今日のワタシは荒ぶっていました。
もうそれはそれは荒ぶっていたし、腹が立ちすぎて、ベッドに横になりながら、「なんで、頭痛になるんだよ!頭痛持ちってなんだよ。いつワタシが持ち歩く選択をしたよ!いい加減、治ってもらっていいですか?いい加減落ち着いてもらっていいですか?てか、薬が効かないなら、薬なんて名前やめてラムネに名前変えろや!」といった具合に、それはそれはもう、怒り狂っていました。
基本的にInstagramの世界だけでも、涼しげで穏やかな納言みたいな雰囲気出していますが、たまに出てしまうのです。
ストレスのキャパが超えた時、誰も止められないほど饒舌に文句が止まらなくなる、もう一人にワタシが・・・。
何が悲しいって、ましゅぴが仕事に行っている間、この愚痴を、怒りを、痛みを吐き出す場所がなくなってしまうことなんですよね。
ベッドの上にいる可愛いぬいぐるみに、暴言を聞かせるのも申し訳ないけれど、タオルケットをキュッといや、握りつぶす勢いで痛みに耐えていたあの日、そんな余裕はありませんでした。
そしてワタシは禁じ手を使ってしまったのです。
ストーリーに頭痛への宣戦布告文を出すことを・・・。
収まらない(治らない)怒りと痛み
あの文章を打っている時、もはやワタシは完全にハイになっていたでしょう。
「オラの痛み!!届け!!」なんて気持ちでは打ってはいないけれど、書いていないと気が済まなかったんでしょうね。
両側からこめかみに向けてビート刻まれて、韻踏まれて、誰かがボイパして、「さぁ、そろそろ歌うぜぇ!!〜」みたいな軽快なステップ踏みながら、観客を沸かせようとしているこの痛み、こちらサイドは「お願いしますから。静かに、静かにしてもらえませんか」なんていうんですけどね、頭痛サイドは「いやいや!夏でしょ!歌でしょ!爆上げでしょ!!!」なんて聞く耳なんて、まるで持っちゃいない。
もうボルテージは最高潮だし、ワタシの話も聞いてないし、もちろん薬なんて全く効いてないし、地獄のリサイタル始まりますよね。
タオルケットの形状が歪みに歪むほど、痛みに耐えているところに、急に耳の奥から新メンバー耳鳴りがやってきて、会場の盛り上がりはもう、誰にも止まらない。
ワタシの首がヘボいんか、それとも肩がガッチゴッチステーションなのか、それとも、嬉しそうにアイスを食べてしまったからなのか、それはもう、誰にも分からないんです。
しかし、頭痛の恐ろしさはここが最高潮ではなく、あくまで序章。
頭痛は知っています。
ずっと痛みを連続的にするのではなく、ある一定のところでフッと軽くなり、一気に叩き落とす快楽を。
夏の頭痛フェスティバル2023 INベッド
頭の中では神様にお願いするほど、追い詰められてました。
「神様、すみません。この痛みなんとかしてもらえませんか。昼間から旦那が働きに出てるのに、アイスなんか食べてすみません。旦那のパンツを足で拾っちゃってすみません。夏休みの子どもたちみたいに、いい大人がゲームしながらゴロゴロしてすみません。心入れ替えるんで。改心するんで。『お仕事お疲れ様!ご飯用意してあるよ』なんて言いながら、労いの心持っていくんで。どうにか、どうにかこの頭痛収めてくれませんか」
すると、ワタシの願いが届いたのか一瞬ピタッと痛みが消えたんです。
そこで感謝しとけばよかったんですけど、痛みが去ると、人間さっきまでの懇願してた気持ちなんてすぐ忘れて、「なんだよ。ようやく薬が効いたんじゃん!本当にいい加減にしてよね」なんて悪態ついたもんだから、神様の怒ってしまったんでしょうね。
「えぇ〜神です。業務連絡します。全頭痛に告ぐ。今から夏のサマー頭痛フェスティバルを開催いたします。すべての神経たちは、こめかみに全集中しなさい。ビート刻んでもよし、眼球の裏側でドラムしてもよし。シャウトしてもよし。盛大に盛り上げろ!!!!全力でこの頭痛フェスティバルを盛り上げろ!!!!」と言った瞬間、頭痛付近の神経たちはうぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!と雄叫びと同時に暴れ始めました。
そう、ワタシはこの時、終わったと悟りました。
耐えるとはなんだ
そこからはもう、地獄のサマフェス開催だったので、もう動けないし、涙は出るし、あくびは出るし、眼球は取りたいし、頭も取り外したい。
痛みが後頭部の付近で大暴れしている状況は、まさに地獄以外の何者でもありません。
あれだけお祈りしたのに、懺悔したのに、(そういえば、お腹壊した時とか、小さい頃はよく神様に謝ってたなぁ。結局効果なかったけど)とか悪態をつけばつくほど、痛みがえぐい角度から押し寄せてくる。
もはや乱闘騒ぎになってやいませんか?と聞きたくなるほど、頭の中では大暴れでサマフェスを楽しんでいるんですよね。
痛みが凄すぎる時、人はもしかしたら悟りを開くかもしれません。
ワタシもこの時、あまりの痛みで悟りを開き始めていました。
頭痛が治ったら、まずは深呼吸してココアでも飲もうかな。
今まで優しくなかった自分だけど、ちょっと誰かに優しくしようかな。
そうだ、旦那のために美味しい料理をいつもよりも頑張って作ろうかな。
両親にも親孝行したいな。
義両親にも親孝行したいな。
友だちにも「友だちになってくれてありがとう」って伝えたいな。
そんなことを考え始める時は、痛みが最高潮にスパーキングしている時です。
そんな気持ちなんて、痛みが消えたら記憶喪失になるくらいどこかに行ってしまうのって、不思議ですよね〜。(ワタシだけか・・・)。
実に5時間以上も痛みに耐え続けてい結果、今までの感謝が口に出て、なんか悟りを開きを始めたんです。
鎮痛剤に忠誠を
以前にも書いていたのですが、鎮痛剤を手放せなくなってから、確実に鎮痛剤依存になってしまいました。
財布よりも携帯よりも1番大事なのは、鎮痛剤。
鎮痛剤がなければ、1日を元気に軽やかに、そして明るくスキップをして過ごすことはできません。
カバンの中には、何錠もぎゅうぎゅう詰めに入った薬が、おしくらまんじゅう状態で飲まれる時を待っています。
もちろん家にも、かなりのストックがあります。
頭痛外来からもらったもの、市販薬、肩こり用、血祭り用。
ありとあらゆる鎮痛剤が薬箱でスタンばってるんです。
しかし今回、何を思ったのか薬を飲まずに少し頑張るということをしてしまったのです。
「これから脱鎮痛剤を掲げていこう」なんて思っていましたが、公約を守らない政○家並に、ワタシは約束を守れずに鎮痛剤に手を伸ばし、どうしようかと迷っている間に、痛みのスコールがやってきて、飲み込まれてしまったんです。
薬を飲み遅れてしまったら、もうこれは激痛確定なんです。
ということで神様に願っても、薬を飲んでも、何をしても全く無効化のまま地獄の数時間を過ごすという修行みたいなことをせざるを得なくなってしまいました。
そしてここでもワタシは悟ったのです。
脱鎮痛剤を掲げたけれども、これだけ痛くなるんだったら飲んでいこう。不穏な雰囲気出たら飲もう。鎮痛剤さん、いつもほんとにありがとうございます。
優しさに泣いた
ということで一連の地獄の時間を過ごしていたワタシに、まさにフォロワーさんという救世主たちが現れたんです。
もはやいつも格好つけて、それっぽい顔して立っていたワタシですが、昨日の痛みにはどうしても耐えられず、沸々と誰にも向けられない怒りをストーリーにぶつけました。
すると、「ワタシも同じ頭痛持ちです」とか「こんな方法がいいですよ」とか、「ここのツボを押したらいいよ」と画像まで送ってくれる人もいる、あるいは体験談を交えながら「よくなるといいですね。もしも、また何かあったら教えてください」なんて言ってくれる聖人まで現れる。
この時は流石に、世の中捨てたもんじゃないな。
神様はおらんけど、優しい人で溢れていたよ。
ありがとう、みんな。
頭痛には愛想が尽きてたけども、人の優しさに触れられるって、いい世界だな。
ほんと、ラブ&ピース。
なんて思いながら、一つひとつ読んで、画面越しで頭を下げて、心の中でも感謝していました。
頭痛と恋とロキソニン
頭痛持ちは、側から見たら全くわかりません。しかも、天気に左右されたり、季節に左右されたり、ストレスに左右されたりで、左右されすぎるほどの辛さがあります。
痛みに耐えている間、頭痛のことが頭から離れないし、心臓も痛みのあまりバクバクしてくるんです。「これって恋なんかな」とか思ってしまうほど、考えれば考えるほど胸が苦しくなってしまう。
そして重度の頭痛持ちのワタシは、すでにロキソニン先輩は効きません。
薬の中でも中々強いセデスハイ部長に頼り、頭痛外来専用の頭痛薬役員の薬に頼り、そして最終形態である、注射を勧められている状態です。
一本打つのに1万円以上もする注射を、無職のワタシが打つなんて、生活が終わるわ!!と怒り狂いそうになるけれど、それほどきつい頭痛と日々闘っています。
そして今回分かったことは、同じ頭痛持ちの人が大勢いること。
そしてその人たちも、あの地獄と共に闘い続けている勇者だったということ。
今回このエッセイを書いたのも、怒りをぶつける矛先を見つけるためというのもありますが、目には見えない頭痛は、生活支障が出てしまうほど辛いということを、知ってもらうためでもありました。
そして、少しでも「共感してもらったら嬉しいなぁ。いつか鎮痛剤のCMワタシにこんかな」みたいな甘ったれた考えもありましたが、そうでも言っておかないと、痛みでおかしくなってしまいそうなんですよね。
もしも、身近に頭痛持ちの人がいたら、その時はそっと優しさを渡してあげてください。
痛みに悶絶している時は、ホットタオル、あるいはアイスノンがいい人は、アイスノンを首に添えてあげてください。
痛みを言い訳にするつもりはないけれど、目の前がピカピカしたり、音がいつも以上に爆音に聞こえたり、もう全ての音も光も遮断したくなるほど、痛い時があります。
息をするのだけでも、トクトクビート刻んでくる時もあります。
見た目だけでは「あの人は頭痛持ちかな?」なんて分からないからこそ、せめて身近にこめかみをグリグリしながら俯いてる人がいたとしたら、優しさをロキソニン代わりに渡してくだはち。。
その愛は、思いやりは、何よりも特効薬になるはずだから。
そして絶対に「またかよ」なんて思わないでください。
昔元彼に「毎日毎日頭痛いとか、嘘だろ」と言われたときには、鼻からロキソニンをぶち込んでやろうかと思ったし、今でもしっかり根にもって恨んでます。 笑
そして全国、いや世界中の頭痛持ちの皆さん。
本当にあの苦しみは痛いほど分かります。薬に頼りすぎるのも、もちろんいけないけれども、無理をせずに、体を最優先にしてほしいと思います。
この怒り頭痛エッセイが、少しでも何かの役に立てば嬉しいです。
そして怒りが溜まった時には、また書こうと思います。 笑
こんなくだらないエッセイを書くのも、たまには、いいかな・・・。
ナイーブな私に勇気をください
頭痛と恋…を読んで
私はニコチン依存症から抜け出すために発想の転換と言うか、考え方を少し逆転させました。
『イライラするからニコチンを吸って落ち着くのではなく、ニコチンが吸いたいがために自らがイライラさせている』と考えました。
そう考えると気持ちが100文の一ミリ、気楽になりました。
頭痛は病気ですので発想の転換をしてもなんら変わらないと思いますが、一ミリでも気休めになれば…
『頭が痛いから鎮痛剤を飲むのではなく、鎮痛剤が飲みたいがために自ら頭痛を起こしている』
とんでもない勝手な考え方なので、お許しくださいね。
辛さがよく伝わり、わかりやすいエッセイです。
いつも読んでくださり、ありがとうございます。
「頭が痛いから鎮痛剤を飲むのではなく、鎮痛剤が飲みたいから自ら頭痛を起こしている」この言葉が妙に腑に落ちたような気がしました。
初めは頭痛を抑えるために飲んでいた薬も、今では痛くなる前に怖くて飲むことが増えてしまったような気がします。
ニコチン依存から抜け出すことも、本当に大変だったと思いますが、その努力と考え方は、とても素敵です。
依存することは簡単だけれど、抜け出すことは本当に難しいことですよね。
今まさに、ワタシは向き合わなければならない現状と向き合い始めたような気がします。
素敵な言葉を、ありがとうございました。