ワタシは韓国ドラマの良さを今まで知りませんでした。
昔から恋愛漫画やドラマ、そして映画なども苦手で読んだり観たりすることを避けていたんです。
卑屈なワタシは「美男美女が揃ったら、そりゃ恋愛になるよな」と鏡に映る自分の顔を見ながらため息をついてしまうことも。
そんな時、唯一ハマった漫画が韓国の漫画である『女神降臨』だったのです。
主人公と自分を重ねて
数年前に流行った女神降臨の漫画は、スッピンが不細工だと言われ、いじめに遭っていた主人公がメイクを覚え、美しくなり、そして女神と呼ばれるようになる。
けれども内面の美しさに気づいていたイケメンの男の子たちと出会い、少しずつ恋をするという設定のお話です。
高校生の頃の自分を思い出しながら、夢中で漫画を読んだ覚えがあります。
そしてつい最近、『女神降臨』の実写版のドラマをみつけ、視聴することにしたんです。
観ていくうちに、ところどころ過去の自分と重ね、そして「あの時、ワタシも自分に合った化粧を知っていたら、人生はもう少し変わっていたのかな」と考えることもありました。
ただ、恋愛系のものが苦手なワタシは、基本的にときめく部分やキスシーンは全て飛ばしてしまいます。笑
所々一緒に見ていた彼は、「一番大切なシーンじゃないの?醍醐味なのに・・・」と残念がっていました。
チグハグな見た目
この漫画のテーマである「外見至上主義」は、まさに現代にも通じるものがあります。
見た目を変えるために色々な努力の方法があり、時には整形という形で新たな自分に生まれ変わる人もいるでしょう。
化粧を施し、勇気を持てるようになった人もいるかもしれません。
また化粧だけではなく、あらゆる努力の末に見た目に自信を持てるようになった人もいるかもしれません。
ワタシ自身も、高校時代は自分のすっぴんが嫌で、あらゆる努力をしてきました。
けれども努力の方向がチグハグすぎて、自分に似合わない服装やメイクをしていたせいで、自信を持つことができませんでした。
何より、1番のコンプレックスは男性的な顔立ちに細い一重まぶたでした。
だから女性らしい格好を意識した時には、女装と間違われたこともありました。
当時はLGBTQ +なんてものも知らなかったから、美しい女性からどんどん遠のいていくことが悲しくてたまりませんでした。
外見至上主義の世の中で
ドラマを見終わり、ワタシは今の自分のスタイルに少しだけ誇りを持てたような気がします。
今でこそ自分のスタイルを見つけ、無理をしないようになりました。
必死に隠していた一重まぶたを前面に出し、1番のチャームポイントだと思えるようになりました。
SNSや街でも、美しい人は昔以上に多く見かけます。
あらゆる人が性別関係なく、それぞれの美しさを見つけ、オシャレとして楽しめるようになりました。
かつてのワタシは自分よりも美しい人を見て羨ましがり、その人たちと自分の差に、待遇の違いに、卑屈になっていました。
その時には「どうせワタシは一重だし、綺麗じゃないから」そう言って、なんとか気持ちを抑えることしかできなかったのです。
そして今のスタイルを見つけられるまでは、話したこともないSNSの人たちにさえ、羨ましいという感情が芽生えてしまうこともありました。
自分の美しさを見つけて
自分のスタイルを見つけるまでには、多くの時間とお金を使いました。
色々な系統の雑誌を買い漁り、スナップノートみたいなものを作ったり、色の組み合わせを独学で勉強したこともありました。
一重に似合うメイクをするために、化粧道具も山ほど買い漁りました。
あの時の努力があったからこそ、時間はかかってしまったけれど自分に似合うものを見つけられたと思っています。
ただ、本当の美しさは何も見た目だけではないと思うんです。
どれだけ美しくても、どれだけかっこいいと言われていても、心が汚れていては本当の美しさは霞んでしまうような気がします。
ほとんどの学生時代に「不細工」と言われ、時にはいじめにも遭いました。綺麗な人たちとその取り巻きたちがワタシの顔を見て笑い、そして「不細工だから、何をやってもダメなんだ」と全てを否定されたこともありました。
だから人生は全てが顔であり、顔が良くなければ何もうまくいかないと思っていたほどです。
けれども、そんなことはありませんでした。
かつての彼らを見たときに
かつてワタシのことを「不細工」だと言っていた人たちも、同じように大人になり、歳を重ね、そして心の美しさが顔に表れていく。
化粧や服装で見た目を繕ったとしても、心までは隠すことができません。
一見綺麗だとチヤホヤされていた人でも、顔に現れるんです。
心の歪みが、そしてその人が持つ内面の汚さが・・・。
SNSで久しぶりに同級生の顔を見た時、ようやくそのことに気づけた瞬間でもありました。
「内面の美しさまでは、何をしても繕うことはできない。本当の美しさは、化粧や見た目で決まるのではなく、心の豊かさや、美しさが表れて最後の仕上げをしてくれるんだ」ということに。
いじめに苦しんでいた頃から数十年の時を経て、ようやくワタシは今までの呪縛から解放された気がしました。
それぞれの美しさの基準を
世の中に「不細工」だと言われていい人なんて一人もいません。それはただ、自分の好きなタイプが違うだけで、別の人から見たら「素敵だな。綺麗だな」と思う人だっている。
ワタシの姿だって、同じです。
「素敵だね」と言ってくれる人もいれば、「あれは格好つけているだけ」と言われてしまうこともあるかもしれません。
けれども、容姿の基準は自分で決めるものだと思うんです。自分以外の人に審査員みたいに容姿について何かを言う権利は誰一人ありません。
もしも、自分の容姿に悩んでいるのなら、好きなスタイルを見つけてどんな姿でも自信が持てるおしゃれを楽しんでほしいと思います。
整形で自信が持てるようになるのなら、それでもいい。
奇抜なファッションや個性的な服装が好きなら、とことん貫いてほしい。
でも忘れないでほしいんです。
心は自分を表す鏡だということを。
誰かに批判を向けている人は、きっとそれだけ自分にも自信がないということなのでしょう。
自分に自信がある人は、自分のスタイルを愛し、そして周りも同じように受け入れてくれる人が集まってきます。誰かを批判したり、馬鹿にしたりなんてしない。
誰かの心の汚れに、どうか惑わされないでほしいと思います。
どんな人にだって、その人が持つ美しさはあるはずだから。
ナイーブな私に勇気をください
韓国ドラマを読んで
私はSNSをはじめた頃は、かっこよく、しかも素敵になんて考えていました。
本来、楽しむためにはじめたつもりが、考え込んでしまうようになり、あまり楽しく感じられなくなって行きました。表面的なことにとらわれ、あれやこれやと時間も使うようになり、苦痛すら感じてしまうようになりました。
そんな時、ちょっとだけ動画を試してみました。ほんの10秒ほどです。
客観的に動いている自分自身を見ると言うことは、ここまで面白いものなのかと驚きました。言葉にすると
『あ、動いた!笑』
見たいな感じです。笑
静止画像は瞬間を切り取った表現の素敵さは承知していますが、私は動画の方が向いているのではと気付きました。笑
実に自分自身で見ても楽しんでいるように見えました。静止画像では表現できなかった、私自身の内面の『ゆるさ』が良く現れていると、動画を見ながら笑うばかりです。自分自身の動画を見ながら笑うってねぇ笑
また、ご縁があって見ていただく方も楽しい気分になっていただけたら幸いです。
今回の納言さんのエッセイを読みながら、外見·内面について考えさせられ、自らを改めて見直すことができました。
ありがとうございます。
追記 私も5月は調子悪いです。笑
いつも読んでくださり、ありがとうございます!
最近の投稿で、TKさんが歌っている投稿を拝見することがあり、とても楽しそうにのびのびと表現する姿が素敵だなと思っております。
静止の姿も素敵ですが、動いてる姿もまた別の雰囲気に見えていいなぁと思っていました。
TKさんのかっこいい雰囲気と「ゆるさ」が、新たな魅力になってるんですね!
今年の風邪はどうやらしつこいみたいです。笑
どうか、お体ご自愛ください。