あるニュースを見た時、ワタシは持っていたスマホを一度伏せてしまいました。
あまりのショッキングな内容と、立て続けに起こっている保育士の犯罪に何とも言えない気持ちになったからです。
SNSや自分の周りにいる保育士たちの声を聞く限り、給料の安さには見合わない責任の重さ、正規であれば契約社員やパートよりも仕事量も増え、休みの日でも仕事をしていることも多い。そんな状況で、配置基準は改善されず、給料も全く上がらず、仕事量だけが増えていく現状。
国家資格を持ち、子どもたちの小さな命を必死に守っている仕事にしてはあまりにも待遇が悪すぎることが保育士のみならず、社会にも少しずつ知られてきていると思います。
「保育士さんにもっと給料をあげて!」「保育士さんたちにはすごく感謝してるよ」そう言ってくださる方が増えているのも事実ですが、その気持ちを踏みにじるような事件が起きているのもまた、事実なのです。
事件を知り
2歳の子が担任保育士に刃物で切りつけられた。そんなセンセーショナルな見出しのニュースに言葉にならない憤りと、悲しみと、そして怒りが込み上げてきました。
ネットニュースやSNSなどで確認すると、中には「きっと過酷な労働環境で辛い思いをしていたのかもしれない」と寄り添っていた言葉もありました。
確かに保育士の環境はいいとは言えません。
女性社会の特有な雰囲気、今でも根強く残っている昔ながらの縦社会。上司の気分、先輩の気分によって言われることがコロコロ変わる特殊な状況。親以外で怒られることなんて大人になれば余計になくなると思いますが、少なくともワタシのいた保育の現場では、感情のままに怒鳴り、まるでストレス発散を職場でするかのように当たり散らす人も大勢いました。
それは子どもの前だろうが関係ありませんでした。
保育環境のせいにしないで
今回事件を起こした保育士は21歳で、つい数ヶ月前から事件が起こった園で働き始めたばかりだったと報じられていました。
慣れない環境でストレスが溜まっていたのかもしれない。
特殊な人間関係の中で、心が歪んでしまったのかもしれない。
子どもたちとうまく関わることができずに、怒りを抑えることが日常的に難しくなっていたのかもしれない・・・。
けれども、そんなことは理由にはなりません。
私たちも人間だから、体調や気持ちによっては普段よりもイライラしてしまうこともあります。それでも大人として理性を保ち、子どもたちと向き合っています。
この事件はどんな理由があったとしても、どんな背景があったとしても、許されてはいけないことです。
子どもたちが自分の親以外で密に関わる大人が保育士です。信じてたであろう保育士に刃物を向けられ切られた時の恐怖は、想像を絶することでしょう。
悲しいニュースの連鎖に
最近思うんです。
保育士に関するニュースの質がどんどん悪くなっていることに。性犯罪が生まれたり、殺人未遂事件が起こったり。
どれだけ子どもたちに愛を注ぎ、一生懸命向き合っている保育士がほとんどだとしても、「保育士自体を信じられない」そう思われてしまうことも悲しくてたまりません。
過去にも虐待のニュースがありました。
子どもたちの命を蔑ろに、純粋でまっすぐな心を踏みにじった事件が。
保育の世界は、本当に大変だと思います。
ワタシ自身も今もなお働いているから、その大変さがよくわかります。
少なくともワタシがいた環境は、社会の一般常識が通用しない環境でした。
どれだけ声を出そうとしても、たった数人の力を持った人たちに消され、従うことしかできなかった。時には心が疲れ、どんどん溜まっていく感情が涙として現れることもありました。
怒りが沸々と湧いてくる瞬間もありました。
それでも、子どもたちに手をあげようと思ったことは一度もありません。
もちろん、子どもたちのことを憎いと思ったことも一度もありません。
今までの保育士人生で唯一誇りを持てることは、自分の持っている最大限の愛情を注ぎ続けられたことだと思うから。
そしてその気持ちを持っているのは、何もワタシだけではないと思います。
最後に
この痛ましい事件や保育士のニュースを見ると、子どもを預ける保護者の方々は不安で、全ての保育士がそうであると思ってしまう瞬間があるかもしれません。
ただ世の中には、子どもたちのことが大好きで愛情を持って接している保育士たちもたくさんいます。
自分の時間を犠牲にしてでも、何とか笑顔で過ごしてほしいと必死に向き合っている保育士がたくさんいます。
どうか、それだけは忘れないでほしいんです。
同じ保育士として、今回の事件は到底許せるものではありません。同じ保育士としても恥ずべきことだと思っています。
このような事件は二度と起きてほしくはないです。ですが現場自体が疲弊し、保育士の心が壊れ始めていることも事実だと思います。
少しずつ歪み、綻びが見え始めた保育業界。
子どもたちと共に笑い合い、純粋に保育というものを楽しめるようにするためには、そろそろこの異常な状況を受け止め、考え始めなければいけないのかもしれません。
ナイーブな私に勇気をください