病気を乗り越えて

保育士時代の体験談・過去のトラウマ

夫と出会った時の私は、人生で最も精神的にも肉体的にも限界を迎えていた時期でした。

仕事は全く上手くいっていませんでした。

恋愛も結婚を考えていた彼と別れて以降、マッチングアプリで出会った人たちと付き合いましたが、モラハラ気質な人や、男尊女卑の考えが根強く残っている人、付き合うそぶりを見せて、マルチ商法に勧誘してきた人など、人生の中で一番上手くいっていない時期でした。

そんなどん底にいた時に出会ったのが、今の夫だったのです。

マッチングアプリで奇跡の出会い

夫と出会う前に、私はある決意を固めていました。

「次にいいねが来た人がどんな人であってもやり取りをして、恋愛に繋がらなかったとしてもアプリはやめて、恋愛自体も諦めよう」と。

何もかもが上手くいかず自暴自棄になっていたからこそ、極端すぎる考えは後に功をそうすることになりました。

今まで載せていたプロフィール画像は、男性向けに撮った盛れている写真を使っていました。しかし、それでは意味がないことに気がついた私は、一番等身大に近い写真を選んだのです。

もちろん毎日来ていたいいねは、パタリと消えてしまいました。「やっぱりそうだよな・・・」と諦めかけた時、1人の人がいいねをくれたのです。

それが、夫でした。

「初めまして!すごく素敵なファッションで思わず連絡をしました」

「ありがとうございます。よろしくお願いします!」それが一番初めの挨拶でした。

当たり障りのない会話から、仕事の話、趣味の話をしていき、少しずつ交流を深めていきました。

夫も私も共通の音楽の趣味があり、その他にも色々なところに共通点がありました。意気投合した私たちはLINEを交換して、毎日のようにやり取りをするようになったのです。

隠していた本当の姿

文章でのやり取りを重ねていくうちに、少しずつ電話をすることも増えていきました。

電話を何度かするうちに、一度会ってみたいと思うようになっていきました。

すると「納言ちゃん、もしよければ一度会うことって出来ないかな?」と提案をされたのです。

すかさず「私も会いたいと思ってたの!ぜひ会おうよ」と会う約束を決めました。

しかし、ここで私はある問題と直面することになりました。

実は夫と出会う前、仕事や過去の恋愛のストレスで、私はガリガリに痩せていたのです。

食事は全く喉を通らず、食べてもすぐにトイレに何度も駆け込む生活を約4年続けていました。そのせいであばらは浮き出て、顔も筋が出てしまい、誰が見ても病的に痩せ細っていたのです。

そんな姿を見られたら嫌われてしまうかもしれない、そんな不安はありましたが、それでも会いたかったので、もしも聞かれた時にはきちんと話をしようと決めていました。

運命を感じて

中間地点の駅の改札に少し早く待っていた私の後に、手を振りながら近づいてくる夫の姿がありました。

以前にも夫との出会いは書いたことがあるのですが、変なマスクをつけて登場した彼に妙な安心感を抱き、直感で「この人と結婚するんだ」と根拠のない自信を感じたまま、デートを1日楽しんだのです。

それからすぐに私たちは交際をスタートさせ、スピード婚約、スピード結婚をしました。

とてもありきたりな言葉を使うのなら、私は夫との出会いを運命だと思っています。

うつ病と向き合って

初めにも書いた通り夫と出会った時にはすでに、ガリガリに痩せ細り、精神的にも肉体的にも限界を迎えていました。

籍を入れる2ヶ月前に同棲生活が始まったのですが、それと同時に仕事も休職しました。

原因は「うつ病」「栄養失調」「摂食障害」でした。その診断を受けたのも同棲生活が始まる少し前だったのです。

だから夫は、私が健康で元気だった頃を知りません。

同棲生活が始まってすぐに、新しい家で引きこもりのような生活を送り、毎日絶望を感じながら生きていました。

とても幸せなはずなのに、幸せを感じる余裕はありませんでした。行き場のない怒りや悲しみ、そして苦しみを夫にぶつけることが精一杯でした。

そして結婚式の1ヶ月間に夫と話し合い、仕事を辞めることにしました。何度も何度も話し合い決めたはずの答えでも、大好きだった保育士を辞める事実をすぐに受け止めることが出来なかったのです。

休職の期間中、毎日のように泣いて眠れない日々が続きました。

口癖のように「子どもたちに会いたい、保育士に戻りたい」そう言い続けていました。どれだけ当たり散らされても夫は見捨てることはせず、話を聞きながらそばにいてくれたのです。

長い道のりをゆっくりと…

仕事に行かなくなってからもうすぐ、1年が経ちます。それでも、病気は完治することはなく、上手に向き合っていくことを夫婦で協力しながら行っています。

一緒にカウンセリングに行ってみたり、他の方法を試してみたり、前を向いて歩いていけるように支えてもらいながら生きています。

もしも夫と出会っていなかったら、私は職場で倒れるまで仕事を続けていたし、取り返しのつかないことになっていたかもしれません。

しかし今でも、保育士をしていた時の充実感や他では味わえなかった幸せの日々を思い出しては、涙が出てしまう日もあります。

だからこそ保育士ではなく、文章という形で子どもたちの思い出を忘れないように、たった1人でも誰かに知ってもらいたくて書き続けているのかもしれません。

最後に

私はうつ病でどん底にいる間、一度だけ夫の目の前で命を絶とうとしました。無意識に紐を持ち、脱衣所に向かっていく姿を追いかけてきた夫は、目に涙を浮かべて、何度も何度も頭を下げて止めてくれました。

その出来事がきっかけとなり、私は仕事を辞める決断ができたと思っています。

世の中には私と同じようにうつ病になり、実際に命を絶つ選択をされた方も多くいます。

死を選ぶことは間違った選択ではあるけれど、その人にしか分からない辛さは、誰が何を言ってもその人にしか分からないと思います。

それは私自身も過去に、同じ道を歩もうとしたからこそ気持ちが痛いほど分かるのです。

だからこそ「死ぬことは間違っている!」なんて否定はしないでほしいのです。

「生きていればいいことだってあるよ」と、今が辛いのに未来の話もしないでほしいのです。

ただそっと、「よく頑張ったね。もう目の前の現実から逃げていいんだよ。向き合うことが全てじゃない。辛いことから離れる選択をしたことも勇気があることだから」とそっと抱きしめてほしいのです。

逃げることは、悪いことじゃない。

それは、一歩を踏み出す勇気に繋がっているのだから。

心が壊れてしまいそうな時、一番ほしいのは言葉ではなく、寄り添ってくれている温もりを感じることだと私は思うから。

「自分がいなくなったら誰かが悲しむ」のではなく、「あなたという存在を大切に想い続けてくれる人がいる」ということだけは、頭の片隅に置いてもらえないでしょうか。

どれだけ辛い時期があっても天気と同じで、雨や雷が一生続くわけじゃない。

雨の後には虹がかかり、太陽が明るく照らし作物を育ててくれる。

けれども雨がなければ、育つものも育たないのです。

辛い体験は心の中に残り続けてしまうけれど、傷つくたびに痛みを知り、自分以外の人に優しくする方法を知っていくことができる。そうやって人との繋がりは少しずつ広がっていくのだと思います。

もしもあなたの大切な人が苦しみの中にいるのなら、そっと抱きしめて温もりを分けてあげてください。

そして同じ苦しみを知っている私は、文章という言葉で抱きしめさせてください。

どれだけ時間はかかっても、きっと勇気の一歩を踏み出すきっかけになるはずだから。

 

ナイーブな私に勇気をください

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