最近ワタシの周りで少し嬉しいことが起きています。
元々保育士だった頃、子どもたちに会える事が1番の楽しみであり、生き甲斐でした。
そしてどれだけ辛い現実が目の前にあっても、体を壊していたとしても、子どもたちの笑顔の前では、全てを忘れてしまうほどの力がありました。
もう残されているはずもないエネルギーは、どこからか湧いて出てきて、「今日も頑張ろう」と原動力へと変化する。
だからこそ、体が悲鳴を上げていようとも無視をして、職場に通い続けていました。
もう少し、もう少しと言い聞かせるようにしていたんです。
そんな生活はある日突然終止符を打ち、今現在は仕事もせずに夢を追いかける夢追い人として生きる道を選んでいます。
でも、子どもたちのことを忘れたことはありません。ふとした瞬間に楽しかった日々が映画のワンシーンのように思い出されるんです。
そして「もう一度だけ、会いたいな」そう思い、少し寂しさを覚える時もあります。
しかし最近、ばったり子どもたちに会う事が増え、今でも「なごん先生!!!」と名前を覚えてくれていたり、学校の話、保育園での話を聞かせてくれたりが何度かありました。
その度に、ワタシは保育士になって本当に良かったと噛み締めています。
仕事に行かなくなってから、彼はワタシに言い続けたことがありました。
「思い続けていればきっと、子どもたちに会えるから」と。
その言葉通り、神様が見てくれているのか、何かの偶然で会えているのか、そんな嬉しい事が続いているんです。
繰り返される記憶
しかし、楽しかった記憶ばかりではありません。
思い出されるのは、幸せだった頃よりも、やっぱり辛いことの方が多くありました。
誰かの言葉に怯えて、視線に震えて、そして気を遣いながら、様子を探りながら働いていたあの頃は、今でも鮮明に映像として残り続けているのです。
それはきっと、辞めてからまだ時間が浅いからなんだと思います。
それでも不思議なことに、記憶はいつか美化されていくものなんです。
小学生の頃は、ひどいいじめに遭っていました。けれどもその記憶も今では薄らいでしまっています。思い出されるのは、大好きだった校長先生と唯一優しかった2年生の頃の担任の先生のこと。
過去にどんなことを言われて、どんな思いをしたのか、想像するには随分と時間がかかってしまうようになったのです。
時の流れは恐ろしく、どんなことでも忘れてしまいそうになるんです。
それが嫌なことならいいのですが、良いことも同じように忘れてしまいそうになる。
大好きだった祖母の声を正確に覚えているかと聞かれれば、もはや思い出すことは難しくなってきています。
二人で歌った思い出の曲に、一緒に行った場所、かけてもらった言葉はいつまでも残り続けているけれど、大好きだった笑い声や歌声、そして香りはいつしか記憶と共に薄らいでしまいました。
だからワタシは定期的に、思い出すようにしているんです。
どんなことも美化されてしまわないように、記憶から抜け落ちてしまわないように。
両方の感情を
幸せだったことだけを覚えていては、何かをする原動力は薄れてしまうような気がします。
だから嫌なことも定期的に思い出すようにしているんです。
あの時言われた言葉だったり、言動だったりが美化されないように、記憶が美しくなってしまわないように。
楽しいことだけが毎日起こり、幸せだけを感じて生きてしまったら、ワタシはエッセイを書くことを選ばなかったでしょう。
今まで伝えられなかった思いは、一体どこにぶつければいいのだろう。
悔しかった感情を伝えるには、どうしたらいいのだろう。
同じ気持ちの人は一体、どれだけいるのだろう。
そんなことを昔はよく考えていたんです。
話し相手がいなかったから、聞いて欲しい時に誰かに相談することも出来ませんでした。
言われたまま心の中に傷となって残され、そしていつの間にか自然と治癒していくのを待つことが、ワタシには出来なかったんです。
心の傷は何層ものかさぶたとなって、剥がれてはまた出来るのを繰り返しました。いつしかそれが原動力になり、伝えたいという気持ちへと変化していったんだと思います。
時折思うのです。
どんなことも記憶が曖昧になり、美化されていくことが怖いんだと。
喜怒哀楽があるのなら、その記憶のまま留めておくことも、時には必要なんだと。
忘れないように
どれだけ悲しかった出来事も、忘れないようにしていたとしても、記憶はやっぱり美化されていくんです。
当時のままの怒りを留めておくことは出来ません。
だから美化される前に、ワタシは文章として書き残すことに決めたのかもしれません。
大切な人が亡くなった時、誰かとの別れを経験した時、直後の悲しみと数十年経った時の悲しみの度合いはきっと違うでしょう。
そうやって悲しみというものを、時間をかけて忘れようとしているのかもしれません。
どれだけ嫌な別れ方をしても、良いところばかりが浮かんできたり、嫌なところもあったけれど、楽しい記憶の方が思い出されるのも、きっと記憶が少しずつ美化されているような気がするのです。
とても良いことだけれど、少しだけその感覚に恐怖を覚える事もあるんです。
本当に忘れてはいけないことまでも、美化されてしまうんじゃないかって。
心に留めておかなければいけないことまで、記憶が曖昧になってしまうんじゃないかって。
一番怖い事は、良い事も悪いことも記憶の曖昧さに委ねて、美化されることに慣れてしまう事なんじゃないかと思う時があるのです。
悲劇の物書きとして
今まで300本以上のエッセイを書き続けてきましたが、そのほとんどは悲しい出来事ばかりでした。
ある時には「そんなに悲しいことばかり書いて辛くならない?」と聞かれたことがありました。
けれどもワタシにとって書くことは、過去の気持ちや記憶を美化することなく向き合う手段だと思っています。
あの時の気持ちを忘れてしまったら、きっと書くこともやめてしまうでしょう。
今までの29年間、辛いことばかりを経験してきました。
その度に、「どうしてワタシばかり」という気持ちが芽生えなかったわけではありません。
けれどもきっと、文章を書き、美化することなく書き留めることがワタシに与えられた使命なのかもしれません。
辛さに大小もなければ、人と比べるものでもない。
けれどもワタシ自身が経験したことの中で、語れるネタがあるのなら、書き続けようと思うのです。
きっと美化されることなく届けた想いのいくつかには、寄り添おうとする気持ちが入っているような気がするから。
過去の自分に語りかけるように、そして、同じ苦しみを味わい、記憶が美化されることを待つことしかないと感じている誰かのために、書き続けていきたいと思います。
最後に
今まで沢山のことを書いてきました。
決して楽しい人生ではなく、苦難が多い人生でした。
もしも相談相手がいたら、友人がいたら、助けてと言えたら、今とはまるで別の人生を歩んでいたでしょう。
世の中には、ワタシなんかよりもっと辛い経験をしている人がいるかもしれない。
今まさに苦しみの中で、もがき続けている人もいるかもしれない。
けれどもその気持ちはいつか、大きな糧になることを忘れないで欲しいのです。
苦しみの真っ只中にいる間は分からない感情だけれど、乗り越えた時、その現状と向き合った時、きっと別の見え方をすると思うから。
そしてその気持ちは、決して忘れないで欲しいのです。
痛みを味わった分だけ、人の痛みが分かるはずだから。
どんなことでも経験してみないことには、見えない景色がある。
それはきっと、感情だって同じことだと思うから。
苦しんでいる状況を代わる事はできないけれど、分かち合う事はできる。
人はそうやって寄り添いながら生きていくのだと、ワタシは思うんです。
ナイーブな私に勇気をください