夢を追い続けていたいから

保育士時代の体験談・過去のトラウマ

幼い頃からずっと持ち続けてきた夢、それが「保育士」でした。

集団生活の中で大切なことを教えてくれた先生は、とても優しく愛に溢れていました。先生の笑顔を見るだけで嬉しくなって、ついつい手紙や苦手な折り紙を持って、プレゼントとして渡していた気がします。

ある日、私は先生に言いました。

「いつか、先生と同じ保育士になりたい。そしたらずっと先生と一緒にいれるもん」と。

それを聞いた先生は「納言ちゃんならきっとなれるよ!先生、楽しみだな」とぎゅっと抱きしめてくれました。

その気持ちをいつまでも忘れなかった私は、約束通り先生と同じ保育士の道に進みました。

夢はもろく崩れ去った

保育士の世界は厳しく、毎日が自分のことで精一杯になっていました。

生まれて数年しか経っていない小さな命を見守る仕事は、並大抵のことではありません。けれども、ふとした瞬間の笑顔だったり、何気ない一言だったりが私に「やりがい」を与えてくれました。

しかし、保育士の仕事で何が一番しんどかったか、それは職場の人間関係でした。

女性ばかりの職場は、どこか殺伐としていました。

日によって機嫌が変わる先輩、理不尽に文句を言って召使のように扱ってくる上司、そんな人ばかりでした。

子どものことで悩んだり、考えたりすることよりも、先輩や上司の顔色をうかがいながら仕事をすることが当たり前でした。

私以外の職員たちも、そんな環境に疑問と不満を持っていたに違いありません。

どん底まで落ちて

次第に精神はすり減っていき、仕事に行く前には動悸がしたりトイレに何度も籠る回数が増えていきました。

元々ふっくらしていた体は、あばら骨が浮き出て、手首は今にも折れそうなくらい細くなってしまいました。誰が見ても病的に痩せてしまっても、仕事を休むことはしませんでした。

「子どもたちに会いたい」その一心で

そんな生活が約4年間続いたある日、私の視界は突如真っ暗になって、その場から動けなくなってしまったのです。

浅い呼吸を繰り返し、何度も何度も自分に言い聞かせました。

「大丈夫、何も心配いらない。少し疲れが溜まっているだけだから」と。

気がつけば、就職してから体重は15キロほど落ちてしまい、さらに4年間の間に約7キロほど落ちていたのです。

中には心配して声をかけてくれる先生もいました。こっそり食べられそうなお菓子をくれたり、痩せ細った体を撫でながら「もう、心配だよ」と気にかけてくれたりもしました。

けれど、もう限界だったのです。

仕事も、いや、生きること自体に疲れてしまったのでしょう。

あれだけ好きだった保育士の仕事にやりがいを感じる余裕は、もうありませんでした。

そして2022年の6月末に休職をしたのち、10月末で退職を決意しました。

生きる勇気をくれたもの

休職していた頃は、情緒が不安定で何かあるたびに泣いたり、怒ったり、叫んだり、心の処理が追いつかないほどおかしくなっていました。

子どもたちに会いたいと願っても会うことも寄り添うこともできない自分が、何より情けなくて、苦しかったです。

そんな時に、心の支えになっていたものが文章でした。

保育士をしている時からコツコツと書いていましたが、心がポッキリと折れてしまってからは、書くことも止めていました。

ただ、私も一歩を踏み出したかったのでしょう。

現状を変えたかったのでしょう。

最後の力を振り絞り机に向かって、今までの感情を一心不乱に書いていました。

どれだけ拙い文章でも、書かずにはいられなかった。

もしも誰かが共感してくれたら、もしも誰かが読んで励ましてくれたら、そんなことを考えながら書いていた私は、文章を通して助けを求めていたのだと思います。

いつか夢が叶うその日まで

休職して仕事に行かなくなった日から、もうすぐ一年が経とうとしています。

しかし、体と心の不調は未だに完治はしておらず、上手に向き合っていくことを常に考えながら、少しずつ前を向き始めています。

しかしそんな絶望の中でも、書くことだけは止めませんでした。

本音を言えばもう一度、保育士として働きたかったし、子どもたちの成長を近くで見ていたかったです。

それができなくなってしまった今、私は文章を通して子どもたちと過ごした日々や、辛い経験を包み隠さずエッセイとして書いています。

今もどこかで、同じ思いをしながら働いている人がいるかもしれないから。

そしてその人たちが、私と同じ運命を辿らないように少しでも力になりたいのです。

世の中には、私よりもはるかに素晴らしい作品を書いている人はいます。

賞を取ったり、本を出版している人だっています。

ただ、私が経験したものはその人たちには書けないはずだから、私はこれからもありのままの姿で、私にしかできない言葉を紡いでいこうと思います。

将来少しでも多くの保育士が、働きやすい環境になるように。

何より子どもたちが、笑顔で過ごせる環境が増えていくために。

ナイーブな私に勇気をください

  1. メイ より:

    こんなにもおなじような環境で過ごしていたとは…

    私は服の販売をしていて、女性ばかりの職場でした。
    広いフロアにたくさんのお客様が来られる毎日。
    それも接客をしながらレジ打ちをして、店頭を整えて。

    常に笑顔で大きな声でいらっしゃいませ。
    簡単なようで簡単ではないと、今うつ病になってからはヒシヒシと感じます。

    それでも服が好きだったから辞めませんでした。
    でも、ある時上司に精算が合わないといわれ私に罪を着せました。その真犯人は上司だと、後で他のスタッフが教えてくれたのが唯一の救いでしたが。

    そんなこともあり笑顔の日々はただの作業となり、噛み合わないスタッフが大勢の中で働くのが辛くなりたいしょくしました。

    今となれば笑い話ですが、どこもいがみ合いがあって同じような事がおこるんだなとおもいました。

    • オリエンタル納言 オリエンタル納言 より:

      メイさん読んでくださりありがとうございます。
      きっと働いてる多くの方が同じ気持ちを味わったり、悩んだりしたことがあったのだと改めて感想を読みながら感じました。
      人それぞれに個性があり思いがあるから、意見が合わないことも苦手な人もいることはもちろんわかっています。
      ただ、ほんの少しの思いやりと寄り添いがあれば、嫌な思いをする人も心に傷を残す体験も減るような気がします。けれどもこの忙しい社会の中では、きっと一番難しいことなのかもしれません。
      自分のことで精一杯な人が多過ぎてしまうから、他人のことなんて考えている暇がないのかもしれない。
      ただ私は思うんです。
      怒っている人やイライラしている環境で何かをすることよりも、互いに少しでも心遣いができれば、大変な仕事も楽ではないけれど気持ちの部分では救われると。
      保育士をしているとき、低賃金なんかよりも人間関係の悩みの方が何倍も辛かったです。
      お金よりも何よりも、人間関係が一番大切なんだなと思います。
      こうしてエッセイという形で書けるるようになった今、言えなかった想いを書くことで、私自身も過去のことを忘れられるようにしようとしているのかもしれません。

  2. 海骨千種 より:

     保育士さんは一見楽しそうな職業だと思っていましたが、オリエンタル納言さんのエッセイを読んで、認識がガラリと変わりました。
     私のように「保育士=子どもたちと毎日遊べて楽しい」という表層的な考えを持っている人が世間には多いような気がします。
     けれども、実際の現場の様子や、保育士さんたちの辛さを、文章を通して伝えてくれることで、見えていなかった部分を知ることができました。
     今後も納言さんのエッセイを読んで、自分に足りなかった視点を増やせていけたらなと考えています。

    • オリエンタル納言 オリエンタル納言 より:

      “かがみよかがみ”の頃から、エッセイを読んで下さり、ありがとうございます。

      「保育士=子どもと遊ぶ」それも大切な仕事の1つです。
      ただ、それ以外にも業務や雑用、コロナ禍では日々の消毒も、大きな負担となりました。
      年齢問わず、思いやりをもち関わることが出来たら、きっと色々なことが上手くいくはず…。
      ですが、忙しさのあまり心の余裕がなく、また昔ながらの保育環境は、中々変わらない部分もあり、今も現場で苦しんでいる保育士の方も多くいると思います。
      子どもたちのことを考え、大切に思う気持ちは、きっと皆同じはずなのです。
      しかし、気持ちとは裏腹に大人の理不尽な考えや、やり方に振り回されてしまうことも、現実なのです。
      こうして読んでもらい、知ってもらうきっかけになることが、環境改善の第1歩になると思います。
      本当に読んで下さり、ありがとうございました。

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