ワタシを隠した心の殻

保育士時代の体験談・過去のトラウマ

随分昔からワタシにはとても分厚く、そして脱ぐことの出来なかった殻がまとわりついていました。

信じていた人たちに裏切られて、また信じてみようと一歩を踏み出し、また裏切られる。

そのたびに一層、二層と殻に閉じこもるようになっていきました。

人間不信という言葉では片付けてはいけないような気がするほど、どんどん分厚くなっていく殻の中に入るようになっていったのです。

信じる気持ちを捨てて

子どものころから人は簡単に嘘をつき、自分に利益があるものになびくことを学びました。

昨日までの友人は、明日になれば赤の他人になっていることがある。

言葉の行き違いで誤解が生じていても、そのことには触れずに、嘘が真実となって一人歩きしてしまうこともある。

だから言葉を重ねれば重ねるほど、誤解が生まれることは増えていくし、どれだけ相手を思い、態度に示したとしても、相手の気分一つで心の中に大きな傷を残してしまうことだってある。

そんなことを繰り返していくうちに、ワタシは少しずつ心を開くという作業をやめました。

自分を守るために、傷付かないようにするために。

そうでなければ、いつか自分が壊れてしまうから。

そうして歪んだ心は、少しずつ信じる気持ちを忘れて、疑う気持ちも捨てて、何も考えずにその日を生きることだけに一生懸命になっていったのです。

裏切りの連鎖は

大人になれば少しは状況が変わっていくと、微かな希望を抱いたこともありました。

色々なことを経験した人たちがいて、気持ちを分かり合える仲間がいて、そして自分自身の心もさらけ出せることができるのだと。

しかし、子どもの世界よりも大人の世界の方が、窮屈だったんです。

きっと、みんなが生きることに必死だったのかもしれません。

生きるために、誰かを生かしていくために、社会の波の中へ放り込まれて、その日を一生懸命くらいついて生きていく。

表向きでは優しいふりをして、心の底では正反対のことを思い、じわじわと姿を表していく。その姿を目の当たりにするたびに、また一つ殻を作って閉じこもるようになりました。

社会人になってからは、大人の汚さを嫌というほど味わってきたんです。

綺麗事なんかで済ませたくはないけれど、「どうしてもっと、優しい心を持てないのだろう」とか「どうしてもっと、相手の気持ちを考えずに話を進めてしまうんだろう」そんなことを日々考えて、頭を悩ませることも多くありました。

いつしか信じる心なんて捨てて、顔につけられたお面のようなものと向き合う生活をしていくようになったんです。

誰かに心の内を話すことは、できませんでした。

何層にも重なり合った殻を破ってまで、話をしたいと思う人も現れませんでした。

いつも何処かでもう一人のワタシが言うんです。

「こんな世界に期待したって何になるんだ」って。

「もう諦めなよ。みんな自分のことで必死なんだ。だからもう希望を持つことも、信じようとすることもやめた方がいい。それは自分にとって、何一つプラスなんかにはならないよ」と。

そしてワタシは、その言葉にこう答えます。

「わかったよ。もう、殻から飛び出そうとなんてしないから」と。

痛みを抱えた人と出会い

夫と出会った時、彼は自分のことを一度も話したことはありませんでした。

けれどもどこか、似たような心を持っているような気がしていたんです。

同じように分厚い殻に閉じこもっている、そんな気がしたんです。

付き合い初めの頃、大きな喧嘩をしたことがありました。

そしてその喧嘩がきっかけで、彼の心の中を覗くことができたんです。

小さいころから、ひとりぼっちだった事。

子どもではなく、小さな大人として生きてきたこと。

心の中はずっと「寂しい、ひとりにしないで」と助けを求めていたこと。

全てを聞いた時、ワタシは自分の殻が一枚ずつ剥がれていくことに気づいたんです。

「この人なら、気持ちを理解し合えるかもしれない」と。

しかし彼は、今でも自分のことをあまり話しません。ただ、それは話し方がわからないだけなんだと思います。

ずっと隠し続けてきた心を、出す方法がいまだに分からないのかもしれません。

だからこそ私たちは、一緒に殻から抜け出す方法を探り合い、そして、時には涙を流しながら、言葉に出してこう言うのだと思います。

「ずっと寂しかったんだ」って。

心の殻を脱ぎ捨てて

全ての殻を脱ぎ捨てることは、今でも出来ていません。

ただ昔よりも、お互いに自分の心の中の話をするようになりました。

ずっと見つけて欲しかった気持ちや、感情、そして孤独を。

それを一つひとつ丁寧に剥がしながら、伝えようとしています。

そして彼と出会い、ワタシは一つ知りました。

人は何かしらの孤独を抱えていて、それを分からないようにするために、何層もの殻を作り上げているということに。

今まで見てきた人たちも、もしかしたら何かしらの孤独や、寂しさを抱えて必死に隠してきたのかもしれない。

そしてその出し方を間違っていたのかもしれないと。

だから私たちは、今でもぶつかりながら、孤独を埋める作業をしています。

一番寂しい人は、孤独を分かち合うことも、誰かに聞いてもらうこともできずに、自分を見失い、ただただ感情のままに誰かを傷つけて自尊心を保っている人だと思うのです。

人は完璧ではないから、あらゆる方法で自分を守ろうとするのでしょう。

ただワタシは思うのです。

誰にだって不器用さがあって不完全だからこそ、たった一人でも信頼できる人に心を委ねることが、何より大切なことなんだと。

そして委ねるためには、殻を脱ぎ捨てて外に出る勇気と、気持ちを分かち合える‘’誰か”が必要だと思うから。

 

 

ナイーブな私に勇気をください

  1. モト より:

    寂しいって気持ち分かるわー。
    社会や会社に取り残された感を味わったから余計に。
    だから愚痴を言ってしまったりしたんだけどね。

    けどそれがなかったら今の自分はいないと確信してるし、納言ちゃん達とも出会わなかったと思うんだよね。
    だからタイミングなんだよね、必要な人は必要な時に現れて、必要がなくなったら去っていくだな。
    これを受け入れることができたら、不必要に期待もしないし、良い意味で無関心にもなれるかなと思ってる

    相手に何かを求めるのではなく、何かを期待することをやめると意外と人間関係は上手くいくもんやなって今は考えれるようになってきた。

    常識とか価値観は必ず違いはあるもんね、ちょっとした違いでズレてくからねー、そんな人間関係を上手くやっていくには距離感が大切やなって本当に思う話しでした

    • オリエンタル納言 オリエンタル納言 より:

      どんなことにもタイミングは必要だし、縁があって出会ったとしても離れてしまうこともある。
      その難しさが常に色々なところに存在しているからこそ、気づいた時には本当に必要な人が残っていてくれて、それが支えになっているんだよね。
      どうしても私たち人は期待してしまうし、時にはそれ以上を求めてしまうこともあるけれど、一番大切なことは、何層にも重なり合ったものを一つひとつ剥がしてくれる存在なんだよね。

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