オサキハイイロ

保育士時代の体験談・過去のトラウマ

ある後輩がワタシにこんな言葉を言ってきました。

「今まではお先真っ暗だったんです。もうどうしようもないくらい漆黒の黒って感じで。ただ最近は、少しだけ真っ暗から灰色のような色をしてきた気がするんです。人生は、まだまだやれることがあるって。自分の好きなことをやって生きてもいいんだって」と。

その言葉を聞いた瞬間、ワタシは妙に納得をしてしまったのです。

彼女の姿を身近でみていたからこそ、もしかすると自分に同じ可能性があるのではないかと淡い期待も抱いて・・・。

辞める勇気

ワタシはかつて幼稚園と保育園で働いていましたが、どちらともに共通することは、辞める勇気を持つことができなかったことです。

子どもたちのために、そして関わってくださった保護者の方に恩を感じ、辞める一歩を踏み出せませんでした。

どれだけ「やめた方がいいよ」と言われても、ワタシは「まだやれるから」そう言い続けていました。

どれだけ「保育士以外にも道はあるよ」そう言われていても、「ワタシにはこの仕事しかないから。この仕事が好きだから、辞めるわけにはいかないんだ」と働く道を探し続けていたのです。

そして新たに見つけた場所でも、保育業界の難しさと「どこに行っても同じなんだ・・・」と思わざるを得ない環境に、どこか疲れが見えてしまうことがありました。

いつしか大好きだった子どもたちのことを、自身を持って「好き」だと言えなくなっていたのです。

ワタシは一体、何を迷う

けれども簡単に「辞める」という選択を選ぶわけにもいかず、ありとあらゆる理由を見つけてなんとか働く道を探し続けていました。

もしも辞めてしまえば、この先の人生がまた暗く、澱んだ世界になることを一番恐れていたのかもしれません。

お先真っ暗な世界に身を委ねることよりも、今の環境で我慢をし続ける道を選ぼうとしていました。

それでも日に日に膨らんでいく負の感情を取り除く術は持っておらず、ふとした瞬間に保育士である自分が嫌になり、そして子どもたちのことさえも考えられなくなっていきました。

ワタシは今、何で悩んでいて、何が一番心を引き留めているのかが正直わからなくなっていたのかもしれません。

もう限界なんです

そんなある日のこと、珍しく後輩から連絡が来て「もう私は限界だと思います。正直、保育という仕事を純粋に楽しめなくなっているような気がします。子どもたちのことは大好きで、この仕事に誇りを持っていました。けれども、もうそんな気持ちすら薄れていきそうで怖いんです。だから・・・だからもう、やめようと思います。もう、あそこには未練はないから」と。

その言葉を一つひとつ咀嚼していくには、あまり時間はかかりませんでした。

かつてのワタシと同じ気持ちを抱き、また一人、素晴らしい保育士がこの業界を去ることに対して、「残念だ」という気持ちよりも、「仕方ないよな」と思う気持ちが強かったのもあるかもしれません。

どれだけ仕事に対して真剣に向き合っていても、報われない環境がある。

それは、たった数人の身勝手な人たちのせいであっという間に、信念や志が蝕まれてしまうことも大いにあります。

きっとワタシたちのような不器用でまっすぐこの仕事と向き合いすぎてしまう人たちには、さらに過酷な場所かもしれません。

適度に力を抜くこともできず、仕事として割り切ることもできない私たちには、小さな綻びが気づかないうちに大きな溝となってしまったのでしょう。

辞める決意を・・・

彼女の言葉を聞いた後、ワタシは少しだけ一人になり考えてみることにしました。脳内で何度も言葉が繰り返されながら、「もしもワタシなら、どうするだろう」と自分自身に問いかけたりもしました。

心にあった信念を無理やり曲げながらズルズルと働き続けるのか、それともやりたいことを目指して、自分の信念に従って一本の道を進んでいくのか。

そんな様子を心配した彼がふと、「あの子が決断したことは正しいことだと思う。納言ちゃんがやりたいことはなんだったの?子どもたちのために、保護者の方のために、自分の保育観をしっかり持ってこの環境を良くしていくことが目標だったんじゃないの?今の職場でその目標が達成されると思う?」

「・・・いや、難しいと思う」

「ならもう、答えは決まってるよ。自分の心に嘘をつき続けるのはもう、終わりにしようよ。お金なんてどうにでもなる。けれども一度壊れた心を元に戻すこと、そしてこの業界を嫌いになってしまったら、どうしようもできないことくらい、一自分が一番わかってるんじゃないの?そろそろ勇気を出す時が来たんだよ。君は、オリエンタル納言でしょ?エッセイストの言葉で救われる人がいるのなら、自分の心も同じように救ってあげないと。それができるのは納言自身だよ」

「・・・ワタシ、辞めるよ」

 

新たな形で、歩む人生を

今までは社会の中で、保育士として働くことばかりに固執していたような気がします。だから常に自分が辞めてしまうことに不安や葛藤があり、中々その場を去る決断ができませんでした。

あらゆる場所で保育をしてきて、今なら思うんです。

自分のやりたいことや信念を曲げてまで、その場所に留まる必要はないってことを。

そして、これからは社会に属することに固執するのではなく、自分のやりたいことを、今まで持ち続けた信念を曲げないように、自分自身の力で新たな場所を作っていく覚悟も。

その時初めて、ワタシの中で「お先真っ暗」よりも「お先灰色」程度の色味を帯びてきた感じがしたのかもしれません。

人生にはあらゆる分岐点があって、その度に私たちは選択を迫られることがあります。

会社の中や人間関係、時には人生そのものに転機が訪れることもあるでしょう。

今ワタシは、ようやく本当の意味で人生の転機と分岐点に立ったところなのかもしれません。

自分の誇りと信念を持ち続けて、ワタシなりのやり方で歩んでいく道を・・・。

ナイーブな私に勇気をください

  1. TK1979 より:

    オサキハイイロを読んで

     納言さんなりのやり方で歩まれるのですね。今回の感想コメントは、エッセイについての私的に思うことを述べたいと思います。   
    あくまで私的な考えですので、エッセイを出版されている作家の方や納言さんの考え方を否定するものではありません。
     エッセイは専門性·徹底性·独自性を協調するあまり、独り歩きになってしまわないような客観的な視点があると読みやすいです。
     例えば日常生活も垣間見れる、
    『保育士 ○○ちゃん 奮闘記』
    のようなノンフィクションでありながら、架空の主人公を設定し、客観的に肩の力を抜いたエッセイでありながら小説的な読みものも面白そうと思います。
     エッセイ出版となると単行本出版になり、狭き門かと思いますが、奮闘記的な短編をまとめたものなら、単行本出版だけではなく文庫本出版も視野に入り、応募するコンクールのリーチも広がると身勝手に思いました。
     あくまで私の私的で身勝手な考え方ですので、失礼があるとすれば謝罪いたします。
     お体を大切に、ありがとうございます。
     
     

    • いつも読んでくださり、ありがとうございます!
      そして、出版に対してのアドバイスもとても参考になりました。
      夢を追いかけても、日々どのようにすれば形になるのかを模索していたので、助かります!!
      あらゆる方が文書に携わることを目指し、時に夢としてかげている中でワタシもその1人として、納言にしかできない形で、これからの未来を担う子どもたち、そして保育士たちが笑顔で過ごせる環境のために、やり続けていきたいと思います。
      いつも素敵な言葉を、本当にありがとうございます。

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