人生貯金を貯める日々

オリエンタル納言日常日記

皆さんは、人生貯金という言葉をご存知ですか?

これはワタシの父が作った言葉なのか、それともどこからか聞いて使った言葉を教えてくれたのか、それはいまだに分かりません。

しかし父は、ワタシが幼い頃からよく「人生貯金はとても大切だから、ちゃんと貯めておくんだよ」と言っていました。

さて、人生貯金がなんなのか。

それを今日は書いていこうと思います。

心遣いの貯金箱

人生貯金とは損得勘定を考えず、困っている人や助けを求めている人に手を差し伸べることだと、ワタシの父は言いました。

それは身近な人ならもちろん、見ず知らずの人でも分け隔てなく行うことだとも言われていました。

だから幼い頃は、駅や街で困っている人を見かけると、「大丈夫ですか?」と声をかけ、手伝えることがあれば力を尽くす努力をしていました。

それを父に話すと「そうか!偉かったな。これでまた貯金が貯まったぞ」と言いました。

人生貯金が貯まると一体どんなことが起きるのか。

ある時「人生貯金を貯めたら、どうなるの?」と聞くと、「納言が困っている時、今度は誰かが手を差し伸べてくれるんだよ。銀行は自分でお金を引き出すことができるけど、人生貯金は、自分では引き出せないんだ」

「どうして?」

「それは、貯金屋さんが毎日『あの人はちゃんと貯めているかな』って見ていて、いいことをすると、代わりに徳を貯めておいてくれるシステムなんだよ。それで納言が困った時には『困っているから助けてあげよう』って少しずつ引き出してくれているんだ。だから、良いことをしていても、悪いことをしていても見られているんだぞ」と言っていました。

ただ当時はまだ小さかったこともあり、言っていることはなんとなく理解はできるけれど、不十分で、あんまり信用もしていませんでした。

むしろ行動を見られていること自体が、少しだけ怖くも感じていたんです。

大人になると忘れてしまう、あの気持ち

それから少しずつ成長するにつれて、人生貯金のことは頭から抜け落ちていくようになりました。

知らない人に声をかけたりすることもなくなり、困っている人と出会う機会も少なくなってしまったのかもしれません。

だから、幼い頃に言われ続けていた人生貯金は貯まるどころか、どんどん減っていってしまいました。

それはきっと、純粋な心を忘れて、自分だけのことに必死になり過ぎていたことも原因の一つでした。

昔は心が柔軟で、どれだけ嫌なことがあったとしても、誰かに対して思いやりの心や、優しさを持つことを忘れませんでした。

困っている人がいれば、もちろん全力を尽くしたし、少しでも変化があれば駆け寄って助けようとしたこともありました。

でもそんなこともせずに、自分ことばかりを考えているせいで、いつの間にか視野が狭くなり、周りを見渡すことも、誰かに優しく接する気持ちも、忘れていくようになってしまったのです。

仕事を辞めて、思い出したのは

仕事を辞めてから、ふと人生貯金の話を思い出しました。

そしてなんとなく頭に浮かんだのは子どもたちのことだったんです。

純粋で優しく、損得勘定も考えないまま、困っている子がいたらサッと駆け寄っていたあの子たちのことを。

とても優しく広い心を持っていた子どもたちのことを、なぜだか思い出していたんです。

子どもたちは無意識に周りを見ながら、正しいと思ったことをまっすぐやり通していました。

その姿は、大人のワタシからしたら到底真似できるものではなかったんです。

そしてその時に初めて、父の言っていた意味が分かったのかもしれません。

人生貯金という言葉を借りて、「損得勘定は抜きにして、困っている人がいたら力になることが大切であり、その行為はいつか自分にも返ってくる」ということを。

自分自身の人生を生きていく中で、とても大切なことだと父は伝えたかったのかもしれません。

人生貯金を再開して

もうすぐ30歳になろうとしていますが、ようやく本当の意味を理解し、また新たに人生貯金を貯めることにしました。

そしてまずできることは、身近にいる人たちから大切にしていくことだと決めたのです。

当たり前のことかもしれないけれど、それを直視して、実行して、続けることはとても難しいことだと思うから。

目の前にいる人に心を遣い、そして少しずつ視野は広がってゆく。

それをようやく今になって、学び始めているのかもしれません。

きっとワタシの人生貯金残高は、ゼロに等しいと思います。

少しずつコツコツと貯めながら、徳を積んでいこうと思うのです。

大切な人たちを想って、そして視野を広げて、周りを見つめて、生きていくと決めたから。

ナイーブな私に勇気をください

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