今回のリクエストは「歳をとること、死や老いについて」です。
誰もが一度は考えたことのあるテーマかもしれません。
今回もワタシなりの想いを、書き綴っていこうと思います。
それでは、スタートです。
老いていくのが、怖いんだ
30歳を目前になった今、老いていくことに対しての考えは、昔よりもずっとポジティブなものになりました。
昔だったら「老いていくことが怖い」だとか「自分の変化が受け入れられない」そんな風に捉えていたでしょう。
見た目の変化が受け入れられなくて、月日が流れていくスピードに取り残されていくようで、漠然とした恐怖心みたいなものがあったんです。
そして周りでも、老いていくことに前向きに捉えて考える人がいなかったことも、理由の一つだったかもしれません。
「歳をとることは、こんなに大変なんだ」とか「歳をとってもいいことはないよ。毎日を必死に生きるだけ。ただそれだけさ」そう言われることが圧倒的に多かったから。
先に進めば進むほど、希望もきらめきもないような世界に自然と足を踏み入れることなんだと言われているようでした。
いつしかワタシも同じように、「老いていくことが、怖いんだ・・・」そう思うようになったのです。
隣にいる人は、誰なのか
そして老いに対して過剰に恐怖心を抱いていた頃、ワタシはとても不幸だと思っていました。
むしろ若いときの方が、漠然とした恐怖に怯えていたんです。
時代を共に歩んでくれる人も、これから起こるであろう困難に一緒に立ち向かってくれる人も、そばにいないと思っていたんです。
だから先行きの見えない不安と、どんどん変わっていく容姿が怖くて仕方がありませんでした。
ただでさえ不幸の真っ只中にいるのに、老いていってしまったら、もっと独りぼっちになってしまう。
そんな時、誰がワタシと人生を歩んでくれるんだろう。
手を差し伸べられることもなく、ただ生きているだけで胸が苦しくなる人生を歩まなければいけないのか。
そんなことばかり考えていました。
孤独感が強ければ強いほど、老いに対しての恐怖心も増していったのです。
自分をただ見つめて・・・
漠然とした恐怖や不安を抱えている時、ワタシはワタシを直視することができませんでした。それと同時に、「老いていけば、ますます幸せではなくなってしまう」そんなくだらないことばかりが心を埋め尽くしていたんです。
けれども、仕事を辞めてから自分を見つめる機会が増え、自然と老いに対しての不安は昔に比べて薄れていることに気づいていました。
それはもちろん、周りに長い年月を一緒に歩んでくれる人がいるという安心感が、大きいと思います。
けれども一番の変化は、あらゆることに否定的に考えるのではなく、前向きな言葉で自分自身を受け止めるようにしたことが一番の変化でした。
歳を重ね、心を育てる
老いていくことは、悪いことじゃない。そう思えるようになったのは、つい最近のことです。
まだ若かった頃、ワタシは誰かの気持ちに立って物事を考えることよりも、自分の気持ちを優先させてきました。時にはそれが間違いであったとしても、(これはワタシのためなんだ)そう正当化させて、目の前にあることから逃げようとした時さえありました。
幸せは目に見えて分かるものであり、誰かと比べるものなんだとも思っていました。
そばにいてくれた人たちのことは考えず、もっと別の人たちのことを考え、そして常に憧れの誰かや、何かになろうとしていたんだと思います。
しかし今では形あるものではなく、目には見えないけれど心の中にある大切なもの、そして自分自身のことを大切にするようにしたんです。
月日を重ねるごとに変化する姿にも、新たな良さを見つけて、向き合うことの大切さを学ぶことにしたんです。
そうすることで自然と、あらがうのではなく、受け入れる大切さを知ることができたから。
変わりゆく姿を
どれだけ美しい人でも老いは平等にやってきます。
運動能力に長けていた人でさえも、いつかは体が動かなくなっていくものです。
形あるものは少しずつ姿を変えて、時間をかけて、終わりの時に向かい進んでいくでしょう。
動かなくなってしまう体とは反対に、心や感情は年月をかければかけるほど、自分と向き合えば向き合うほど進化し続けていくものだと思うんです。
体は老いていくけれど、心だけは進化し続ける。そんな人間でありたいと今なら思えるんです。
ワタシは自分の腰が曲がり、自由に動けなくなった時も、誰かを想い、寄り添い、そして自分の信念だけは曲がらない人生を送りたいと思います。
最期を迎える日が来たら、大好きな人たちの顔を浮かべながら、目尻に刻まれた笑いジワに大粒の涙が溢れ、生まれたことに誇りを持ち旅立てるように。
そうやって最期の時を迎えられたら、幸せだと思うから・・・。
ナイーブな私に勇気をください
老いについてを読んで
直ぐに脳裏を過った言葉が
『四苦八苦』
の四苦、生まれる苦しみ·病む苦しみ·老いる苦しみ·死ぬ苦しみです。
私が納言さん位の歳には、自分が老いるとか死ぬとかは、いずれ来ることと他人事のように思っていました。
しかし、現在歳を重ねて来て現実的に一歩一歩近づいて来てる実感があります。
ある意味しかたない、どうすることも出来ないことと諦めムードが漂っています。笑
じゃあその時までどう生きるか···
体は老いて行くけど
心だけは進化し続ける
文中の言葉が語りかけてきたような
そんな気がしたエッセイでした。
ありがとうございます。
いつも読んでくださり、ありがとうございます。
昔は、老いていくことに漠然とした不安を抱えることがありました。見た目の変化を怖がり、先行きの見えない未来を恐れていました。
けれどもいつしか、ふとした時に「人はいつかは亡くなってしまう存在だし、今目の前にあることから楽しもうそう思えるようになりました。
けれどもたまに、不安の波が襲ってくることもあるんですけどね。笑
誰もが平等に老いを感じていくのなら、ワタシは心だけでも成長し続けて、変化していけるような人でありたいと思います。
読んでくださり、ありがとうございました。
納言さん、私のリクエストに答えてくださってありがとうございます。
勝手に、内面的に似た部分を感じていたのですが、今回書いてくださった内容が、自分と重なる部分が本当に多くて、やっとこの感情をわかってくれる人に巡り会えた!という安堵感でいっぱいです。
私は、普段は自分のことで精一杯なので、他人の事は全然気にならないのですが、その反面、他人からどう思われるかが、異常なほどに気になってしまうのです。
多分、若い頃に、友達だと思っていた人から、陥れられるようなウソだらけの悪口を広められたり、そんなことが何度かあって、そのトラウマもあると思うのですが、他人から嫌われたくないという思いが強く、相手の言葉や些細な態度をとても気にしてしまうのです。
そして、勝手にどんどんネガティブなほうに解釈して、いろいろなことを楽しめなくなり、そんなことを繰り返しているうちに自分に自信がなくなり、何より自分自身のことが嫌いになっていきました。
でも、おっしゃるように、こちらが1人で勝手に悩んでるだけで、相手は私のことなんて、ほとんど気にしてないんですよね。
納言さんと同じように、幸いにも、私のそんな感情をぶつけて、受け止めてくれる人が身近にいる事は幸せだとは思います。ただ、とても楽観的な人なので、そんな私の感情を理解してもらえないことも多く、励まされたり、機嫌をとられたり、そんな感じの繰り返しでした。
自分が幸せになるためには、まずは、自分を愛して穏やかな心でいること…
また、闇の感情が襲ってきた時には、納言さんのその言葉を思い出すことにしますね!
書いてることが支離滅裂なようで、とても不安なのですが、本当にありがとうございました。これからも楽しみに見させていただきますね。
読んでくださり、ありがとうございます。
ワタシは「人は、1人では生きることはできない」そう思っていますが、その形が時には、悪い方向に向くこともあると思っています。みゅうさんのように傷つけられたり、心の中に土足で入り込まれたりすれば、自分の以外の誰かに感情を持っていかれ、そして常に誰かの顔色をうかがうようになってしまう。ワタシの過去のそうだったんです。
常に誰かに気を遣い、自分の気持ちに嘘をついてまで好かれようとしていた頃がありました。
一番大切にしなければいけない自分を大切にすることができなくなってしまったんです。
だからこそ、たくさん頭の中で考えて、向き合おうとしました。それでも硬くこびりついたコゲのようなものが綺麗に取り切れることはありませんでした。
全てのコゲを取りきることはできなくても、誰かの言葉に励まされて、暗闇の中に入り、一緒に座って語り明かしてくれる存在が少しずつ増えてきた今では、コゲのことは気にならなくなっていきました。
それと同時に「なんだ、ワタシはワタシの人生を歩んでいんだ。誰かのためではなく、自分のために生きていいんだ」そう思えるようになったんです。
暗い感情は決して悪いものではありません。
悲しみを味わった人は、傷つけられた経験がある人は、心の痛みがわかる人だと思っています。
そんな自分自身にたまに声をかけてあげてください。
「私はたくさん苦しんできたけど、もういいんだ。悲しみも苦しみも知ることができなければ、誰かを想うやる気持ちすら持つことができなかっただろうから。だから、私はよく頑張ってくれた。ありがとう」って。
一番の特効薬は、誰かに素敵な言葉を送ってもらうことよりも、自分自身で労い、言葉をかけてあげることだと思うから。
これからの人生を、みゅうさんが笑顔で過ごせるよう、そして過去のコゲを落とさなくても、自分自身を愛し続けられるように願っておあります。
感想いただけて、とても嬉しかったです。
ありがとうございました。