仲良くすることの難しさ

保育士時代の体験談・過去のトラウマ

保育士の仕事を始めてから、今年で9年目を迎えました。

幼稚園で働き、保育園で働き、そして今年からまた新しい場所で保育士として働くようになりました。

特に保育園で働いていた頃は悲しい思い出が多い分、嬉しい思い出もたくさんありました。

子どもたちと関わる中で大人としてではなく、同じ人として大切なことを伝えてきたつもりです。

子ども同士だから、時には気持ちがうまく伝えられなかったり、喧嘩をしたりすることがありました。

その時には、「ごめんねって言われて、納得してないなら『いいよ』は言わなくていいんだよ。まだ許せない気持ちがあるのに、『いいよ』って言ってしまったら、きっとまた同じ気持ちになっちゃうかもしれないでしょ?だったら、しっかり話し合って、もう一度仲直りして楽しく遊びたいと思った時に、『いいよ』って言えた方がいいよね」なんてことを話していました。

純粋な彼らは自分なりの言葉で思いを伝え、そして喧嘩をしても互いに納得した時に仲直りをすることができていたんです。

しかし大人の世界は、どうでしょうか・・・。

意地とプライドのぶつかり合い

大人の世界に足を踏み入れてから、何度も目にしてきた大人の醜さ。

表の顔では耳触りのいいことを言い合っていたのに、一度その場所を離れた途端に悪口が始まる。

喧嘩をすることはないけれど、自分の心のモヤモヤを発散するようにして、悪口で仲間を作る人もいました。

同じような感情を持ち合わせそうな人を探し、気に入らない人の悪い部分ばかりを探して、まるでお笑いの話でもするかのように、時には悪口に花を咲かせ、相手の行動をバカにして、そして共通の敵としての認識を深めていく。

大人になればなるほど色々な場面を経験していきます。その分、怒りを覚えた相手には感情を出すことも、自分の思いを伝えることもせず、「悪口」という形でストレスを発散していくことを覚えてしまうような気がするのです。

決して歩み寄ろうとすることはなく、自分の過ちを反省することもない。

「私には悪口を言う理由があるの。こんな気持ちにさせたあの人が悪いのよ」そう心の中で思っているのかもしれません。

肌で感じる雰囲気は

しかし、ワタシ自身もかつては同じように悪口を言い合っている仲間の中にいました。いつ自分が言われるかわからない恐怖と向き合うことが怖くて、少しでも嫌な部分が目についたら同調するように話の中に入っていたこともありました。

言っている時は、妙に気持ちがスカッとするような気がしていたんです。

けれども少し時間が経つと、途端に心が締め付けられるような思いになったり、罪悪感に襲われたり、とにかく前向きな感情が生まれることは一切ありませんでした。

さらに、悪口を言っていた相手が助けてくれたり、優しく声をかけてくれた日には、罪悪感が増し、心に深く影を落とすようになることさえありました。

(どうしてワタシは、この人のことを悪く言ってしまったんだろう。本当は、見えない部分でいいところもあるんじゃないか。それに、ワタシ自身は相手のことを悪く言えるほどの立場じゃないことを自覚していないのかもしれない)そう思うことさえあったんです。

仲直りはせずに

大人の世界では、面と向かって相手に「ごめんなさい」と言うことはなかなか難しいです。

けれども不思議なんです。

何かしてもらった時や、助けてもらった時にはお礼よりも先に「ごめんね。ありがとう」と伝えている人の方が多くいました。

「ごめんね」の中には感謝の意味も込められており、「あなたの力を借りるような形になってしまい、ごめんなさい。でもすごく助かったよ。本当にありがとう」みたいな感じで、申し訳なさと感謝が入り混じって謝罪が先に来ているのかもしれません。

ただ本当に間違ったことをした時や、大人気ない態度を取り、相手を傷つけてしまった時には決して「ごめんなさい」の言葉が出ることはありませんでした。

いつまでも意地を張り、自分が悪くないと思い続けているからなのか、謝りもせずにいつまでも感情に縛られ続けているように見えました。

年齢を重ねて

若い頃は特に、嫌われないように必死だったかもしれません。

独りぼっちになりたくなかったし、仲間外れにされて孤立していくことに恐怖を感じることさえありました。

そこまで悪い感情が芽生えていたわけじゃないけれど、同じように悪口を言うこともあったし、吐き続けた言葉が気がつかないうちに態度に現れて、自然と相手をさけるようなこともしてしまったんです。

しかし年齢を重ねていくにつれて、少しずつ自分の頭で考えて、相手の気持ちに立って物事を決められるようになりました。

ワタシなりの逃げ方

嫌なことをされたなら、その人から距離を取り、仕事仲間の一人として大人の対応をすればいい。

もしも悪口を言い合って仲間を増やそうとしている人がいるのなら、その会話の時だけはなるべく一人でできる仕事を探し、会話に参加しないようにする。

楽しい話や、日常会話などは普通に参加することもあります。

けれども心が蝕まれてしまうような言葉を聞き、その言葉を同じように吐いてしまえば、その言葉はいつか自分に返ってくることを学びました。

マイナスな言葉は一時的に強い結束を芽生えさえ、時には心地よさすら感じてしまうことがある。

けれども悪口を言って楽しいのは、その瞬間だけなのです。聞きたくもないのに周りで聞かざるを得なくなっている人、その言葉に心を痛めている人がいることも忘れてはいけません。

「あの人も、悪口を言って嫌な気持ちにさせてくる人なんだ。もしかしたら、あの人たちに不都合なことをしてしまったら、次は私が悪口のターゲットになるかもしれない」そう思う人だってきっといるはずです。

マイナスな言葉もプラスな言葉も、いつかは自分に返ってくる。

その姿を見た人たちはきっと、悪口や愚痴で誰かを下に見てくる人たちと距離を取り、人間関係で一番大切な「信頼」を少しずつ失っていくでしょう。

どれだけ相手が間違ったことをしていたとしても、直接本人に言う勇気がないのなら、誰かと一緒に悪口を言うのではなく、嫌な人から離れることをお勧めします。

 

ナイーブな私に勇気をください

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