ワタシの心は、いつもどこかで

保育士時代の体験談・過去のトラウマ

ワタシは今でこそ、自分の性について話をすることができています。

それは理解してくれる人がいて、心の中を知ろうとしてくれる友人がいるからこそです。

ただ独りぼっちの時間が長かったので、ワタシの心は一体と葛藤しているのかが、分かりませんでした。

なぜ女性らしさを求められることに、これほどまで嫌悪感を感じるのか。

なぜ女性とか男性とかの2つの性だけで、物事は考えられてしまうのか。

そのことが頭の中から離れずにいたような気がします。

だからずっと答えを探し求めていたのかもしれません。

女性らしさを求めないで

中学生の頃は、思春期もあってか同級生たちは途端に性を意識するようになりました。

恋愛感情というものを持ち始め、見た目にも気を使うようになっていく。それぞれの美学の中で精一杯の姿を見つけ出そうとしていました。

して男の子らしく女の子らしくという2つの性別の中で生きていることが当たり前でした。

スカートを短く履いている子、髪型をおしゃれにしたり、少し悪そうにしながら個性を出そうとしている子。

色々な子がいる中で、ワタシと同じ悩みを持っていた子は一体何人いたのでしょう。

見た目が変化していくことに、嫌悪感を感じるという悩みを・・・。

許せなかったカラダ

ワタシはどうしても許せなかったんです。

少しずつ膨らんでゆく胸も、緩やかにカーブをしていく腰も、ふっくらと女性らしさを身にまとい始めたカラダも。

何度も何度もお願いをしていました。

どうか、幼い頃のまま何も変化をせずにいてほしいと。

けれどもその願いは無惨にも散ってゆき、見た目は成長という名前と共に変化していくようになっていったんです。

その姿を恥ずかしく思い、同時に醜くも感じました。

変わってほしくない、女の子というカテゴリーの中にいたくない。

そんな気持ちが溢れて止まらないこともありました。

時にはブラではなく布を巻いて胸を押さえつけたり、あえて下着をつけずにパンツだけのまま登校したこともありました。

あの時代はネットも普及していなかったから、同じ悩みの人を探すことも、解決方法を見つけることもできなかったんです。

だから、とても孤独感を覚えました。

世界中でこんなことを思っているのは、ワタシだけなんだって。

それはとてもおかしいことなんだって。

そう思っていたんです。

打ち明けるまで

ワタシがLGBTQ+のQ(クエスチョニング・クイア)であることを自認したのは、本当につい最近です。

だからずっと自分は何で悩んでいるのかさえ、知ることが出来ませんでした。

そして一番頭を悩ませたのは、恋愛の対象者が男性だったことです。

ワタシは性同一性障害でもなければ、同性愛者でもない。けれども、ずっとカラダに対しての違和感だけは残り続けている。

その気持ちとの折り合いの付け方が、分かりませんでした。

しかし情報社会になるにつれて、ワタシのように性別に囚われずに生きる選択をしている人がいることを知りました。

LGBTQ+は恋愛対象だけでなく、見た目の違和感についても当てはまることも、ようやく知ることができたのです。

そして少しずつではあるけれど、本当に信頼できる友人たちに違和感を伝えるようになっていきました。

時には理解されないこともあれば、「あなたの考え方は、何か違うような気がする」と言われたこともありました。

けれどもある友人はこう言ってくれました。

「ずっと昔から、あなたはそうだったよ。話を聞いて『やっぱりそうだったんだな』とは思ったけれど、別に何か変わるわけじゃないし、あなたはあなたのままだよ」と。

その言葉に随分と救われたんです。

悲しみの連鎖の中で

ある日のレインボープライドに参加した時、参加者の方の中に性同一性障害の方がいました。

その方がこんなことを言っていたんです。

「ワタシは見た目は男性だけれど、女性の心を持っているの。けれど、服装やメイクが上手くないから、女性の格好をしていると白い目で見られることもあるの。それがとても悲しい。『何も悪いことはしていない』って、自分に言い聞かせているけれど、やっぱり辛いこともあるんだよね」と。

心と体のかいりは、パッと見ただけでは分からないことです。

ただその中には葛藤をしながら、心に素直になって生きようとしている人がいる。

それはとても勇敢なことであり、そして勇気がいることなんです。

ただ本当に悩んでいる人がいる中で、犯罪として女装や男装といった手を使い、罪を犯す人もいる。そのせいで、全ての人がそうであるかのように見られてしまうこともあるんです。

けれどもほとんどの人は、生まれた性と心の性が違うだけで、自分の気持ちに素直になって生きようとしている人ばかりだということを、知ってもらえないでしょうか。

ただ自由に好きな服を着て、好きな姿をして、自分の人生を豊かにしようとしているだけだということを。

ただそれだけを・・・

LGBTQ+のことが何かと話題になる中で色々な問題はあるけれど、できればそっとしておいてほしいんです。

誰だって、心の中を土足で踏み込まれたら嫌だと思うから。

理解してほしいとは思いません。

けれども、そういう人たちもいるんだなと思ってもらうだけで、知るきっかけに繋がると思うんです。

一番大切なことは、性別にとらわれずに自由にお洒落を楽しみ、そして自由に好きな人と愛を育み合うことだから。

当たり前の生活が、当たり前にできること。

それだけ、ただそれだけを望んでいるから・・・。

 

 

ナイーブな私に勇気をください

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