カリスマすぎた男 ハンバーグ編

オリエンタル納言日常日記

さて、カリスマすぎた男も最後の番外編となりました。

過去の恋愛を知っている友人たちは、「こんなことあったよね。懐かしい」と思い出を振り返りなが読んでくれているそうです(笑)

また、他の読者の方々の中にも同じ体験をしたり、コメントなどでやり取りをしながら、共感と励みの嵐でございます!!!!!!

付き合っている時の盲目モードは、どんな洗脳よりも強いような気がします。身近な人に止められても、傷ついても愛されたい気持ちが勝ってしまうのでしょう。

今まさにダメンズの恋に溺れている人に伝えたい、それは愛ではなく、ただの自己満足の道具に使われているということを。

自分の宝物や、コレクションを壊す人なんていません。

きっと大切に保管するし、丁寧に扱うはずです。

それは人間関係も同じことだと思います。本当に愛していて大切にしていたら、壊すような真似は、絶対にしないはずだから。

そして当時の私は、宝物ではなくガラクタ同然だったということなのです。

ぜひコメント欄に、読んだ感想をいただけると大変励みになります。皆さんのメッセージをお待ちしています!また、相談や困りごと、どんな些細なことでも構いません。ブログのトップに「あなたの悩み・相談」もありますので、皆さんの声をぜひお聞かせください☺️🧡

嵐のまえの静けさ

私は、カリスマの家に来ていました。

何をしているかというと、何もしていない。いや、何も出来ない状況にいました。

何故なら、数週間前に「距離を置こう」という話になり、LINEのやり取りはしていたものの、会うのは久しぶりだったからです。部屋の隅の方でちょこんと正座をしながら、カリスマが気だるそうに見ているテレビを私も見ていました。

会話はなく、たまに天井がピキッと鳴ったり、どこかの機械音とテレビの音が聞こえたりしていたような気がします。

「あのさ今日来てくれたけど、どこにも行かないから。アニメ見たいし、外出るの面倒だから」

「うん・・・。大丈夫だよ。ゆっくりしたいもんね」

そんな不毛なやり取りをしながらふと、(別れるのも時間の問題だな)と悟るしかありませんでした。

テレビが見える位置から微動だにしない姿を見て、私の顔を見ようともしない冷たさを感じて、息苦しく、そして自分自身が哀れで情けなかった。

いっそのこと言いたいことを言って別れてしまおうかとも考えたけれど、やっぱり勇気が出ずにテレビの画面を見つめていました。

すると「お腹すいたから、作ってよ」と言われ、今日私は何のために家にきたのかを思い出したのです。

それは数日前に、「ハンバーグが食べたい」とカリスマに言われ、これも仲良くなれるならと朝早くからスーパーに寄り、ハンバーグの材料を買ってから、カリスマの家に行きました。

(ハンバーグ係じゃねーぞ!)と怒りもあったけれど、これも仲良くなれるのならとグッと気持ちを押し込めて、美味しいハンバーグを作って喜んでもらおう大作戦にシフトチェンジをしました。

しかしこれが別れる決定的な理由になるとは、この時はまだ思っていなかったのです。

魔のハンバーグ作り

ハンバーグ作りにカリスマは、もちろん参加しません。

「俺の家の台所を使わせてやってるんだからいいもの作れよ」というスタンスだったのは、台所越しから姿を見ても一目瞭然でした。

カリスマのために家で一度練習をしていたこともあり、作る手順はバッチリでした。お腹を満たせば心も満たせるはずだと、気合の入れ方も尋常じゃありませんでした。

しかし作っている最中に台所を覗くこともしなければ、たまにトイレに行くために台所を通るけれど、声はもちろんかけてこない。

それはまるで、共有の台所で料理をする人間と別の住居者が居合わせて、気まずい雰囲気が漂う感じと似ていたような気がします。

数ヶ月前までは彼女だったのに、今では顔見知り程度にまで格下げされました。

材料費も私。

カリスマの家に行くまでの交通費も私。

そして料理を作っているのも私。

そう考えると沸々と怒りが湧いてきて、どこにも向けられない矛先を冷蔵庫に向けてしまったのです。

(何で私ばっかりなの!?何この状況!)という心の声と共に、冷蔵庫をバタンっと閉めてしまいました。

そのはずみで、冷蔵庫の後ろに置いてあったコップが下に落ちて割れてしまったのです。

「あっ!!」という声を聞き、慌ててカリスマは台所にやってきました。

「そこ動かないで!本当に何やってんの?危ないから、下がって!」とまるで、事件現場にでもやってきたのかと思うくらいの勢いで、ゴミ袋を取り出して処理をし始めました。

「ごめん、冷蔵庫を強く閉めちゃって」

「いや、本当にいい加減にして。落ち着いて、面倒なことさせないで。あと、材料無駄になっちゃうから、早く作った方がいいんじゃない」

「うん。急ぐね」

「ハァ〜、しっかりしないと」

もう悔しくて悲しくて、残りの破片が落ちていないかを確認しながら涙が止まりませんでした。

何故こんなにも傷付かなければいけないのか。

何故私の選ぶ人たちは、数ヶ月で変わってしまうのか。

自分の見る目の無さ、そして自分自身にもある欠点にうんざりしながら、流れる涙を服の裾で拭きながらハンバーグ作りを再開しました。

価値観の違い

静かに涙を流す私と、優雅にテレビを見ながら笑っているカリスマ。この対照的な姿に、「今作っているハンバーグが最初で最後だな」と実感していました。

たった3ヶ月だったけれど思い出もあったし、楽しかった頃もありました。思い出すたびに、ポロポロと涙が溢れてしまうんです。

幸せって何だろう。

愛されるって何だろう。

そんなことを考えると、余計に情けなくなってしまう。頭の中で色んなことを考えていると、リビングからカリスマがやってきて「ねえ、いつまでやってるの?」と声をかけられました。

いきなりの声に驚いた私は、ハンバーグのタネをあろうことかガラスのコップが落ちた場所に落としてしまったのです。

「あっ、ごめん!びっくりして・・・。これは流石に食べられないから、捨てるね」この一言がカリスマの逆鱗に触れてしまったのです。

「お前とは価値観が合わねえ!!!!!もう無理だ!別れる。まじでこんなに価値観合わねえと思ったことないわ!」

はい、もう混乱です。

床に落ちたハンバーグを捨てると言ったことが怒りの理由だったのか、でも、ガラスの破片が混入しているかもしれないものを食べるわけにもいかない、しかし、このまま放り出されても困ってしまう。

私は一か八か「わかった。このハンバーグは私が食べます」と言ってみました。

するとさっきまで顔を真っ赤にして怒り狂っていたカリスマが、「本気で言ってるの?自分で食べられるの?」

「うん、責任持って食べるよ」というと、ニコッと微笑んで「大きな声出してごめんね。それでいいんだよ。俺もお腹すいててイライラしちゃったんだ」と怒りを沈め、優しく微笑んできました。

カリスマは、ガラス入りかもしれないハンバーグを私が食べないことに怒り狂っていたのです。

正気の沙汰ではありません。

しかし流石に食べられないからこっそり捨てて、ハンバーグを一回り小さくしたものを出しました。

それに気づくこともなく、「美味しい」とだけ言って食べていました。

きっとカリスマは、ガラス入りハンバーグを私が食べていると思っているのでしょう。

何となく、いつもよりも優しい姿にゾッとしたのは、今でも覚えています。

LINE越しは突然に

ハンバーグを食べて早々に帰らされた私は、本当にただハンバーグを作りにきた人として、カリスマの家に招待されていたのだなと実感しました。

家に帰る途中、ハンドルを握る手がずっと震えていました。

街中を仲睦まじく歩くカップルを見て、自然と涙が溢れて止まりませんでした。自分にないものを持っている人たちが、羨ましくて仕方がありませんでした。

ただ、好きでいて欲しかった。

出会った頃のように、仲良く過ごしたかった。

それだけでした。

けれども、それさえも叶わないことに、もう絶望しかありませんでした。

山と別れて、心の傷を癒してくれたのはカリスマでした。

けれども、それ以上に傷つけてきたのもカリスマだったのです。

私が家に帰ったとほぼ同時に、LINEには別れようと書かれていました。

ハンバーグについて何か言うこともなく、私の言葉を聞くこともなく、4文字だけを送りつけて全てを終わらせたのです。

私はまた、独りぼっちになりました。

誰にも愛されず愛し方も分からず、無駄な涙を流すことしか当時の私には、出来なかったのです。

行き場のない怒りと、孤独になった私自身をそっと抱きしめて・・・。

最後に

ここまで読んでくださり本当にありがとうございました。

山と別れてすぐに、出会ったのがカリスマでした。

失恋の話を優しく聞いてくれたこと、辛い気持ちを受け止めてくれた部分に、依存していたのかもしれません。

当時の私は誰が見ても、哀れで痛々しかったと思います。それはきっと、愛されることの本当の意味を知らなかったからです。

そして、私自身も愛することをしていなかったのだと思います。

きっとカリスマのように、自分絶対主義者は少なからずいるでしょう。

自分の意見が、正しい。

自分の考え方は、正しい。

自分に従わないやつは、悪だ。

そう考えていたと思います。けれど、彼自身も本当は怖かったのかもしれません。

自分という人間が必要とされているかどうか。

付き合っている時に持っているものへのこだわりや、友だちの地位について話されたことが何度もありました。

カリスマの中にある劣等感みたいなものを、目で分かるもので埋めようとしていたのかもしれません。

それが自分の測る唯一の物差しになっていたのでしょう。

自分にないものを他人が持っているかもしれない。けれども、自分にしかないものだってあるはず。そこに気づけた時、カリスマ自身も本当の意味で自分を愛することが、受け入れることができるのだと思うのです。

もう別れてから数年の月日が流れました。

彼が何をしているのか、どのような生き方をしているのか、私には分かりません。

ただ私にできることは、同じ被害者が出ないように過去をさらけ出し、伝え続けることだと思っています。

もう傷ついている人を見たくないんです。

私と同じ思いをして欲しくないんです。

経験したからこそ、伝えられることを私はこれからも伝えていこうと思います。

恋愛に溺れることなく、自分自身を大切にしてほしいから・・・。

ナイーブな私に勇気をください

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