いつもの日常なのに・・・

オリエンタル納言日常日記

桜の花が咲き、一面に桃色の景色を映し出していく。

花びらが地面に落ちてもなお、その美しさに見惚れたり、時には足を止めて小さな画面に記録として残す人もいるでしょう。

今年は特に冬の時間が長過ぎたせいで、余計に春の訪れを喜び、温かい陽気を全身で感じられるようになってきた。

この桃色の景色が自然と笑顔にさせ、幸福感が溢れていく。

そんな人たちを、ワタシもこの街を歩きながらたくさん見かけました。

友人とおしゃべりをしながら写真を撮り合う学生たち、桃色の景色に手を伸ばし、嬉しそうに語りかける家族、手を繋ぎどこまでも伸びていく桜並木をゆったりと歩きながら進んでいく恋人。

その姿を見ながら、「ようやく春がやってきたんだな」と思いました。

けれども、その景色が時に心の影をより濃くしてしまうこともあるのです・・・。

休日の桜祭り

ワタシの地元でも、毎年恒例の「桜祭り」と呼ばれるお祭りがありました。

コロナ禍では自粛を余儀なくされ、お店も出ておらず、桜が寂しく咲いていたのを覚えています。しかしコロナが明けて、ようやくキッチンカーや出店などが辺りを埋め尽くすほど並んでいました。

桜は満開で、桜祭りも残すところ2日ということもあり、この日は特に人で溢れかえっていました。この日ワタシは、両親と彼の4人で祭りに行きましたが、あまりの混雑のせいで何も買うことも食べることもできずに、結局桜だけを見て帰ることになったのです。

「明日で桜祭りも終わりだねぇ。日曜日だから、きっともっと混むかもしれないなぁ。でも、今年は何も買えなかったらか、来年はリベンジしようかな」

「そうだね!納言ちゃんとお母さんはベビーカステラを食べたがっていたもんね。笑」

「そうそう。来年こそ、絶対に買う!」

「来年もまたみんなで行きたいね!」

平凡な日曜日に

次の日の朝は、昨日よりも晴れていてお花見日和となっていました。日曜日ということもあり、余計に人で溢れていたのではないでしょうか。

いつものように彼は仕事に出かけ、そしてワタシは部屋でゴロゴロしながら過ごしていました。

夕方になり実家に戻ると、昨日行った桜祭りの話でもちきりになったのです。

父と母も少し残念そうに、「出店で食べたかったなぁ」「べビーカステラが食べられなかったのが残念」と言いながらも、一緒に行ったことを喜んでいました。

夜の20:00を回った頃、いつもであれば「今から帰るよ」と彼から連絡が入ります。しかし、この日は少し遅れて電話がかかってきたのです。

「もしもし?納言ちゃん、あのね、人身事故があったみたいで電車が止まってるみたいなんだ。だから、別の駅から行こうと思う」と。

繰り返される悲劇

4月に入ってから、人身事故はこれで2度目でした。

彼を別の駅まで迎えにいくと、同じように迎えに来たであろう車でごった返していたのです。幸せそうな景色をよそに、見知らぬ誰かが命を投げ人生を終わりにしたことで。

次の朝スマホを見てみると、なんと同じように人身事故が起きていました。

立て続けに2日連続で起きたこの現実に、ワタシはショツクを隠しきれませんでした。

桃色の景色で幸せを感じる人がいるのと反対に、悩み、苦しみ、負の感情に引き込まれてしまう人もいるんだと、そう思ったのです。

地面に落ちて何度も踏まれた桜の花びらのように、変色し、破れ、跡形もなくなってしまうみたいに・・・。

ハルの闇

春になると、なんだか勝手に幸せな気持ちになったような気がします。それは、温かさから来ているのか、それとも桃色の景色がそうさせているのか分かりません。

ただ、冬の間に溜め込んでいた心の闇が明るい景色を見たり、幸せな人たちを見たりすることで、一気に孤独の感情として押し寄せてくるのかもしれません。

4月は新しいことが始まる季節です。

新学期や仕事、色々なことが一からスタートになります。そのプレッシャーなのか、不安なのか、それはその人自身にしか分かりません。

かつてのワタシもそうでした。

春になると途端に、心が重くなっていくような気がするんです。

温かくて、幸せそうで、その中に入れない孤独感が辛くて仕方がなかったから。

その心の重さに耐えきれず、名前も知らない誰かは、最後に命を絶つ選択をしてしまったのでしょう。

悲しき人身事故

あまりにも「人身事故」という言葉を見聞きしすぎてそれほど驚かなくなってしまい、ましてや自分の仕事や約束事に影響が出てしまったら同情できなこともあるかもしれません。

「辛かったね」ではなく、「どうして電車なんか選ぶんだ」と。

ただ、少しずつ時代が進むにつれて人身事故や別の方法で自ら命を絶ち、人生を強制終了させる人が増えているような気がするのです。

今までは気にしなくていいことが、時代と便利になり過ぎた世の中のせいで、生きづらさを加速させているような気もしてしまうのです。

そして最後には、一瞬で楽になるかもという微かな期待をもち、線路の中へ吸い込まれていくのかもしれません。

孤独を背負い込まないで

どれだけ幸せそうにしている人でも、心の奥底にしまってある悲しみはあると思います。

綺麗な景色と共に、「どうして私ばかりが・・・」「なんでこんなに上手くいかないんだ。他の人にはできているのに」なんて思うこともあるかもしれません。

疎外感を感じ、夢も希望もない未来に絶望感すら抱いてしまうかもしれません。

人の心はきっと、桜と同じような気がするんです。

一年を通して、ずっと綺麗な桃色の花を咲かせることはできません。

夏には緑色の葉っぱをつけ、それが秋になるとゆっくりと落ちていき、冬になれば何もない状態となり、誰にも見向きもされずにただ過ぎていくのを待つばかり。時には毛虫のような害虫とも向き合わなければいけない。

あらゆる試練を乗り越えて春になり、美しい花を咲かせ、人々を魅了するような桃色の景色を作り出すのだから。

 

 

ナイーブな私に勇気をください

  1. TK1979 より:

    いつもの日常を読んで

     『人身事故』と言う言葉が、私の闇の部分に影響を与えたようです。しかし、こうして感想コメントを書いて客観的に自分を見つめる心のリリース(解き放つ)広場があることじたい幸せを感じます。
     (消去)
     今尚、毎日のように訪れる◯への誘惑に誘われることなく、人生を全うしたいものです。ありがとうございます。

    追記 客観的に自分を見つめるこどができたので、肝心な感想部分は消去しました。わかりづらくてすいません。

    • いつも読んでくださり、ありがとうございます。
      ワタシも最近「人身事故」という文字を見るたびに、なんだか心がざわつく感覚に襲われます。
      何気ない日常、当たり前の1日に突然現れる大きな代償。その代償があまりにもおおすぎて、少しずつ非日常な出来事が日常的な出来事になりつつあることに恐ろしささえ感じてしまうのです。
      心の闇は、いつどこで自分に影を落とすかわかりません。
      もしも、その闇の部分を少しでも軽減してくれる人がいたら。
      もしも、心の傷を癒してくれる人が1人でもいたら・・・。
      そんなことをつい考えてしまいます。
      誰しもふとした瞬間に訪れる悲しみの連鎖がなくなることはないですが、今よりも多く、そして増えていかないことだけを願うばかりです。

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