さて、今回は月に一回の祭典、血祭り(Bloody Festival)について書いていこうと思います。
そしてなぜ、この話を書こうとしたか、それは私自身に血祭りがやってくると言うことで、猛烈にむしゃくしゃしていたからです。(ましゅぴ、その節はごめん・・・笑)。
世間一般では、まだまだタブー視されている話だと思うのですが、私は日常のありとあらゆるエッセイを書く人情派エッセイストとして、「これは書くしかない」と、謎の使命感を掲げて書くことを決意しました。
これはあくまで私の意見となります。
決して全ての女性がそうであると言うことではないので、オリエンタル納言限定の血祭り話として聞いていただければ幸いです。
あいつは突如、やってきた
子宮のあたりから、屈強な若人たちが大太鼓やら小太鼓やらを叩くように、ドコドコドコドコと、振動と音が響いてくる。
彼らとは長い付き合いなので、子宮が騒ぎ出したところで「そろそろですか?」と聞いてみると、「そろそろです」と言われたように、痛みと響きが交互にやってきました。
しかし、この痛みと刺激を一週間弱越えた先に、本番の血祭りがやってくるので、まだまだ序盤中の序盤なのです。
そう、これはリハーサルのようなもの。
太鼓の調子はどうなのか、音はちゃんと響いているのか、それぞれ呼吸を合わせて一心不乱に叩けているのかなどを確認し合っているような感じでしょう。
なのでまだ、耐えられる痛さであり、一日中叩かれているわけではないのです。
さて、ここで血祭りが近づいてくるとどんな現象が起こるのかを、簡単にご説明しましょう。
まさに私は、ジャンキーファイター
そもそも少食である私は、日頃のご飯の量は半分程度に収まっています。
今までの蓄積もあったので、一人前を食べてしまうと簡単にお腹はぶっ壊れてしまうのです。だから、食べる時には慎重に慎重を重ねているのですが、この血祭り付近には、とんでもなく暴食が止まらなくなるのです。
そう、私はポテトチップスやジュースが無性に欲しくなり、気がついたらコンビニに走って買いに行っています。
そしてさらに、ジャンクフードの定番『マクドナルド様』が無性に食べたくなり、気がつけば昼にはドライブスルーの列に意気揚々と並び、「ハッピーセットください」と定番メニューをスマイル120%で頼みます。
(あぁ、マクドナルドって何でこんなに美味しいんだよ〜!!)と幸せに満ち足りた表情を浮かべ、ペロリと平らげた後は、後悔の雨嵐に巻き込まれてしまい、「もう、次は我慢します・・・」と反省した姿を見せても、また忘れた頃にポテチを食べるという、まさに無限ループを繰り返してしまうのです。
これが魔のジャンクフード無双状態なのです。
さぁ、こうなった納言は誰にも止められない。いや、止められないのではない。止まらないのだ!!という古館さんの実況が聞こえてきそうなくらい、もう食欲が暴走しまくりなのです。
血祭り前夜
爆食期を迎え始めると、いよいよ血祭り前夜は静かに近づいてきます。
ここで、食欲以外にも起きてしまう内面の話にも少しだけ触れていこうと思います。
血祭り付近になると、気持ちの整理がつかずに色々なことにネガティブになったり、イライラしたり、まさに傍若無人という言葉がぴったりなくらい、荒れ狂ってしまいます。
例えば、普段ならサラリとかわせる発言も、鬼の形相で理詰めをしてしまうんです。笑
これは特定の人に限られてしまうのですが、主に『血祭り被害者の会 会長』のましゅぴ氏に被害が及んでしまいます。
後に「血祭り付近の私はどうですか?」と彼にインタビューをしたところ、どこか遠くを見つめながら「嵐が過ぎ去るのを・・・ジッと待っています」と答えてくださいました。
血祭りが過ぎてしまえば、その名の通り嵐が過ぎ去った後なので、穏やかな顔をして「あの時は、ごめんね」なんて言えるのですが、真っ只中の私には、そんなことを言う余裕というか、配慮は皆無です。(いやぁ〜本当に申し訳ない・・・)
しかし、ただ言いっぱなしもいけないと思った私は、我が家に革命的な血祭りにおける策を打ち出しました。
事前申告制度
出ました!!!!これが私の考えた事前申告制度。
説明しましょう。
これは血祭りの付近ではなく、今まさに幸せを体全体で受け止められている穏やかな日に、「あのね、血祭りが来たらイライラしてあたっちゃうかもしれないんだけど、今のうちに謝っておくね。ごめんね」という、なんとも画期的な制度なのです。
イライラの真っ只中にいる時に、謝れるほど私は穏やかな人間ではないので、当然、全てを忘れてしまったかのように完全無双状態に入ってしまうのですが、この事前申告制度を取り入れることにより、保険を張っておこうという魂胆なのです。
しかし、この事前申告制度がちゃんと機能しているかといえば、なんとも言えないところです・・・。
いよいよ血祭り前夜到来
さて、いよいよ血祭り前夜がやってきました。
完全に屈強な若人たちが肩慣らしではなく、本番を見据えたリハーサルを重ね、いつ血祭りが起きてもおかしくないように、ドンドコドンドコと太鼓を盛大に打ち鳴らしてきます。
本番さながらと言うこともあり、かすかに聞こえる尺八の音色も、まさに血祭りを今か今かと待ち望んでいる状況なのです。
そして当の本人は、子宮あたりをギュッと押さえながら、「おいおいおいおい!!!もう始まるぞ!これ、始まるやつだろ!!!!」と雄叫びを上げかけていますが、まだ本番ではありません。
この痛みの緊張と緩和、まるでアメとムチ的なものを交互にされている状況は、まさに修行なのです。
しかし、本番を子宮の中で待ち望んでいる彼らに、私の願いは全く届きません。
Bloody Festival 開幕
とうとう、この日がやってまいりました。
今まで長きにわたってのリハーサルの成果を出し惜しみせずに、一週間を全力で表現しようとするように、子宮の痛みはドンドン増していきます。
私の場合ですが、子宮あたりを拳でゆっくりと押せるところまで押し続けられている感覚があり、急に誰かがボンッと思いきりお腹を叩いたかと思えば、ギュインとお尻の方まで痛みがやってくる。
そしてここから二次被害である、メインイベント『頭痛行列』が始まります。
こめかみの方からトクトクと痛みを伝って、瞼を親指でギューっと押されているような痛み。もはやここまで来ると、痛みのフルコースなのです。
そして、忘れてはいけない血祭り必須アイテムのナプキンなのですが、冬場は多少良くても、夏場は地獄です。
まさに、下半身蒸し風呂状態。
ただでさえ暑いのに、蒸れて気持ち悪いし、暑いし、痛いし、もう何が何だかわからない状況が一週間ほど続きます。
しかし、1日、2日の正念場を越えれば、若人たちの疲れがやってきて徐々に治り始めるので、それまでは痛みのフルコースにただただ耐えるのみ。
それが何よりも地獄なのです・・・。
一週間を乗り越えて
この一週間は、本当に全てのことが嫌になります。
そして、どうしようもないことだけれど、ついつい子宮たちに語りかけてしまうんです。
どうして毎月、何一つ悪いことをしていないのに、血が流れていくのですか?
せめて頭痛は起きないようにしてもらえませんか?
下半身からギュインと痛みが突き上がる感覚を、いい加減やめてもらえないですか?
それともう一つ、地味に月のサニタリー用品にかかるお金、嫌なんですよね・・・。
なんてことを言ったとしても、そんなことは関係ないし、ただただ耐えるというまさに修行の一週間を乗り越えなくてはなりません。
そして思うのです。
「頼むから、早く終わってくれないかな」って。
私が思うこと
血祭りに関しては、それぞれの個人差があります。
私もかつては、痛みを感じることもなく、ただナプキンの不快さだけが嫌でした。
しかし、中には動けないほどの痛みを伴う人や、貧血で倒れてしまうくらいひどい症状に悩まされていた人も、何度も目にしたことがあります。
痛みは完全に個人差だから、伝えようとすることも理解してもらうことも本当に難しいと今でも思っています。
私も、夫と付き合いたての頃は、血祭りの影響で不機嫌になったり、急に体調不良を起こして傷つけてしまう発言をしたこともありました。
その度に「どうして理解してくれないの!!」と身勝手なことを思ってしまうこともありました。
しかし、落ち着いた時に考えてみると、経験したこともないことを理解してもらおうとしたり、話すこともせずに察してもらおうとすることは、間違っていると感じるようになっていきました。
だからこそ、私は彼に「血祭りの時は、申し訳ないけど当たってしまうから、ごめんね」と事前申告制度を導入したり、「血祭りが開催されている時には、とっても優しくしてください。割れ物を扱うように」とお願いしたこともあります。笑
今でも事前申告制度を忘れて当たってしまうこともあるけれど、血祭りの時は、他のことを考えられないくらい、痛みで頭の中が支配されることもある私にとって、「大丈夫?」とお腹をさすってもらったり、美味しいアイスを奢ってもらえるだけで、とても救われています。
全ての人がそうだとは、限りません。
血祭りの時には、一人にして欲しい人もいるでしょう。
私のように、優しく寄り添って欲しい人もいるかもしれない。
ストレス発散方法も人それぞれ違うように、血祭り時期の緩和方法も違うはず。
ただもしも、奥さんや彼女がいらっしゃるのなら、いつもよりもほんの少しだけ優しさゲージを多めにして接してもらえたら嬉しいです。
痛みを知ってもらうこと、今体の中で何が起きているのかを説明することは、本当に難しいことだと思います。
ある時は、子宮の中がどうなっているのかを全身で表現したこともありました。
大袈裟に痛みを分かってもらえるようにプレゼンしたこともありました。
経験したことのない人からすれば、どれだけ辛いものかを全て理解することは不可能だと思います。
そして、痛みに耐えている間、不快感を感じている間に優しい心を持って接していられるか、それも難しいところなのではないでしょうか。
理解してもらうことは、難しいかもしれない。
けれども知ろうとした先に、理解に繋がっていくと思うから。
最後に
今回、このテーマで書こうとするまでには、様々な葛藤がありました。
女性のデリケートな問題に触れていいものか。
けれども私自身も年齢を重ねるごとに、血祭りにおける辛さを感じていくことで、私なりに文章に書くことができたらと思い、今回書くことを決意しました。
血祭り当事者としては、相手にこの辛さを理解して欲しいと思ってしまう瞬間が何度もありました。
けれども、もしも逆の立場だったら、経験したことがないものを理解しようとしても限界があるし、当事者にも聞くに聞けない。そう思ってしまうでしょう。
これはあくまで私の個人的な意見なので、全ての人がそうであるとは限りません。ただほんの少しでも、「血祭りってそんな感じなんだ」とか「ちょっと彼女、奥さんに優しくしてみようかな」と思うきっかけになれたら嬉しいです。
その反対に、私もこれを書きながら「もう少しましゅぴに優しくしよう。辛い時は『優しくして〜!』とこれからも言っていこう」と再確認する事ができました。
このエッセイが誰かの心に届き、知るきっかけになる事ができたなら、心から書いて良かったと思えるでしょう。
小さな思いやりと優しさは、やがて大きな感謝に繋がるはずだから・・・。
ナイーブな私に勇気をください