装を見ながら、自分に似合うやつを探していけば、きっといいのが見つかるよ」と教えてもらいました。

陰の努力

家に帰った私は、全く別人になった姿を収めた写真を見返しながら、友人に言われたことを頭の中で、ずっと考えていました。

そして、考えていても始まらないと、そのまま本屋に向かったのです。

自分に似合いそうな服が載っている雑誌を何冊も買い、ついでにノートも買いました。

それから約一年、私は密かに1人でスナップブックを作成していました。自分に似合いそうな服装のページを切ったり、色の組み合わせを見たり、顔の雰囲気などを分析していました。

なるべく自分と似てそうなモデルさんを探しながら、似合う服を探しては着るを繰り返していました。すると少しずつ、自分に似合う服や色がわかるようになり、本当の意味でお洒落が楽しくなっていきました。

もちろん街で見かけたお洒落な人を観察しながら、(今度はあの組み合わせをしてみようかな)と考えて、家に帰ってイラストにしたり、実際に服屋に行ってみてみたりもしました。

昔からファッションは大好きだったけれど、自分に似合うものが何かを全く分かっていなかったんです。

もしもあのきっかけがなければ、今の私はないかもしれません。

ワタシとヨウフク

今でこそ、自分のスタイルを理解したファッションをするようになり、ありがたいことに多くの方から「素敵だね」と声をかけていただく機会が増えてきました。

ただ私にとって洋服は、自分の姿を隠す鎧であり、偽る手段でもありました。

迷走期に付き合ってきた彼氏によって、「こんな服装をしてほしい」とか「もっと女性らしい格好をしなよ」と言われるたびに、もう1人の私を作り出していたんです。

「女性らしさって何?どうして性別でファッションの範囲が決まってしまうの?」と疑問や不信感を抱いていても、「わかった」と感情をそっと隠して、できる限り彼たちに合わせた姿を意識していました。

言いなりになった上で着ていた服は、私の気持ちを深く沈ませていきました。

そして別れた後には、反動で真っ黒の服装をしたり、限りなくメンズ寄りになるような服を選ぶことで、反抗心をたぎらせていたんだと思います。

当時の私には、自分の意思というよりも「誰のために着るのか」が服を選ぶ上で1番重要だったんです。

いつしか服は己を隠す鎧となり、化粧は素顔を隠す仮面となりました。

本当にここ最近なんです。

自分のスタイルで自由にお洒落を楽しめるようになったのは。

それは夫が言ってくれた「どんな格好をしていても、内側から出る魅力には敵わないんだ。だからね、どれだけ素顔を隠しても、どれだけ偽ろうとしても君は君なんだよ。どんな服装をしたっていいんだ。自分が着たい服を着ればいい。だからもう、服を自分自身を偽る道具にするのは終わりにしようよ」という言葉が、全てのきっかけを作ってくれました。

まるで一つひとつ鎧を脱がせてくれたかのように、心が身軽になっていったのです。

もう合わせなくていいんだ。

もう、誰かの理想を押し付けられることもないんだ。

そう初めて思うことができたから。

私なりのお洒落を楽しんで

私は亡くなった祖母の言葉通り、今でも赤いリップをつけて、性別にとらわれないファッションを楽しんでいます。

時には「あの人男みたいじゃない?」なんて言われることもありますが、私は私の着たい服を着て、なりたい姿になっているだけのこと。

けれどそれは、決して簡単に手に入ったものではありませんでした。

ダサいと言われて迷走した過去があったり、女性らしさを求められて全くの別人になった過去もありました。それがなければ、今の私はいなかったと思うんです。

目に見えるものでその人自身を判断したり、相手を否定することで自分の価値を確かめようとする人もいます。そして「あの人って」という言葉の裏には、常に「自分が1番素敵なはずだから・・・。大丈夫、大丈夫。」と不安になっているのかもしれません。

否定する人ほど、見えない鎧を着て、見えない相手と戦い続けているのではないでしょうか。

だって、かつての私もそうだったから。

ファッションはあくまで楽しむものであって、評価の対象にするものではないのです。そして全ての人が、それぞれのお洒落を楽しみながら、互いに「素敵だね」と言い合える環境になれば、もっと自由に表現できると私は思います。

最後に

たむたむさんから「ファッションについて」のリクエストをもらった時、何を書こうか本当に悩みました。

今でこそ、自分のスタイルを楽しめるようになった私も、数年前までは自分を隠す鎧として使ってきました。

心の底からお洒落を楽しむ余裕なんて、なかったのかもしれません。

人によって服装を変えたり、メイクを変えたりしながら本当の部分を隠し続けてきました。

メイクや服装で、その人の印象がガラリと変わります。

視覚的に見た情報だけで、深く関わったことのない人でも、「あの人は怖そう」とか「性格がきつそう」なんて勝手に判断してしまったことも何度もあります。

そして私自身も、そう見られるようにピアスを沢山開けてみたり、真っ黒な服装を選んだりしながら、人との関わりを拒み続けていました。

どれだけ高級なものを身につけても、どれだけ見た目を繕ったとしても、そしてどれだけ近寄りがたく見せていても、心の部分までは誤魔化すことができない。

だからこそ、本当のお洒落である心を磨いていかなければならないと、思うのです。

服でもメイクでもなく、自分という人間そのものがファッションの一部だと、私は思うから・・・。

ナイーブな私に勇気をください

  1. TK1979 より:

     ワタシとヨウフクを読んで
     自分の内面がにじみ出るようなスタイルでしょうか。
     出来そうでありそうでなさそう。
     内面まで着飾らないようにしょうと思いました。

    • オリエンタル納言 オリエンタル納言 より:

      読んでくださり、ありがとうございます。
      洋服の種類やスタイル、その人の表情で勝手に想像してしまうことがあるのですが、服装だけではわからない内面があること、その反対に、今自分がどのような気持ちで過ごしているかによって服に現れることがあるんですよね。
      中々自分では気づくことができないのですが、やっぱり自然体でいられる人と一緒に過ごしている時が、1番輝けるような気がするんです。
      外見も内面も含めて。
      私はようやく自分の鎧を脱ぎ始めたばかりなので、これから徐々に本当の自分になっていきたいと思います。

  2. YUKI より:

    ヨウフクとなったら、読むしかない!文字で読ませてもらいました。私も服について迷走しまくり、わからなくなると考えたくなくて、ローテーションしていることがたまにあります。服は好きです。でも、なんかコーデ組む気にならない。また、他人のために着ている服、自分のために着ている服があります。どんな時も服は着ないといけない。大好きだから嫌いになるときがたまにあります。

    • オリエンタル納言 オリエンタル納言 より:

      読んでくださり、ありがとうございます。
      きっと好みや好きな色とかは、劇的な変化を遂げることはないかもしれませんが、それでも成長する過程で、そして関わる人によって迷ったり、合わせたりしながら、少しずつ自分らしさが生まれてくるような気がします。
      服の好みも気分によって変わったり、落ち込んでいるときや、何も考えられない時は、身なりさえも気にしなくなってしまう。ただ、誰かに「素敵だね」と言われた時や、自分の中で自身がついた瞬間に、本当の意味で自分のため生きる服が分かり始めるのではないでしょうか。
      まだまだ私も迷走してしまう時がありますが、誰のためでもなく自分自身のために、これからもファッションを楽しんでいきたいと思います。

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