夫婦のカタチ

保育士時代の体験談・過去のトラウマ

私たち夫婦に、決まった性別はありません。

どちらが男性で、どちらが女性でという概念もありません。

もしもカテゴライズするのであれば、それは「ヒト」ということだけです。

私は昔から、性別を二つに分けられるのが嫌いでした。

どちらの側面も持っているのに、「あなたは女の子、だから女の子として必要なことを学びなさい」と言われることに、常に違和感を感じていました。

ただ恋愛対象は、29年間生きてきてずっと異性でした。

それはただ人生の中で、恋心を抱くような同性にあったことがないからだと思っています。

好きになることに性別は関係ない、それは幼い頃から持ち続けてきました。

そして、夫も同じように恋愛をしてきた人は異性だけれど、恋愛対象は全ての「ヒト」なのです。

あべこべな関係

私たちは、時として役割が変わることがあります。

よく周りからも「納言の旦那さんって女性らしいよね」と言われることが多いくらい、夫は少し女性の性質が多いようです。

どちらかというと私の方が、男性思考が強いのかもしれません。

だから一緒に生活していると、関係があべこべになることもありますが、そのほうが心地良かったりするのです。

互いに中性的な見た目と性格をしているからなのか、デートをしていると、周りから視線を浴びることがあります。特に私は格好も男性的な姿を好むので、きっと他人から見たら、男性同士が手を繋いで歩いているように見えるのかもしれません。

まだまだ、性に対して偏見を持つ人もいるようで、「あの二人ってなに?ゲイ?」とか「なんで男同士なのに手を繋いでいるんだろう」なんて、言われることも多々ありました。

そもそもどうして男性同士が、恋愛をしていることに嫌悪感を示すような言葉を発すのだろう。

好きになった人がたまたま同性だっただけで、愛する気持ちは何も変わらないのに。

根深い問題を浮き彫りにさせるような発言に、まだまだLGBTQが理解されない世の中だということも認識させられました。

それでも私は自分のスタイルを崩すこともしなければ、手を振り解くこともしません。

そして夫も、心無い声が聞こえてきても堂々と手を繋いで歩いてくれるのです。

自分らしさを捨てても

夫と出会う前には、今までの付き合ってきた人たちに色々なことを言われてきました。

もっと女性らしい服装にしてほしい。

スカートを履いて欲しい。

髪の毛を伸ばして欲しい。

あげたらキリがないくらい、私とは真逆の理想像を押し付けられることがありました。

そして気づかないうちに、心も傷ついていたんだと思います。

「どうしてありのままの私を、受け入れてくれないんだろう」って。

結局嫌われたくなくて、一生懸命似合わない服を着ていました。すると、心はいつもモヤモヤして、デートが楽しいと思えないことも多かったのです。

無理やりスカートを履いている自分が、気持ち悪くて仕方がなかった。

髪の毛を伸ばし、別人になろうとしていることが苦しかった。

好きでもない服を着るたびに、無意識にため息が出てしまっていた。

なにより、私という存在を無視されているみたいで、飾りとしてしか見てもらえないような気がして辛かったのです。

しかし、どれだけ彼らに合わせて頑張ったとしても、数ヶ月も経てば、私と正反対の女性らしい女性のところへ去っていきました。

それぞれのカタチ

夫は私の容姿に対して、何か注文をつけたり、お願いをしたりすることはありません。きっとそれが普通のことだと思うけれど、私にとっては大きなことでした。

夫よりも短い髪にしても、男性的な洋服を着ても「君らしくて素敵だね」と言ってくれる夫には、感謝しかありません。

夫婦の数だけカタチがあり、個性がある。

それは周りが口を出すことではなく、二人が認め合っていたらそれでいいのではないでしょうか。

だからこそ私たち夫婦は、これからもありのままの姿で、自分たちの好きなスタイルを貫きながら生きていこうと思います。

無理に変えることは、自分を偽ることになってしまう。

そんな相手といる方が苦しくて、自分自身を失ってしまうことにもなるから。

皆さんには、大切なパートナーや家族はいますか?

それぞれの形を大切にしながら、自分らしく堂々と好きなスタイルを貫いてください。

誰のためでもなく、自分自身のために・・・。

 

 

ナイーブな私に勇気をください

タイトルとURLをコピーしました