5月の憂鬱を

保育士時代の体験談・過去のトラウマ

ニュースを見ると「五月病」なんて言葉が躍り出て、その次に見る言葉は「うつ病」だったり、「精神異常」だったり。それらをまとめて「五月病」と報道される。

新社会人たちは初めて大人として社会に出て、不安の中で働くことと向き合ってきた1ヶ月ではないでしょうか。

その1ヶ月を経て、ご褒美のように与えられているのがGWのような気がします。

まとまった休みが取れない社会人には、このGWの持つ力は相当だと思います。

田舎から出てきた人は、家族に会いに飛行機や新幹線に乗って会いに行った人もいるかもしれません。

はたまた、初めてもらった給料で好きな物を買ったり、大切な人に恩返しをしたり。

それぞれ想いがあって、初めての長期休暇を満喫したことでしょう。

しかし、この休みが終わると同時に、ある人は心を病み、時には仕事を辞めて、社会から離れようとする人がいるのも事実なのです。

社会の荒波を

そんなワタシもかつては一年目と呼ばれる立場にいたし、初めてのGWを体験した一人でもあります。

でもどうしてだか一年目よりも、年数を重ねるごとに「仕事に行きたくない。社会の中で働くことが辛い」そう感じる場面が増えていきました。

やれることは増えているはずなのに、保育士としての在り方もわかってきているはずなのに、どうしてだか心が重たく感じてしまう瞬間が、年々増えていくような気がしました。

それでも心を奮い立たせて、「五月病に負けてられない。もっと頑張らないと。もっと働かないと」なんて自分の心を無意識に追い込んでいたんです。

学生の頃には全くわからなかった社会の荒さが、時に残酷にワタシを追い詰めていくこともありました。

辛いに年数は関係ない

この時期のニュースで取り上げられるのは、たいてい新社会人のことばかりです。

ワタシはふと思いました。辛いのは、何も新社会人だけじゃないんだということを。それは年数を重ねていけば行くほど、あらゆるしがらみに縛られていく状況を味わってきたからでしょう。

「五月病」は、何も新社会人だけに起こりうることではないと思うんです。

石の上にも三年と言われ、三年間がむしゃらに社会の中で働いてきた人が、プツンと糸が切れるように、心を閉ざしてしまうことがあるかもしれません。

中間管理職となり、時代的にも色々なハラスメントに気を遣いながら若い世代と関わりを持ち、上の世代は昔ながらのやり方で言葉の刃を向けてきても、「中堅だから。それも勉強だよ」と有耶無耶にされて、我慢しているのかもしれません。

管理職はあらゆる重圧に耐えながら、慣れない時代の流れになんとかついていこうと必死なのかもしれません。

そうやって新しく迎えた四月をあらゆる感情と向き合って、ようやく大型連休へと突入するのです。

生きづらくなっていく社会の中で

ワタシは最近のニュースを見ると、随分と生きづらくなってきたと感じることが増えています。

ほんの少しでも相手のことを考え、そして想像すれば歩み寄れるはずのことでさえも、ハラスメントに置き換えられてしまう現状に生きづらさを感じてしまいます。

かつて直接言葉を交わしコミニュケーションをとっていた時代から、スマホやアプリを通して関わりを持つことが増えていきました。

余計な言葉は交わさない。

余計な配慮はしない。

余計な寄り添いも必要ない。

けれどもそれは本当に「余計」なことなのか、疑問に思ってしまうことも多いような気がします。

誰もが傷つかないようにと考えた結果、色々なことがおかしくなり始め、ルールだけがどんどん溢れかえってしまい、生きていくことさえ難しく感じる社会になり始めているようにも思うのです。

自分のことのように想像して

ワタシは社会人を数年やってきましたが、あらゆる場面で「その言葉は本当に必要なの?」と思うこともありました。

感情的に言葉を吐き捨てること、これは全く必要のないことです。

「あなたのためだよ」そう言いながら嫌味を言ってくること、これも全く必要のないことだと思います。

そしてワタシの職場だけかもしれませんが、「早く結婚した方がいいよ。子どもは早い方がいい」と言われることも余計なお世話だと思いながら聞き流していました。

そんな時、「そうですね」と言えば余計なアドバイスをされ、「考えていないんです」と答えれば、時代のせいにされる。

それは時代のせいなんかではなく、ただ言葉を発する人たちがデリカシーのない言葉で、相手がどのような気持ちになっているかを想像できていないからなんです。そして言葉で傷つかないように、余計なことを言わないようにルールが次から次へと出来上がり、次第にあらゆる方向へと飛び火してしまったのかもしれません。

大切なことはただ一つ、相手の立場になって考え、そして想像すること、ただそれだけのような気がします。

働くことも手段の一つとして

「辛かったら働かなくていいんだよ」そう言ってもらえるのなら、ワタシはもう一度無職になっているかもしれません。

けれども無職になっていた時はそれはそれで、辛いことがたくさんありました。どんどん減っていく貯金残高を見ながら頭を抱え、年金の督促状にも涙を流したこともありました。

生きているだけでお金がかかり、何をするにもお金が必要になる。

ワタシにビジネスの才能でもあれば、別の形でお金を稼げたのかもしれません。けれども、一般人のワタシには、そんな方法は雲を掴むような話であって、どこかで働かなければ生きてはいけない。

そんなあらゆる気持ちを体験したからこそ、言えることもあるんです。

「辛かったら、その場所に留まり続けなくていいんだよ。心が苦しくて、無意識に涙がこぼれてしまいそうになるのなら、その場所から離れる勇気を持って」そう伝えたいです。

いつかは働かなければなりません。けれども、同じ場所で長く苦しみの中にいるよりも、一度休憩を挟み、また心が前を向き始めた時に生きる手段として、働くことは悪いことではないと思います。

それは新社会人だろうが、中堅だろうが、管理職だろうが、どの人も同じです。

我慢して、文句を言って、時には自分以外の誰かに気持ちぶつけてしまうのなら、辞める方がマシだから。

かつて仕事のために生きていたワタシは、今では自分の夢のために、そして生活をする手段のために働いています。

働き方は人それぞれだけれど、たった一度きりの人生です。

五月の憂鬱に飲み込まれる前に、皆さんが心から笑って楽しく過ごせることに全力を尽くしてほしいと願います。

 

ナイーブな私に勇気をください

  1. TK1979 より:

    五月の憂鬱を読んで

     まず、五月病と言われるものをいつものように検索して調べてみました。
     驚いたことに現代では、四月から始まる四月病、また五月を過ぎて六月から症状が現れる六月病と三ヶ月にも及んでました。
     ゴールデンウィークと同じように、長期休暇があるお盆休みの後から始まる九月病と様々あるようです。
     最近SNSで見かけた健康法をひとつ。
     『アーシング』
     素足で直接大地に触れる健康法です。
     簡単に言えば、体内に知らず知らずのうちに帯電している状態が、多くの現代人が悩まされている、頭痛や肩こり·血行不良と言った現代病の原因と言う見解があります。
     そこで、素足で大地に触れることで身体にとどまっている電気を放出し、体内の電気エネルギーのバランスを取り身体の調子を整えて行くと言うことです。
     すごく簡単すぎる説明ですが、私はちょっと実践して見るつもりです。
     そんなことを思いながら読ましていただきました。ありがとうございます。

    • いつも読んでくださり、ありがとうございます。
      そしてTKさんの感想を読みながら、ワタシ自身も月に関する病について知ることができました。
      昔よりも生きづらく、そして心の浮き沈みが増えているような感覚を覚えました。
      現代社会では、気を遣わなくても良いところまで気を遣ったり、考えたり、「どうしてそこまで?本当にそれは、必要なことなんだろうか」と悩んでしまうこともあります。
      エッセイでも書かせていただきましたが、相手に寄り添って想像すれば、もっと社会自体も優しくなれるのかな?と思ったりもしています。
      全ての人を変えることは不可能ですが、まずはできることから相手に寄り添って、そして思いやりの心を持ちながら過ごしていきたいと改めて感じました。
      いつも本当に、あらゆる気づきをありがとうございます!

タイトルとURLをコピーしました