何度もエッセイで書いている後ろ向きな感情。
その感情が、決して間違っているとワタシは思っていません。
それぞれに考え方があって、自分の中でなんとか自己処理をしようとしている。
そのやり方の違いは、誰にだってあることだと思うんです。
生きている中で、「どうして、そこまで後ろ向きに考えるの?」と聞かれたことが、何度かありました。
けれどもワタシはその問いかけに、うまく返すことができなかったんです。
ただ今なら、その質問に答えることができるような気がします。
きっとワタシは、後ろ向きに考えることで気持ちの保険をかけているから。
ポジティブになりたくて
しかし、この感情は何もずっとそうだったわけではありません。
昔からマイナス思考だったワタシは、なんとかその感情を打破したくて、あらゆる手を尽くしました。
前向きになれる言葉を探して、自分自身にも言葉をかけて、前向きになれるように努力をしたことがありました。
その時のワタシはきっと、「マイナス思考は、よくないことだ!」そう決めつけていたのかもしれません。
そしてポジティブな人たちに対しては、強い憧れのようなものを抱いていたことも理由の一つだったのです。
期待をしすぎて
かつてワタシにも、ポジティブになろうと必死になっていた時期がありました。
前向きになれる本を読んでみたり、時には誰かの言葉を借りてみたり。あらゆる言葉を尽くして、前向きになれるよう努力をしてみたんです。
しかし、自信をつけるためにやっていた行為がいつしか期待に変わり、期待通りに物事が進まなかった時には、今まで以上に落ち込むようになりました。
自信をつけたかったはずなのに、「どうせダメなんだ」と、余計に負の感情の谷底に落ちて行く感覚を味わうようになってしまったのです。
いつしか前向きな人たちの言葉自体が重荷のように感じ、余計に自分を惨めにさせていきました。
そこにはきっと、過度に期待をしすぎた代償があったのかもしれません。
負の保険をかけて
大人になればなるほど、前向きになれない現状と向き合わなければならないことを痛感しました。
前向きになろうとすればするほど、心は窮屈になっていくような気がしました。
その時くらいから、気がついたんです。
世の中には、前向きになればなるほどいい方向に進むタイプの人と、ある一定のラインまでマイナス思考で保険をかけて、結果的に自分の心を守ろうとしている人がいることを。
きっとワタシは、負の感情を口に出すことで安心しようとするタイプなんだと思います。
もしもの時に保険をかけるように、過度な期待をしないように、期待のせいで傷つかないように。
負の感情の恐ろしさを
ただ負の感情のエネルギーは、前向きなエネルギーよりも強く、時に相手さえも飲み込んでしまう時があります。
どれだけポジティブな人でも、負の感情に触れ続けてしまえば同じように引き込まれてしまうことがあると、今になって気づくようになりました。
相手がかけてくれた言葉を無視するように、どんどん吐き出された感情は、時として相手の心さえも変えてしまう瞬間があることに・・・。
そんなワタシも、前向きな言葉をかけ続けてくれた人の話を聞くことをせずに、どん底まで落ちて、負の谷底へと無意識に引きずり込んでしまうことがありました。
そして、その行動が時として相手の自信まで奪ってしまうことに気がつくまでに、随分と時間がかかってしまったのです。
向かっている道は同じでも
ポジティブとネガティブは、正反対の性質を持っていると思っていました。
けれどもよくよく考えてみると、やっていることは違っていても向かっている先は同じことが多々あるような気がします。
前向きな言葉をかけながら自分に自信を持とうとする人。
後ろ向きな言葉をかけながら時には自分自身の心に保険をかけて、ゆっくりと目的地まで進もうとしている人。
決してネガティブな人は、誰かを陥れてやろうとか、相手も同じように傷ついて困ってほしいと考えているわけではありません。
ただやり方が、伝え方が違うだけで、最終的には前を向いて進んでいきたいと思っている人の方が多いような気がします。
今までの経験を経て、自分なりの心の保ち方で前を向いて歩いていけるように。
前向きじゃなくたって
ワタシは前向きじゃなくてもいいと思っています。
時には負の感情にどっぷりと浸かりながら保険をかけて、前を向けるタイミングを模索しているのだから。
けれども、その気持ちを少しでも相手に伝えていなければ、負の感情に巻き込んでしまい、共倒れになってしまうこともあるのです。
大切なことは、どのような感情を持っていたとしても大切な人にくらいは「自分はこうやって、心を保っているんだよ」と伝えることが必要なのかもしれません。
「ただ進み方が違うだけ、やり方が違うだけ、それでも最終的には同じ方向を向いて歩けるように自分なりに考えを持って、心と向き合っているんだよ」そう伝えるだけで、随分と向き合い方も変わっていくかもしれません。
そして相手に伝えた上で、もう一度心と対話をすると、意外と新しい向き合い方に出会える気がするんです。
人の数だけ考え方があり、向き合い方がある。
そのやり方がほんの少しだけ違うことを知るだけでも、きっと関わり方も、自分自身の考え方にもゆとりが生まれ、また新たな道を見つけ出すことができるような気がするから。
ナイーブな私に勇気をください
前向きじゃなくを読んで
共感するエッセイでした。
いきなり結果から書いたようですが、
『自分はこうやって心を保っている』
そのようですね。笑
今、ネガティブな思考を否定してしまうと、自分が自分でいられなくなります。ポジティブもネガティブも織り混ぜて生きている感じがします。
SNSで楽しそうにしている自分もあれば、両親の仏壇に向かって、早く迎えに来てと懇願している自分もあります。
もうひとつ、
『ポジティブでも負の感情に触れ続けてしまえば同じように引き込まれてしまう』
です。このことで、悲しいお別れをした友達がいます。
お互い心の病を抱えていたのですが、一方が鬱から脱したら片一方が鬱に襲われる、その繰り返しで気付いたことが、文中の言葉です。最終的に私が鬱状態になった時、意を決して連絡を絶ちました。
これ以上同じことを繰り返し友達を、また鬱の世界に引きずりこむ分けにはいきません。鬱の世界から脱している友達は、一時的に辛いと思いますが、もう鬱の世界に戻ることがないことを願って。
それだけ聞くと私の決断は、立派と思いがちですが、実は最初に戻りますが、こうするしか自分の心を保てなかったのでしょう。
そんな心を病んでいる時のことに、決着をつけさせて頂いたエッセイでした。
ありがとうございます。
いつも読んでくださり、ありがとうございます。
そして今回の感想を読みながら、ワタシにも似たような経験がありました。
かつてうつ病のどん底にいた時、そばに居続けてくれた彼を、こちらの闇の部分に引き摺り込もうとしてしまった瞬間が何度もありました。
あらゆる言葉をかけられても、どれだけ寄り添ってもらおうとも、全てを払いのけて、ひたすら感情のままに落ちるところまで落ちていったあの頃。あの時のことを二人で振り返る時には「何度も危ない瞬間があって、その度に『引き込まれちゃダメだ』って言い聞かせてたんだ」と言われることもありました。
私たちは、人生を共にすると決めて一緒に歩む決断をしてから、離れる選択肢は考えていなかったのですが、もしもこれが少しだけ距離感が遠い存在であったら、間違いなくワタシも同じように別れを告げていたと思います。
心の影の部分は誰にでもあって、その色の強さがどのように現れるかも人それぞれ違う。うつ病になっている時には特に自分のことでさえもままならなくなるので、余計に相手を引き込みやすくなってしまうのかもしれません。
今ではうつ病の症状も回復し、季節の変化や毎日の景色にも色が付けられて見えるようになりました。落ち込みそうになった時は破滅する前に距離を取り、自分自身を守る術を毎日模索している日々です。
けれども、あの時よりも随分と心は軽くなったような気がします。
そんなことを改めて思い出させてもらった感想でした。
ようやく、自分自身の心も体も元気になりつつあることを感じながら、返事を書かせていただきました。