不適切な保育を、今考える

保育士時代の体験談・過去のトラウマ

これはあくまで私の主観的な考えであり、世の中にはきっと色々な意見や想いが沢山あると思います。

ただ、数ヶ月前まで保育士として働いていたからこそ、最近のニュースを見るたびに胸が痛くなってしまう言葉が多く並ぶようになりました。

もしも、今でも現場で働いていたら違う考えが浮かんでいたかもしれません。

離れた今だからこそ別の角度から考え、伝えられることがあるのではないかと思い、書くことを決意しました。

ただ一つだけ先に言わせてください。

保育士も、保護者の方も子どもたちを想う気持ちは同じだということ。

そして不適切だと言われる保育や、虐待行為をしている保育士が全てではなく、心から保育士という仕事に誇りを持ち、向き合おうとしている人たちがいることを知ってもらえたら嬉しいです。

ニュースの見出しにざわつく心

ネットニュースの中に、目を伏せたくなる見出しがありました。

「不適切な保育」というなんともセンセーショナルな言葉に、他人事だとは思えず、ニュースの内容を何度も確認しました。不適切な保育の調査をして、どれだけの園で、どれだけの不適切な行為が行われていたのかが書かれていました。

つい最近、配置基準について保育士たちが、SNSを通じて発信していたばかりなのに。

保育士たちの置かれている状況の悲惨さ、待遇の悪さ、そして心の余裕が持てない現状に、声をあげ始めていたところでした。

なのにも関わらず、配置基準や保育士環境の改善ではなく、「不適切な保育」にスポットライトが当てられていたのです。

まるで全ての保育士がそうであるかのように書かれた内容に、一体どれだけの保育士たちが憤りを感じたことでしょう。

そしてどれだけの保育士が、怒りを通り越して諦めと悲しみを痛感させられたのでしょう。

保育士の声、届いていますか?

不適切と挙げられている事例の中には、曖昧なものがあったり、配置基準によってやむを得えない場合もありました。

70年前から変わらない配置基準。

低賃金の中で搾取される環境。

サービス残業と当たり前に取れない休憩。

自腹で購入する手作り玩具などの材料。

持ち帰りの仕事の多さなど。

あげたらキリがないほど、保育士たちの不満はたまっていました。そして、私自身も現役で働いていた頃、同じような感情を抱くことが何度もありました。

低賃金の中で当たり前のようにサービス残業があって、持ち帰りの仕事も毎日のようにありました。

休憩制度はなく、コロナ禍の時はクラスの先生と交代で給食を食べなければいけなかったから、5くらいで食べられる量だけを食べていました。

年休を取る時も、「仕事が優先だからね。何かあったら、出勤できるようにしといてね」と言われていました。

元同僚は仕事を辞めるために年休消化をしたいと申し出たら、「あなたは、仕事をなんだと思っているの?」と職員室で叱責されていました。

こんな環境が当たり前だったんです。

人もいない、給料も少ない、でも仕事は山のようにある。

常に搾取され続ける環境に限界を感じながら、保育をしていた人も多かったと思います。

不適切な保育の話が出る少し前、昔ながらの配置基準を見直そうとする動きが、ちらほらニュースで取り上げられていました。

しかし、その希望は一瞬にして奪われてしまったのです。

保育士たちは、何度も声を上げていました。少なくともSNSを見たり、周りの現役保育士から話を聞いても、共通の悩みと環境改善を望んでいるようでした。

その声には反応されることはなく、保育士の多くが不適切な保育をしているのかもしれないと不信感を与えることに、関心は高まり続けていきました。

一部の話を大多数がしているような内容は、私自身も見ていてとても悲しく、そしてSNSでの悲痛な叫びを読み、さらに心は沈んでいきました。

もっと、余裕を持てるような環境だったら。

もっと、保育士の言葉も聞いてくれたら。

「どうして、保育士ばかりが悪者にされてしまうの?」と、声にならない悲痛の叫びだけが、ポツンと隅の方に取り残されているようでした。

保育士だって人間なんです

どれだけ不満を持っていても、どれだけ世間の風当たりが強くなっても、朝がくれば「せんせい」と呼ばれ、子どもたちのために全力を注いでいます。

一部の保育士による虐待行為や、誰がみても不適切な保育と呼ばれることは、絶対に許してはなりません。

しかし、忘れないでほしいのです。

メディアが報道している内容は、氷山の一角と呼ばれていることもあるけれど、ごく一部の保育士たちの話だということを。

現役で働いている時、子どもたちと過ごすことだけが私の生き甲斐でした。

けれども私たちも人間です。

疲れている時には、笑顔で居続けることが難しいことだってあります。

出勤している全ての時間を完璧な状態でいることは、無理なんです。

私たち保育士は、特殊な能力を持っている人間でもなければ、スーパーヒーローでもない、皆さんと同じ人間です。悲しいことがあれば涙は流れるし、時には腹が立つことだって、へこむことだってあります。

保育士は人間であり、感情を表さないロボットではありません。

何よりほとんどの保育士は、子どものことを一番に考え、自分の時間を削ってでも向き合おうとしているのです。

最後に・・・

これはあくまで、私個人の意見です。人それぞれに考え方や価値観があるのと同じで、私の思いを今回はこのような形で伝えさせていただきました。

ただもしも、今も現役の保育士として働いていたら、自分の想いを発信することは出来なかったでしょう。子どもたちに迷惑がかかるかもしれない、保護者の方に迷惑がかかるかもしれない、職場に何かが起きてしまうかもしれない。あらゆることを想定すると、たった一人の声ではどうすることも出来ないし、リスクも大きすぎるのです。

だからこそ、保育士を辞めた私にしか出来ないことがあるのではないかと思い、今回、勇気を出して文章で伝えることを決めました。

ただ、これだけは言わせてください。

大切な子どもの命を預かる場所で虐待が起きている事実は、どんな理由があっても許されることではありません。

どんな理由があってでもです。

配置基準や低賃金は、関係ありません。

どんな過酷な状況でも子どもたちに向き合っている保育士は、山ほどいます。

だからこそ、一生懸命頑張り続ける保育士さんが報われる環境になることを、心から願いたいのです。

かつて私の教え子はこう言ってくれました。

「いつか、納言先生みたいな保育士さんになりたいな」と。

私の大切な教え子が大人になった時「保育士は、こんなに辛くてしんどいんだ」と悲しませたくないのです。

「保育士って楽しいね」と笑顔で報告してくれる未来を信じています。

そして何より、蔑ろにされ続けてきた保育士の環境や待遇が改善されることで、少なからず心に余裕が出るのではないでしょうか。

安心してお子さんを預けられるように。

そして心にゆとりを持って保育ができるように。

何より、全ての子どもたちが笑顔で通える場所になるように。

そんな未来を実現するためにも、これからも私は伝え続けていこうと思います。

辞めた人間にしか伝えられない真実を、かけがえのない存在を守るためにも・・・。

ナイーブな私に勇気をください

  1. ナタリー より:

    元教師として、共感するところも多くありました。
    私が疑問というか、感じたのは、教師も保育士も法的な処遇や法律は同じでも、教師は県や市、保育士は各園?で待遇や居心地の良さ(働きやすさ)は違いますよね。
    私の場合、校長が会津のならぬものはならぬという訓を朝礼で熱弁し、時代錯誤な教育を我々教員に求めてきて、私は追い込まれ鬱になりましたが、保育園もそういったことがあるのではないか、と感じました。上層部の空気がおかしいと蔓延していく……蝕まれていく……みたいな。
    言い訳でしかないですが。
    ぜひ、お時間が許せば、アホな私にお考えをお教え願います(。>人<)

    • オリエンタル納言 オリエンタル納言 より:

      ナタリーさん、読んでくださりありがとうございます。教職も仕事の量と負担が多いと、何度か聞いたことがあります。私が勤めていた幼稚園や保育園は、園の方針が強く、上の言ったことは絶対的な権力を持っていました。不満はあるけれど、口にすることはできず、どれだけ無理難題なことでも、「分かりました」と言わざるを得ませんでした。ナタリーさんの勤められていた場所と少し似ているのですが、昔ながらの考え方はとても根強く残っていたと思います。一番気になっていたことは、誰が見てもパワハラに思われる環境でも、小さな社会の中では許されしまうこと、きっとそれは長く勤めていればいるほど感覚が麻痺してしまうのかもしれません。
      勇気を出して職場を辞められたナタリーさんの決断は、正しかったと思います。当時は辛いこともきっと沢山味わったと思います。その気持ちが少しでも報われることを、心から願っています。
      ナタリーさんのこれからの人生が、豊かになりますように
      読んでくださり、貴重なお話を聞かせてくださり、本当にありがとうございました。

タイトルとURLをコピーしました