リクエスト企画「会社不適合者」

コラボ企画

お久しぶりです。オリエンタル納言です。

今回のリクエストは「世の中知らないことだらけ。今までこうだと思っていた」ことについてをいただきました。

このテーマを書くにあたり、色々と考えてみると今のワタシの状況がまさにリクエストをいただいた通りのような気がします。

今までずっと思い込んでいたこと、そしてその思い込みから解放されずに悩んでいたこと。

そんな知らない世界にワタシはようやく飛び出してみようとしています。

そこで今回は新たな気持ちと、これまでの葛藤を綴っていこうと思います。

それでは、スタートです。

 

社会不適合者

ワタシは以前まで自分のことを「社会不適合者」だと思っていました。

だから何をするにも自信がなくて、何をするにも否定する言葉ばかりが浮かんでいました。

その度に使っていた言葉こそ、この「社会不適合者」なんです。

20歳から社会人として働き始めて、幼稚園では2年目の冬に退職をしました。

次に就職した保育園では、8年目の秋に退職をしました。

そして休職も含めた2年の間にようやく社会復帰をしようとしたところに、出会ったのが今の園です。けれどもその園で働き始めてから、心の病が発症し始めています。

どれだけ社会の中で、当たり前のように働きたくてもうまくできないことが、苦しくて悲しくて仕方がありませんでした。

そんな中で、ちょっとずつ自分のことを「社会の中で仕事もできない不適合な人間なんだ」そう思うようになっていったのです。

保育士以外を知らなくて

世の中にはあらゆる仕事が存在します。その中で、ワタシは専門職である保育士しかやったことがありません。だから余計に、新しい場所での仕事をする気にはなれませんでした。

知らない職種に対して不安もあるし、何より子どもたちと関わる時間が大好きで、子どもたちと一緒に過ごした日々を忘れることができなかったから。

だから余計に、新しい場所で、新しいことを1から覚えるよりも、ほんのわずかな望みをかけて保育士として働ける場所を探し続けていました。

けれども女性社会特有の空気感や、悪口ばかりで構成された仲間意識。そして仕事をすることよりも自分の自尊心を守ることに必死になって誰彼構わず傷つけようとする人たちに疲れてしまったのです。

それでも子どもたちが大好きでした。

子どもたちがいるから、どれだけ辛くても頑張ることをやめませんでした。

けれども、そろそろ限界が来ようとしていることも、自分でもわかっていたような気がします。

ある日ワタシは、あれだけ好きだった子どもという存在が、少しずつ好きではなくなっていきました。

周りの言葉が聞こえない

三度目の正直みたいな感覚で、新しい場所で新しい働き方をやってみても、結局うまくいくことはありませんでした。

どこに行っても同じように自分勝手な人はいるし、どこに行っても悪口を聞かされる環境では自分の心も思考も腐ってゆく。

そんなことにすら気づけず、体調不良になって友人や家族が寄り添ってくれても、結局は「どこに行っても仕事を全うできない自分が悪いんだ」と責める言葉ばかりを言いながら、心を保っていたような気がします。

それでも周りは言い続けていました。

「劣悪な環境にいる方が心が沈んでいくし、子どもたちのことも本当に嫌いになってしまう日が来るかもしれないよ?保育士が好きなら、ここで働く必要はないと思う。会社に属さなくても働ける方法はいくらでもあるし、別に幼稚園、保育園みたいなところにいなくても、保育はできる。もっと自分を大切にしなきゃ!」と。

それでもワタシは、踏ん切りがつかなかったんです。

また「社会不適合者」の烙印を自らが押してしまうような気がして・・・。

キラキラしたいから

そんなある日、ワタシに1人の友人から電話がかかってきました。

その友人は今の職場で出会い、そして仕事の枠を超えて仲良くしてくれている人です。年齢は違うけれど、そんなことも気にならないくらい、彼女はタフで、そしてまっすぐで、純粋に言葉をかけてくれる人でした。

「納言ちゃん。私ね最近ずっと思ってたことがあるの」

「思ってたこと?」

「納言ちゃんのエッセイをすごく楽しみにしてるから、投稿されるたびに読んでるんだ。でもね、保育士の話だけは、どうしても『悲しい』って気持ちが溢れて、時には泣きそうになりながら読むこともあるんだよね」

その言葉を言われ、気がつけばワタシは涙を流し、受話器越しからは同じように啜り泣く声が聞こえていました。

「本当は、保育士の仕事が大好きなんだよね。子どもたちの『こころ』を育てて、一緒に成長して、愛情を持って接することにやりがいを感じていたんだよね。それができない環境だからこそ、苦しくて、もどかしくて、悩んでいるような気がする。本当ならもっと伝えたいことがあったと思う。もっと子どもたちのことを大切にしていきたいと思ってるよね。保育士としてできる限りのことをやりたい、そう思ってるよね。それが文章からすごく、すごく伝わってくるから読んでる私も辛くなるんだと思う」

「・・・」

「でも、あそこである必要はないと思うの。自分の信念を持って、やりたいことをやれる場所を納言ちゃんが自ら作れば良いと思うんだ。エッセイストになって、夢を追いかけて、子どもたちの未来を守れるようにすれば、きっと昔から望んでいたキラキラした保育士さんになれると思うから」

その言葉を言われた時、ワタシの頬を伝う涙が感情の全てを表しているようでした。

会社不適合者

この話を聞かされた時、ようやく気づけた気がするんです。

そして目が覚めたような気持ちでいっぱいでした。今まで会社や組織の中に属して、うまく働き続けることができない自分に嫌気がさし、保育士としての信念を曲げてまで働くことを選ぼうとしていたことに。

それが何より、自分の心そのものを傷つけていたのです。

ワタシにはワタシのやりたいことがあります。

けれどもその気持ちを否定してきたのは、ワタシ自身でした。

そしてやりたいことを尊重し続けてくれたのは、周りの人たちでした。

その事に気づくまでに、かなりの時間と労力を使ってしまったと思います。

だからもう、社会の中で生きることに固執することはやめたいと思うんです。そしてまた1人、ワタシのように心を壊した友だちが「納言先生。私たちは社会不適合者なんかじゃなくて、きっと会社不適合者なんですよ。表現者たるもの、好きなことをして、好きなように人生を楽しんだ方がいいですよ!だって、他人のためにキラキラできないなんて勿体無い!だったら、もっと自分のために好きなことをして、好きなように過ごして人生を楽しみたいじゃないですか。職場で疲れてエッセイ書けなかったら本末転倒ですよ?もう頑張るのをやめて、会社不適合同士、好きなことで生きていきましょう」そう声をかけてくれたのです。

きっと私たちが知らないところで、同じように会社に属さずに生きる道を選んだ人もたくさんいると思います。

社会の中でうまく付き合っていける人もいれば、会社の中で働いてやりがいを見つける人もいる。けれども、私たちのように会社に属すことなく、好きなことを自分のペースで楽しみながらやることが向いている人も大勢いると思うんです。

だからワタシも凝り固まった考え方を捨てて、自分の人生を自分のために、そして信念を無理やり曲げなくてもいいような環境を作り上げていきたいと思います。

それが「会社不適合者」なりの、一つの生き方だと思うから。

ナイーブな私に勇気をください

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