私のプリンセス

オリエンタル納言日常日記

鳴り止まない拍手の中で、深々とお辞儀をしながら微笑む彼女は、生きる勇気をくれた憧れの人でした。

顔を一度あげた後、彼女はもう一度お辞儀をしました。その姿を見た瞬間、私は声を出して泣きました。

勇気をくれて、ありがとう。生きる希望をくれてありがとう、そう言いながら。

伝わらないかもしれないけれど、何度も声に出し彼女にお礼を言いました。そして、会場にいたほとんどの人が、涙と共に大きな拍手で彼女を称え、感謝をしていたでしょう。

運命の出会い

昔からずっと、孤独の中にいた私に友だちという存在は、一人もいませんでした。

互いの共通の話に花を咲かせたり、好きなことについて語り合う人もいませんでした。

ある日、なんとなくテレビを見ていると、そこに映し出されたのは、若き日のホイットニーだったのです。

ステージの上で歌う姿に、私は一目惚れをしました。

楽しそうに微笑みながら歌う姿に、「あぁ、なんて幸せそうに歌う人なんだろう」と子どもながらに思いました。

どこまでも広がる美しい歌声は、空の上まで響き渡るように、まるで楽器のように聞こえていました。彼女の歌をもっと聴きたい、もっと知りたいと思った私は、両親にお願いをして、TSUTAYAに行き、片っ端から彼女の歌を聴きました。

英語の歌詞の意味はわからないけれど、何かを伝えようとしていることは、わかりました。中学生ながらに英語辞典を開き、単語を調べて意味を知ろうと必死になっていました。

けれども限界があるから、結局言葉の意味を全て知ることはできませんでした。ただ、歌声の中に強い意志と切なさを感じ、素晴らしい歌手だけれど、孤独を感じているようにも思えたのです。

悲しい別れ

中学時代、私は常に孤独を抱えて生きていました。誰にも理解されない想い、心と体の不一致など、たった一人にでも相談できていたら、救われていたかもしれない。

けれど、話すことはできませんでした。

中学時代に思い出がないまま、高校に進学しましたが、ホイットニーが好きだという気持ちだけは変わらずに持ち続けていました。

しかし2012年の冬、彼女は浴槽で最期の時を迎えました。

それもたった一人で・・・。

日本でも大々的にニュースが流れ、私はテレビを見ながら泣きました。

生きる希望をくれた人が、とても悲しい命の終わりを迎えたことに、そして、同じく孤独の中にずっといたことに、深く傷つき、戸惑いました。

彼女も独りぼっちだったのだろうか。

ずっと、助けてと叫んでいたのだろうか。

そんなことを考えながら、私は涙を流すことしかできませんでした。

伝記映画の公開で

それから随分と月日が経ち、私はすでにアラサーと呼ばれる年齢になっていましたが、ホイットニーのことを忘れたことはなく、落ち込んだ時や、孤独の海に沈んでしまいそうになった時、彼女の声を聴き、勇気をもらっていました。

すると、2022年にホイットニーの伝記映画が上映されることが決まり、私は公開してすぐに、劇場に足を運びました。

ホイットニー役のナオミ・アッキーは、見事に彼女を演じ、小さな癖まで完璧に魅せてくれたのです。

映画を観終わった数日後、テレビから信じられない告知がされました。

「ホイットニーホログラムコンサート」という見出しと共に、彼女がステージで歌う姿が映し出されたのです。

この世にはすでに存在しないはずの人が、画面の奥で楽しそうに歌っている。

私は思いました。

もう二度とないチャンスだと。

これを逃したら、一生後悔するかもしれないと。

念願のホログラムコンサートへ

ホイットニーのホログラムコンサートが行われる日は、私の誕生日が近いこともあり、両親が誕生日プレゼントとして、コンサートに連れて行ってくれました。

会場もかなりの人が集まり、ザワザワしていると、照明が一気に落ちて、大きなドラムの音が鳴り響きました。

するとそこに立っていたのは、紛れもなくホイットニーだったのです。

トレードマークの大きな白いハンカチを手に持ち、楽しそうに伸びやかに歌う姿は、幼い頃に見ていた姿そのものでした。

見た瞬間から涙と嗚咽が止まらず、鳥肌を抑えることができません。

私の隣の人も、斜め前の人も、後ろの人も会場のほとんどの人が彼女の姿を見て、泣いていました。

啜り泣く声が聞こえてきたり、嗚咽を我慢している声が聞こえてきたり、それだけ彼女の存在が大きかったのだと思います。

もう二度と会えないと思っていた存在が、突然前に現れて、最高のパフォーマンスをしてくれる、こんな機会はきっと二度とないと思います。

走馬灯のように駆け巡る過去の記憶は、歌声と共に一つひとつ抱きしめられていくようでした。

孤独だった少女を、歌で救い続けてくれたプリンセスが、今度は大人になった私を抱きしめてくれている。

私は二度、ホイットニーに救われたような気がしました。

賛否両論ある中で

このホログラムコンサートには、賛否両論がありました。

「亡くなった彼女を使って、コンサートをしないでほしい。もう、そっとしてあげてほしい」という意見もありました。

肯定派も否定派も、どちらも彼女を好きな気持ちはきっと変わらない。

ただ一つ言えることは、会場にいたすべての人、そして私も含めてあの日のコンサートを忘れることはないでしょう。

そして、国を超えて時代を超えて彼女は愛され続けていることも、証明されたでしょう。

ドラッグの使用で声が出なくなったり、スキャンダルで過去の栄光さえも失いかけたこともありましたが、ただ純粋に歌を楽しみ、多くの人に聴いて欲しかった。それだけのことだと、私は思うのです。

そして彼女の歌に勇気をもらい、生きる希望を見出した人間も数えきれないほどいるでしょう。

かつて孤独で独りぼっちだった私は、ホイットニーの歌を聴き、人生は諦めてはいけない、きっとこの先幸せが訪れるはずだと思い続けてきました。

中学生の頃は、好きなアーティストの名前すら口にすることはできませんでした。だから、流行りの歌を覚えて好きなふりをしていました。

なるべく独りにならないように、輪の中からはみ出ないように。

けれど今は違う。

私は私の好きなものを、心から信じたものを胸を張って好きだと言えるようになりました。

ホイットニーが亡くなり随分と時間が流れてしまいましたが、これからも、私にとっては永遠のプリンセスであり、命の恩人なのです。

She will be my princess and “the Voice” forever.

 

 

 

 

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