いつもオリエンタル納言の「社会の底辺からこんにちは」ブログを読んでくださり本当にありがとうございます。
少しずつ読んでくださる方が増え、感想をくれる方、ダメンズエピソードを教えてくださる方など、本当に多くの方に支えられていることを実感しております。
読者の方々には、感謝の気持ちでいっぱいです。
いつも本当にありがとうございます!!!!!!!!!!!!!!!!😆❤️
ということで、今回のエッセイは・・・
読んでくださる皆さんに、全力で感謝を伝えたい!
そんなサブタイトルと共に、エッセイを書いていこうと思います。
ブログの由来
「どうして『社会の底辺からこんにちは』なんですか?」という質問を受けることが何度かありました。
私自身も言われた時「確かに言ってなかったなぁ」と今更ながら気付いたので、ここで少し書いていこうと思います。
もうブログを読んでくださる方や、SNSを見てくださる方は知っていると思うのですが、前職では保育士をしていました。
汗と鼻水を垂らしながら働き、時にはよだれをつけられ鼻水を拭かれながら、仕事をしていました。保育士は私にとって生き甲斐であり、ずっと夢だった仕事です。
しかし職場環境に恵まれない私は、社会人一年目に幼稚園を経験し、二年後に保育園へと転職をしました。けれども、環境はどちらも良いとは言えない場所で、2022年の10月末に、約7年以上働いていた保育園を退職せざるを得なくなってしまったのです。
働いている間、ご飯が全く食べられず令和の飽食の時代に、栄養失調と診断されました。頭痛薬を大量に飲み続ける生活は、誰が見ても狂っていたと思います。
仕事を辞めてから生き甲斐をなくしてしまい、生きている価値も分からないまま、毎日「子どもたちに会いたい。どうして、どうして、どうして・・・。ただ、保育士がしたかっただけなのに」と泣いていました。
減っていく貯金と、先行きの見えない不安が毎日のように押し寄せて、一日中眠れない日々を過ごすことも何度もありました。
SNSを見れば仕事を頑張っている人たちがいて、人生を謳歌している人がいて、楽しそうな笑顔が画面越しに映し出さられる。その状況を見ることもとても辛かったです。
「私は社会から置いてきぼりにされた無能な人間なんだ」と、自分自身に負荷をかけ、そして他人を羨む生活ばかりをしていました。
行き場のない怒りを夫にぶつけ、「私は社会の底辺なんだ」とことあるごとに言っていました。
「保育士をしていた時の納言ちゃんは、毎日が辛そうだった。でも、子どもたちの話をしている時だけは、すごく幸せそうだったんだ。君にとって保育士は天職だと思う。保育士だけが子どもたちと関わる方法じゃないよ?いくらでも別の形で関われるはずだから」
「それにね、僕と出会ってエッセイを書き始めて、感想をもらえるようになって、評価されることも増えてきた。君と同じように苦しんでいる人は沢山いると思う。その想いを代弁することが君にはできるんだ。誰にもできないことを、君は今からしようとしてるんだよ。やり続けてごらん、きっと面白いことになるから」と何度も励ましてくれました。
この言葉のおかげで前に進もうと決意し、新たなチャレンジとしてブログという形を選びました。
もっと色々な人の声を聞きたい、もっと身近に寄り添えることをしたい、そう思った時に、かつて「社会の底辺だ」と言い続けた私が、這い上がれるような思いも込めて、辛い時の気持ちを忘れないためにも「社会の底辺からこんにちは」という名前にしました。
不幸な人生は味となる
私の人生は、悪い意味で濃い経験ばかりでした。常に劣等感を感じ、自分自身を下げ続けて生きてきたからこそ、自信を持つことがとても怖かったのです。
しかし大人になってようやく、自分にスポットライトが当たり始めているような気がしています。
ある友人は「人生の主人公は自分自身なんだから、主人公らしく堂々と生きれば良いんだよ」と言ってくれたことがありました。
辛いことや悲しい体験も、文章にありのままで書くことが私なりの生き方なんだと思います。
時には思い出すこともしんどくなるくらい、悲しかったこともありました。
存在価値を認めて欲しくて、もがいていた時期もありました。
それでも報われることは、ありませんでした。
だからこそ今までの経験を文章にすることで、過去の自分自身に寄り添っているのかもしれません。
世の中には、私のように辛い経験をしている人がいるでしょう。
もしかすると想像を絶する体験をしてきた人もいるかもしれません。
私の経験や言葉で誰かを救うことは、出来ません。
けれども気持ちに寄り添い話すことはできるんです。
それは、心が傷ついた時の痛みを知っているから。
とは言ってもいまだに仕事はしていないし、無職街道まっしぐらな状態で、新たな夢のために走り出した遅咲きの夢追い人でもあります。
有名人でもなければ、本を出版しているわけでもない。
けれどもこのブログがその一歩になることを、信じています。
それは家族や友人の支え、そして読んでくださる読者の皆さんがいてくれるからこそ、私は実現できると思うのです。
最後に
これからどんどん面白くなっていくつもりのオリエンタル納言ではありますが、たった一人で成し遂げられるとは思っていません。
偉大な歌手も、有名な俳優も、アーティストも、全て誰かに支えられて助けられているはずだから。
これからもこの「社会の底辺からこんにちは」は、皆さんの大きな支えと共に一緒に作り上げていくものだと思っています。
伝えたいことがありすぎて上手くまとまらず、すみません💦(笑)。
ですがこれからも、こんな不器用な私を応援してくださると嬉しいです。
改めていつも読んでくださる皆さん、本当にありがとうございます!
これからも色々な角度から泥臭くありのままの言葉で、書いていきたいと思います。
全てのコメントに返信させていただきます!
ナイーブな私に勇気をください
痛みを知ってるから気持ちがわかるって人は人生の遠回りをしているのかもしれません。
色んな景色を見て、色んなものに触れて理解しないまま、社会、会社の枠に囚われて生きてる人間には経験できないようなことをしていると僕は思います。
確かに収入や地位の面では属している方が高くはなるでしょうけど、本当にそれが自分の求めていることなのか、したいことなのかを考えた時に辞めるとゆう選択を選びました。
何が正解で不正解かなんて他人が決めることではないし、どこかに賛同してくれる人は必ずいるからなんとかなると思ってます。
適度に力抜いて気楽に楽しんでいく、これが今までできなかった僕は意味が理解できませんでした。仕事はカッチリやりミスがないかをチェック、部下の行動の無駄を指摘、休日出勤してマニュアル作成したり色んなことをやってきました。
馬鹿になる方法なんて本を買って読んでるって親友に話したら、どんだけ真面目なんよと笑われましたが、今ではそれがきっかけであり適当って言葉を使うことができだしたかなと思っています^_^
だから今だから言えます、助けてもらいたい時は助けてと叫び、適度に適当に人と付き合う、無理な人は道に落ちてるう◯こと思って避ける。これだけでも少し楽になりました。
また読ませて頂きます!頑張って下さいねー♪
いつも読んでくださりありがとうございます。モトさんの感想を読みながら、働いていた時の私もまさにそうでした。完璧を求めて過ぎて、常に肩に力が入っていたような気がします。当時まだ仲が良かった先輩にさえ「あなたは力を抜くことが、とても下手くそだよ」と何度も言われてきました。仕事だから、お金をもらっているからと、あらゆる理由をつけて自分を追い込んでいたような気がします。
しかし、エッセイを書き始めて新しいことを取り入れるようになってから、少しずつ視野が広くなっていく感覚を肌で感じるようになりました。
「世界ってこんなに広いんだ。方の力を抜くって大切なことなんだ」と思えるようになりました。
ただそれも、辛い経験があったからこそだと思っています。
失敗を繰り返し、その度に学んできたからこそ、視野を広く見られるようになったのかもしれません。
モトさんの作品を何度か拝見していますが、人生の集大成のようなものを感じることが多々ありました。
きっと作られているものが人生そのもののような気がします。
真面目だからこそ我慢することも、自分を犠牲にすることも多かったけれど、これからはもっとのびのびと好きなことをやり続けていきたいですよね☺️
私もモトさんの作られる作品が大好きです。
これからも素敵なものを、自分のうちに秘められた想いを形にし続けてください。
心から応援しています。